にゃくいちさん 五話
頬に空気を溜めて、無感情のような鈍い声で「李亜ちゃん、石、もう積んだん?」と、黒目がちな瞳の女児が言った。陽光が穏やかに全体を包み、里の中心の広場は、多彩な色と活気に溢れていた。
「え?」
綿菓子の屋台からガラガラと機械を回す音が聞こえ、李亜以外の二人の女児はその光景に気をとられている。
「なんのこと?」李亜が尋ねると、二人が振り向く。浴衣姿のおさげ髪。そのうちの一人は、明妃の顔に似ていた。
「石やんか」
「せやで。石。もしかして、李亜ちゃん、まだ積んでへんの?」
近くでは、数人の女がお囃子を奏でている。色とりどりの幕が風に揺れ、同じ旋律の執拗な繰り返しに、その周りで踊っている女達は酩酊している。
「石、積まなあかんやん」
おさげの黒目の女児が笑いながら答える。少し離れた舞台では、華やかな着物を着た女達が伝統的な舞踏を披露しており、彼女たちの美しい舞によって、歓声と拍手が響き渡っている。
「もうすぐ始まるし、石、積みにいかなあかんで」
李亜は思わずぎょっとして息がつまった。自分が何処にいて、何に巻き込まれているのか、よくわかってない様子だ。二人は、異邦人に対するような不敵さが漲った顔をしたて「どしたん?」と李亜に尋ねる。
底知れぬ泥の中に深々ともぐり込んで行くような居心地の悪さを顔にだして、李亜は少し後ずさりした。しかし、思いなおしたように「ほな、行こか」と心持ちの不徹底なのを見透かされるような言葉を言い放ち、二人とともに歩みを進める。
「子供のにゃくいちさんはな、石を投げるんやで」
明妃が笑いながら、李亜に言葉をかける。正確には明妃ではなく、明妃が子供だったらこんな感じだろうという出で立ちの女児。
「にゃくいちさん?」怪訝ではあるが、彼女には聞覚えある響き。
「うん。お面かぶってるにゃくいちさんにな、あたしら子供のにゃくいちさんのみんなで積んだ石を投げて、殺すんよ」
明妃の声は少し掠れていて、彼女は石を投げる真似をしてみせている。その表情は、屈託のない笑顔。
「にゃくいちさんはな、産まなあかんねん」明妃に似た子供の言葉に、李亜は戸惑っているようだ。
「どういう事?」
「ええねん。とにかく、石投げて殺すんや」李亜の足が、何かに蹴つまづいた。見ると、大人の拳ほどの石が地面に転がっている。彼女はその石を拾おうと腰を屈めようとした時、鐘の音が三回鳴った。明妃に似た子供が「あ!」と大きな声をあげた。
「え? 何? ちょ」
「はよ! 始まるわ」
「始まる?」
「そうや」
「なにが?」
「にゃくいちさん」明妃に似た子供は、李亜の手を引きながら、息を弾ませて階段を登る。
「え?」李亜達が辿り着いた広場には小さなお社があった。
「ここ、何?」そのお社には赤い布が敷かれ、その上に石が祀られていた。そして、辺り一面には石が積まれていた。それは賽の河原で子供が重ねたような歪なモノだ。
明妃に似た子供は息を切らせながら「にゃくいさんはな」と言った。
「うん」
「ややこをお腹に抱えてこの里に帰ってきたんや」明妃に似た子供はそう言うと、積まれた石の方に歩み寄って行く。
「石を投げてな、にゃくいちさんを殺すんや」
「なんで?」明妃に似た子供と、もう一人の女児は李亜の問いには答えず、積まれた石をひとつ手に取り「えい」と言いながら、放り投げる。
「李亜ちゃんも投げて! あっ、石は積んでるやつやで」明妃に似た子供は、次から次へと石を手に取り「これもや。これも投げなあかん」と言いながら放り投げている。しかしながら、そこには何もいない。
「にゃくいさんは、ややこを産まなあかんねん。せやから、李亜ちゃん、あのにゃくいちさんに石投げて」
「どこに、何がおんの?」
李亜の頭がしびれているのか、世界がしびれて行くのか、それはわからない。彼女は恐ろしい境界に臨んでいるようで、底冷えがしたように彼女の頬は固まっていた。
無慈悲な石の積み重なりは、さびしく恐ろしく、そして、それが連続する荒廃の光景。これは夢の中の出来事で、彼女の末梢神経が拾った映像だ。感ぜられるともなく感ぜられるばかりの現象が、てんでんばらばらに散らばっている。深みに行くほど、李亜の心は光を増し、その感じを強めながら、最後には消えてしまおうとしている。
頭を押えて李亜は立ち上がった。しおしおと、細かい挙動の一つ一つが実に弱々しい。彼女は何かを口にしなければならないといった様子で、冷蔵庫に向かう。しかしながら「え?」と声を出す。どうやら冷蔵庫にはミネラルウォーターがなく、彼女は戸惑っているようだ。しばらく耳を澄ましてみると、寝物語を交わす男女の声が、小さく聞こえている。
「ねえ、なに食べたい?」少し弾んだ女性の声。
「お前を食べたい」気だるそうな男性の返事。
「もう! そういうことやなくてさ」と女性は拗ねたような口調になったが、すぐに笑い出したようだ。
「じゃあさ、何か作ってよ」男はそう言うと、女の体を引き寄せたようで、その声の後には衣擦れの音が聞こえた。そして、男女の会話が再び始まるのだが、それはとても親密な関係に思えた。
李亜は冷蔵庫を開けっ放しにして、その場に立ち尽くしている。「またか」と言いたそうな、屈託のある重い顔を作ってみせた。そして、冷蔵庫を閉めると本意ではないだろうが、コップに水道の水を入れて飲み干した。
「なにか、取ってくるわ」と明妃の声がする。そこで李亜は、自分がリビングで寝ていた事に初めて気がついたようだ。彼女が自室に戻る事は不可能で、明妃と鉢合わせする事を気に揉んだ様子を見せた。
「え? 誰?」
リビングの戸口で明妃の声がして、李亜は驚いたフリをして振り向いた。そして、気まずそうな顔をして「おはよう」と声をかけた。
「え? なに? こわい。こわい」と明妃は強張った表情をして言った。
「何が?」
「来んとって」と明妃は言いながら、叩かれた犬のような眼をして、巻き戻しのように後ずさる。そして「弾左!」と男の名前を呼び、取り乱した。「なんやの?」と李亜は腹を立てて明妃に近づく。
「なんだよ。大きな声出して」
明妃の部屋から出てきたのは、背の高い裸の男だった。彼は、李亜の姿を見るなり「え? 誰?」と言った。そして、明妃の顔を見る。
「知り合い?」
弾左と呼ばれた男は裸である事を全く隠さない素振りで、眉間に皺を寄せて疑い深い眼をしている。
「知らない」と言って明妃は泣きそうな表情になった。
「え? 何?」
「え? 知らない。知らない。勝手に入ってきて、なに? この人?」
やれやれ、といわんばかりの露骨な表情で弾左は二人の女を見比べ、明妃に「本当に知らないの?」と尋ねた。
「誰? 知らない。こわ」
「ちょ、ホンマええ加減にせぇよ。毎回毎回、違う男ばかり連れて帰ってきて、あたしがおるの知っとるやろ? ハッキリ言うたろか? この女、ビッチやで」と李亜は弾左に向かってそう告げる。
「え? なに? わたし? え?」明妃は震える目で弾左と李亜を交互に見ている。
「お前や。お前。色々と言わなあかん思てたから、ちょうどええわ。仕事は続かんし、掃除はせぇへんし、どういうつもりやねん」
「え? なに? なんで? ここわたしの家だし。なんなの?」弾左は面倒臭そうに自分の頭を掻くと、李亜と明妃の間に入り「おいおいおい! 落ち着けって!」と言いながら、二人の顔を交互に見た。そして「ちょっと待っててな」と言って奥に消え、すぐにリビングに戻ってきた彼は、下着を着けずにジーンズだけを穿き、明妃には彼が着ていたシャツを渡した。「それ着て、ちょっと落ち着け」と彼は言った。
「なんなの?」
「いいから」そう言ってから、弾左は李亜の眼を見た。
「それで、あんた誰?」彼の声色には怒りはないが、威嚇が十分に含まれている。
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一日延ばしは時の盗人、明日は明日……
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