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にゃくいちさん 十話

 あらゆる色彩の閃きが空間に溢れていて、そこは黄金の理想郷のようであった。船内に充満している香料の香り、廊下まで響くピアノトリオの響き、天井の物憂いぐらい眩いシャンデリアの光。バトラーだと名乗った男に、李亜と春松はペントハウスに案内される。
 巨大なガラス窓から差し込む春の陽光が、部屋の内側に溢れていた。贅沢な装飾が施されたリビングルームには、豪華な応接セットが配置されている。寝室もかなり広く、そこには大きなベッドが優雅に配置され、シルクのシーツがつややかに光り、極上の寝心地を演出するだろう。また、大理石の貼り石で仕上げられたバスルームには、ゴールドのシャワーや蛇口が取り付けられ、バスタブにはバラの花びらが浮かぶ。部屋の一角にはかなり広いプライベートバルコニーがあり、そこからは海が一望できる。どれをとっても、並の金持ちでも乗る事ができない最上階の部屋。そんな場所に黒色のスウェットを着た李亜は不釣り合いで、彼女は居心地の悪さを隠しきれないでいた。
「よろしければ、こちらの服をお召し下さい」
 船室まで案内してくれたのは、久慈と名乗った五十代の背の高いバトラー。李亜のアパートの自室ぐらいの広さのクローゼットを彼は開けてみせた。
「ちょ、サイズとかもそうだけど、料金はどうするんです?」
「既に頂いております。服のサイズは東様に合う物を用意しております。もし、どれもお気に召さなければ、下のショップにある物を持ってきます。あと、この船では追加料金は全く必要ありません。なにを召し上がっても、何をされてもお金は受け取れません」
「どういう事ですか?」李亜は戸惑いを隠し切れない。どう考えてもこの船の待遇はおかしい。
「当方の手違いでご迷惑をおかけしました。そのお詫びですので、どうかお気になさらず」とバトラーは言うが、それで彼女は納得していない様子。
「ま、いいじゃん」と春松は言う。李亜も戸惑いながらも「そうですか」と言い、クローゼットに入った。そこには映画俳優が授賞式で着るような大胆なドレスから、ブルージーンズ、下着までもが用意されていた。
「スーツケースも用意しています。好きなだけお持ち帰りされてもかまわないですよ。当然、男性の洋服もあります。では、私はこれで失礼します。ご用件がございましたら、備え付けの電話にていつでもお呼び立てください」バトラーは一礼して去っていく。
 春松と二人きりになった李亜は、クローゼットの中身をチェックした。どれも、一流ブランドの服ばかりである。
「なんか、凄い船に乗っちまったな。向こうの手違いって何かあったの?」と春松。
「何かシステムの不具合とか言ってたけど、よーわからんわ」
「ま、いいか。すげぇな。これ、持って帰っていいとか言ってたな」春松はクローゼットからジャケットを取り出し、迷わずに着る。そして、鏡の前に立った。李亜は「ちょ、あたし、外行ってみるわ」と着替えずに部屋を出て、廊下を歩く。ほどなくして彼女は、巨大なガラスドームが天井を覆い、自然光が降り注ぐ広々とした空間に来た。そこには高級なソファや応接チェアが配置され、乗客たちがくつろぎながら優雅な雰囲気を楽しんでいる。
「お飲み物はいかがですか?」とウエイターが李亜に尋ねるので、彼女は「ミネラルウォーターをお願いします」と頼んだ。ウエイターは目を細めて笑い、李亜のためにミネラルウォーターを取りに行く。
「なんだこれって感じだな」春松がやってきて、彼女の横に座った。彼はちゃっかりジャケットを着ている。
「せやな」と李亜。春松は彼女をじっくり見つめ「おまえもさ、服、着替えた方がいいよ」と言う。
「なんで?」と李亜は自分の体を見る。
「いや、なんかさ、その格好だと貧乏人丸出しって感じでみっともねーよ」
「ちょ、待って。春松、何、言うとんねん」李亜は眉間にしわを寄せた。
「は?」
「なんか、今までの春松と感じちゃうで。なに浮かれとんねん」
「そりゃ、浮かれるだろ」と春松は言い、足を組んだ。ウエイターが持ってきたミネラルウォーターを李亜は「ありがとう」と言って受け取る。それから春松は、ウエイターに「ビール」と言った。
「なんか、偉そうやな、自分」と李亜は言う。「え?  そう?」春松は笑った。ウエイターが去ってから「で、これからどうするよ」と彼は言った。
「せやなぁ」李亜は水を飲み「なんかおかしいで、やっぱり」と彼女は言う。李亜の頭の中には、この船の過度なもてなしもそうだが、明妃の変貌や、店長の異変、春松にも違和感があるようで、憮然としている。
「おかしいってなにがだよ」
「うん、ようわからんけど、なんか違う気がする。何を言うてもわからんかもしれんけど」と李亜は春松に答える。春松はウェイターが持ってきたビールをごくごくと飲んだ。
「ま、考えるのは後回しだ。せっかくこんないい船に乗ってるんだぜ。遊ぼうぜ」と春松は言うが、李亜はミネラルウォーターを飲むばかり。
「ちょ、あたし部屋戻るわ」
「なんでだよ」春松は李亜の腕を掴んだが、彼女は「ええから、ほっといて」と言い残し、部屋に帰っていく。
「なんだあいつ」と春松は言い、ビールを飲み干す。ウエイターがやってきて「お代わりをお持ちしましょうか?」と言ったので、春松は頷いた。


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中島亮 一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!