見出し画像

【小説】あなたといた道、母が見た空 エピローグ

【第一章はこちら】

 九月末のある日の朝――その日は、長く続く暑さがほんの一瞬、和らいだ日だった。といっても、明日からはまた熱さが戻ると、天気予報は言っていた。
 今日この日のために、誰かが熱気を遠ざけてくれたんじゃないかと、桜は思った。
 いったい誰が? それは、言わずもがな、だ。
 桜がそのことを伝えると、桜の前で大荷物を抱えて立つ咲翔は苦笑した。
「そんなまさか……あ、でもおばちゃんやったら、やりそう……」
「でしょ?」
 父までが、声を挙げて笑う。
 朝早くのがらんとした新幹線のホームに、桜たち三人の笑い声がよく響いた。
「おじさん、桜ちゃん。こんな時間に見送りに来てくれて、ありがとうございます」
 咲翔は深く頭を下げる。打ち解けたと思っても、こういう礼儀正しいところはずっと変わらない。
「それは気にしないでって言っただろう」
「来なかったら、お母さんに怒られるよ」
 桜が、そうして母の名を出すと、咲翔はいつも笑って追求をやめる。その時の笑みを見るのが、いつしか苦しくなくなっていた。
「お礼と言えば、こちらこそありがとうね。ご家族皆さんで、四十九日法要に来て頂いて……大阪から大変だったでしょう?」
「いいえ。三人とも、来たいってずっと言うてましたから。ちゃんとお礼を言えたって、喜んでました」
「そうか。なら良かった」
 数週間前の四十九日法要の日に、桜と父も、咲翔の家族に会うことが出来た。とても明るくて、世話好きで、親切な人たちだった。
 本当にこんな人たちが咲翔と確執があったのか、疑ってしまったほどだが……きっと、家族の間には家族だけの見えない何かがあるんだろう。
 長く一緒にいるからこそ、一言で済ませられないものを含むのだ。
「桜ちゃんもおじさんも、大阪に来はるときは言うてください。家族総出で案内します」
「それは頼もしいな。来月くらいに行こうかな」
「ぜひ」
 咲翔は屈託のない笑みでそう言う。
 桜は、『家族総出』という言葉が気にかかっていた。
「……多岐川さんも……案内してくれる?」
「もちろん」
「じゃあ……じゃあ、その時はみんな『多岐川さん』てことになるから……その……」
 桜自身、驚くほど声がしぼんでしまった。言いたいことを言うのに、こんなにも勇気が要るとは思っていなかった。
 だけど咲翔は、その言葉の続きを待っている。まっすぐにこちらを見つめる視線が、柔らかいけど痛い。
「……え……『えみくん』て、呼んでもいい……ですか?」
 そろりと、咲翔を見上げながら言ってみる。咲翔はというと、目を何度もパチパチして、ポカンとしていた。
「あ、あの……嫌だったら別に……」
「ああ、そうやなくて! 嫌ちゃうよ。桜ちゃんがその名前で呼んでくれると思ってなかったからびっくりしてん」
 咲翔はちょっと照れくさそうに笑った。
「今からでも、そう呼んでや」
「ほんとに? え……え、え、『えみくん』」
 桜がどもりながら言うと、咲翔はクスクス笑いながらお辞儀をした。
「はい。桜ちゃん」
 意味もなく返事をしあって、お互いになんだか可笑しくなって、笑った。仲良くなってわかった。咲翔はけっこう笑い上戸だし、笑った顔は花が咲いたみたいに明るくて華やぐ。
 咲翔はそんな顔のまま、はたと何か思い出したようだった。慌てて手持ち鞄の中を探ると、小さな包みを取り出した。
「これ、桜ちゃんに渡したかってん」
「私に? 開けていい?」
 咲翔が「どうぞ」と言うので、桜は包み紙をそっと開けた。中から出てきたのは、咲翔の話に出てきた寄木細工だ。手のひらサイズの小箱になっている。
「これって……箱根で作ったっていう? 開けてもいい?」
「ふふ……ええよ」
 咲翔はなぜか笑う。怪訝に思いながらも、桜は蓋に手をかけた。そして、笑われた理由がわかった。
 そうだった。忘れていた。この箱はからくり箱なんだった。どれだけ力をこめても、蓋がびくともしないわけだ。
「え~先に言ってよ……」
「ごめんごめん。もしかしたら、て思って」
「そんなことあるわけないじゃん」
「わからへんで。なんせ、おばちゃんの娘さんやし」
 それは、どういう意味だろうか。桜が視線で問いかけると、意味ありげな視線を返された。
「実は、僕も開け方がわからんようになっててん」
「え、自分で作ったのに?」
「そう。だから置物にしようと思っててんけど、なんと開けてくれる人が現れてな……」
「それが、お母さん?」
 咲翔は満面の笑みで頷いた。まるでその時の情景が目の前に浮かんでいるかのようだ。
「……お母さん、どうやって開けたの? 作るのも出来なかったんでしょ?」
「それがホンマにわからへんねん。なんか直感に直感が重なって、気付いたら開いとった」
「なにそれ……野生の勘?」
「かもしれへん」
 普段なら、人の母親に対して言う言葉かと怒るところだが……咲翔なら、なんとなく笑って言える。胸の奥に、ほんのり明かりが灯ったような気分だ。
「別に大したもんは入ってへんよ。旅した先のご当地キャラのストラップばっかりやねん」
「……なんで先に言うの?」
「いや、期待させても申し訳ないし……」
「じゃあ、なんでくれるんですか? 思い出じゃないの?」
「僕の思い出は、これ一つで十分過ぎるほどやから」
 そう言って、咲翔はスマートフォンについたシーサーの人形を見せる。沖縄で、母が買っていたものと同じものだ。母と咲翔が出会った、始まりの思い出だ。
「僕とのっていうより、おばちゃんが楽しんでた思い出やから、桜ちゃんに持っててもろた方がええかなって思ってん」
「……わかった。大事にする」
「うん」
 桜は、ぎゅっと胸に抱きしめて見せた。今、確かに、色々な思いを預かった。
「でも結局、どうやって開けるの?」
「ああ、それは……」
――と、咲翔が説明しようと箱に手を伸ばした、その時だった。
 音楽がホームに鳴り響いた。
 新幹線の到着を知らせる音だ。ほどなくして、突風と共に大きな車体がホームに滑り込んできた。
 咲翔が乗る予定の便だ。
「来ちゃったね」
 父の声に、咲翔も、桜も、口をつぐんだ。
 いざその時となると、何を言えばいいか、わからない。一番言うべき言葉は、なんとなく言いづらい。どうしたものか。
 一番愛書に口を開いたのは、やはり父だった。
「咲翔くん、元気でな。困ったことがあったら、何でも言って。それに……また家にも来てね」
「……はい! 本当に、お世話になりました!」
 咲翔が静かに、深く頷くと、父は手を差し出した。その手を互いにしっかりと握りしめ合い、しまいには肩を抱き合って、ようやく二人は離れた。今ので充分語り合えたなんて、男同士は羨ましい。
 そう思っていると、咲翔はくるりと桜の方を向いた。
「桜ちゃんも、お世話になりました」
 父に対するのと違って、恭しく頭を垂れる。なんとなく距離感を感じてしまう動作で、なんだか面白くない。
 桜は、黙っててを差し出した。驚いて桜を見返す咲翔に、桜は短く、だけど胸のうちにしまっていた言葉を、簡潔に告げた。
「またね」
 咲翔は笑って、手を握り返してくれた。本当に、笑った顔が眩い人だ。
「じゃあ、箱の開け方は次に会った時に、な」
「うん、教えて。絶対ね」
 咲翔は、しっかりと頷いてくれた。頷くと、咲翔の大きな手のひらは離れていった。
 旅行バッグと手荷物をしっかり抱えて、咲翔は桜と父に向けて深く頭を下げる。そして、新幹線の中に入っていった。
 狭い廊下でもう一度振り返り、手を振ってくれる。その瞬間、また音楽が鳴った。発車の音だ。
 あと少ししか、あの笑顔は見られない。惜しむ気持ちで、ずっと手を振っていた。
 やがて、ドアが閉まった。
 すぐに車体がぐらりと動き出して、咲翔の姿は遙か彼方の方へと、消えていった。
 もう見えていないとわかっていても、桜はまだ手を振っていた。
「……そんなに名残惜しいんなら、すぐにメッセージ送ったら? 連絡先、交換してるんだろう?」
「お父さん……その通りだけど、身も蓋もないこと言わないで」
「ああ、ごめんごめん」
 桜は、野暮な父をじろりと睨みつける。
(まぁ、一人になったら送ろうとは思ってたけどね)
 新幹線が高速で去り、姿も見えなくなると、桜も父も、ふっと息をついた。
「さて、じゃあ……我々も行きますか」
「そうだね。遅刻したら困るし」
 くるりと踵を返し、改札へと歩き出す。これから父は会社に、桜は学校に行く。咲翔は……実家に戻ると言っていた。
 明日は何をするんだろうか。明後日は? 明明後日は?
 そのどこかの先の日に、また会えたらいいと、桜は思う。
 ふと、咲翔の消えた方を振り返る。日が高く上り始めて、眩しい陽光が見える。よく晴れている割に、心地よい風が吹き抜ける。桜の頬をくすぐるように撫でていった。
「……そうだね。いつか、私も旅に行きたい」
 いつか、あの人と一緒に、行ったことのない場所で、見たことのないものを見たい。
 その時は、どこに行こうか。

 学校の帰りに、旅行雑誌を買ってみよう。付箋をいっぱい付けよう。あの人に相談もしてみよう。
 これからのことを思い描いて、歩いていく。自然と、踊るような足どりになっていた。 

<前のお話はこちら>

#創作大賞2025
#オールカテゴリ部門
#小説
#長編小説
#あなたといた道 、母が見た空
#現代ヒューマンドラマ
#ロードノベル
#家族の物語
#喪失と再生
#旅の思い出


いいなと思ったら応援しよう!