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ログアウトしていた”想い”に、ふたたびログインしてみる。

”無意識”に輪郭を与える”書くこと”。ということで記事を書いてみた。書いてみて気づいた事は、「”書くこと”によって、自分の意識に潜んでいた何かが浮かび上がってくる。」ということであった。要するに、「”書くこと”によって、無意識のうちにつくられていた意識に”輪郭”が与えらる。」ということだ。

久しぶりに書き始めているnote

1月に入り、急にまたnoteを書き始めようと思った。書き始めると、ログアウトしていた自分のnote空間の中に再びログインすることになった。
そして、自分が書いた記事の中で、気になるものを見つけた。

読み返すことで、約1年前の自分が、何を考えていたのかがわかる。
それと同時に、自分以外のどなたかのnoteを読ませていただいているのと似た感情を持つ。
おもしろい…。

「自身の成長や変化とは、他者に評価されるものではなく、自分で実感できる方がよい」

「学習とは、経験によって行動が変容すること」 Keiichi MATSUI

この記事を書いた中に登場する内容だ。
確かに!と感じた。

では、今はどうなのだろう…。

やっぱり、そう思うし、そうである想いがより強くなっている。

まだまだ、成長できるし変化もできる。そして、その実感を自分で評価したい。

掘り起こされる”想い”

「書くこと」という行為が、過去の自分の想いを掘り起こしてくれた。それによって、自分の”強き想い”に気づく事ができた。

記事を書いた当時に、なぜそのことを書いたのかは思い出すことはできない。勢いもあったかもしれないし、その時までの何かの流れがあったのかもしれない。
その後、noteから離れ、自分の”想い”は、意識下から外に追いやっていた。

しかし、「書くこと」が、”強き想い”を掘り起こし、無意識に「輪郭」を与えてくれた
そして、新しい気づきをくれた記事に出会うことができた。
Sonny(サニー)さんの記事。

noteの中で、Sonny(サニー)さんは次のように述べられています。

トレースすることに固執せず、目の前の現象に対して自分で判断してアプローチすることに集中することで、見えるものが変化してきました。これが認知システムの変化なのだと感じます。

しかし、「こうゆうことか!」ということが出てきてと思っても、少し経つとそれが「わかったつもり」だったことに気がつき、この過程を行ったりきたりするんですね。

その過程を何度も何度も繰り返すことで少しずつ自分のスキルが高まっていくのだと思います。かなり繰り返した気がしますが、まだまだ足りない。忙しく慌ただしい臨床の中で、この作業を反復することはなかなか大変なのですが、「あ、こうゆうことか」と発見があった時、ぼく自身なかなかのアドレナリンがでますw

この過程を経るごとに、自分のアプトップや見える世界が変わっている実感が少しずつですが確かにありますこれこそが、学習なのでしょう。

Sonny(サニー)さん、大切な気づきをありがとうございます!


想いの蓋を開けることは、怖いことかもしれない。
だけど、蓋を開けることによって見える世界がある。

まだまだ成長できる。
まだまだ変化できる。
まだまだ世界を広げることができる。
広がった先の世界をもっともっと見てみたい!


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