第6章 ”受験などの競争に通じる話" | 創作大賞2025提出スラムダンク評論文「至高の反骨ロック映画『THE FIRST SLAM DUNK』に見る人間世界の真実と私」
6.1受験勉強という競技種目
受験勉強はある意味でスポーツと似ている。特に日本の受験システムは、まさに「競技」としての側面を持つ。「得点」を競い「順位」を争うのが競技なら「受験」は競技そのものであし、そのための準備とトレーニングは欠かせない。
であるから、「受験勉強をしなさい」という意味で「勉強しろ」なんて言う親は学問ってものを何一つわかっていない。だから子供は「勉強しろ」って言う言葉が嫌い。それは「受験勉強は学問じゃない」ことを薄々わかっている場合もあるから、そこの大人の嘘が嫌な場合もある。
受験が競技である理由の一つはまず、「限られた時間内での戦い」であるからだ。当然だが、学問は人生かけてやるので、時間制限があるならそれは「自身の天命」「寿命」である。数十分の時間制限の中で効率良く得点を重ね、ライバルとの点差を開かせない、という要素などを考えても、バスケットボールの試合と同様な「競技」と捉えた方が良心的である。
そんな競技としての受験と、バスケの試合の共通点の面白い場面を見てみよう。「最初からバチバチかよ」と言う宮城の深津に対するセリフ。これは単純な意味以上に深い感性がそこにある。
6.2 最初からバチバチかよ
「誰一人手を抜かない、最強山王高校」この一文に象徴されるように、真のプロフェッショナルは「最初から全力」である。これは受験やビジネスの世界でも通じる真理だ。
6.2.1 点差が開かない(開かせない)場面で、開かせない重要さ
バスケットボールの試合において、点差が開いていない状況をキープすることの重要性は計り知れない。なぜなら、一度大きな点差がつくと、それを埋めるためには膨大なエネルギーと時間が必要になるからだ。
これは受験勉強でも同じである。学校の授業で毎回の内容をしっかり理解し、小テストで点数を落とさないようにすることは、後々の大きな負担を防ぐために重要だ。一度大きく理解が遅れると、それを取り戻すのに何倍もの努力が必要になる。
そしてこれは言えるのが、「賢い子供」というのは、この「開かない場面」「開かせてはいけない場面」は必ず最低限の得点を重ね食らいついてくる。これって結構嫌んですけど、そういった肝の部分で絶対手を抜いてこない。これほんと一流がやること。
東大や医学部受験だと、それを重要だと理解している人たち同士の戦いになってくるので皆が皆「最初からバチバチ」になっちゃう。しかもその手の戦いは「当日のコンディション」に左右される。多くの難しくない戦いは、対戦までにすでに勝負は決まっているケースが多い。しかし、頂点の戦いでは「当日のコンディション」が左右する。そういう対戦では「今日の三井は良いぜ〜、山王よお」っていうことは実際に起きる。
6.2.2 同じ2点だぴょん
深津の「ナイス」は難しいプレイの成功に使用されてはいない。いつも通りの基本的なプレイの成功に向けられている。スポーツでは派手なプレイや難易度の高い技が注目されがちだが、試合の勝敗を決めるのは基本的なプレイの積み重ねである。バスケットボールでは、派手なダンクシュートも地味なレイアップも同じ2点である。
受験勉強においても、難解な問題を解くことよりも、基本的な問題を確実に解けることの方が合格への近道になる。なぜなら自分が手も足もでないような問題は他の子供も解けていないから。東大の国語では1問目は「漢字」だし、作文という普遍的な国語力を問うような問題が多い。普段からの基本問題への確実性や美しさを磨く方が得点力は上がるのである。
6.2.3 サボらない凄み(スクリーンアウトを怠ったーー!)
優れた人の凄みは「凄いこと(難易度の高い)をやれる」ことから来る物ではない。「サボらないことを続ける」ことで磨かれていくものである。これを子供や、子供っぽい大人はわかっていない。なのでYouTubeなんかで、凄そうなプレイがモテ流行ったりする。
あからさまに「すごーい!」なんて思われるプレイをするというのは大して大変なことではない。これは例えばエレキギターの速弾きなどは一見すごく見えるのだが、これよりも普段のストロークを美しく力強くやれる方が(個人的には)難しかったりする。そして、それは本当に難しいこととは「基本的なことを美しく確実にやる」ことを示唆していて、この確実性はサボらないことを続けるだけでしか実現できない。
赤木が自分を最も責めた瞬間であり晴子が一番ショックだったのは、赤木が「スクリーンアウトを怠った」場面であった。この「サボらない」という姿勢は、受験勉強においても成功の鍵となる。日々の予習・復習を欠かさず、基礎問題を愚直に繰り返し解く。これは地味で派手さはないが、確実に力を積み上げる方法である。
6.2.4「40分付き合ってやるよ」(接戦は誰もが嫌がる、圧倒したい。「食らいついてきやがる」イヤさ)
「40分付き合ってやるよ、この野郎」
この宮城リョータの言葉は、スポーツ選手として相手、深津への最大の賛辞である。というのはこの言葉を言い換えると「お前が一番嫌なことをやってやるよ」ということになるからだ。どんなに優れた選手であってもチームであっても接戦は嫌なのだ。勝って当たり前と呼ばれるチームならそれはもう絶対に避けたいのが接戦だ。理由は簡単で負ける可能性があるから。となると格下相手ならば「食らいつかれる」というのは本当にヤなことなのである。
確実に勝てるというときは相手をあまり意識しない。自分のプレーや試合をすれば自ずと勝てるからである。けれどもスポーツでもその他の競いごとでも楽勝と思えなくなった瞬間相手を意識する。相手を意識するというのは、「相手の嫌なことや短所を考え始める」ということだ。相手が嫌がることを考えることは、スポーツマンシップが強い人物ほど悔しいと感じる可能性がある。が、勝つためなら仕方ない。
その悔しさや、「お前をめっちゃ意識しているぜ」というのをライバルに向けたのだから、宮城のこの言葉は深津への最大の賛辞になろう。
この「接戦を恐れない」精神は、受験競争やビジネスの世界でも重要だ。東大や医学部を目指す受験生が直面するのは、自分と同等以上の能力を持つライバルたちとの接戦である。その状況で「最後まで付き合ってやる」という覚悟を持てるかどうかが、合格の分かれ目となる。
実は私の話だが、一浪後東大を受験した。かなりコンディションは悪く、「数学」「英語」を捨てるという奇策に出た。というのも高校時代は躁鬱病を患っていて、受験勉強をほとんどできなかったので、「数学」「英語」は中学校や高1 程度までしか学習できなかった、そこまでの貯金で挑んだのだ。
その奇策は結構ハマって、理科 I 類を2500人中1000人合格するが、1001番から1300番の間で落っこちた、接戦で負けたのだ。しかし、この時私は最後の最後の英作文を「これ、受かったんじゃね」と思って白紙で出した。それが慢心であって、「最後まで付き合ってやる」覚悟がなかったのだ。
6.2.5 サボらないとは「何を」サボらないのか
サボらないとは、単に「決められたことをやる」という意味ではない。それは「考え続け工夫すること」である。 『SLAM DUNK』において、真の強者は「考えることをサボらない」選手たちだ。山王の河田は常に試合状況を分析し、最適な戦術を考え続ける。湘北の宮城は常に他メンバの様子を伺い、戦略を考え続ける。
受験勉強においても、単に問題を解くだけでなく、「なぜこの解法が有効なのか」「他にもっと効率の良い解き方はないか」と考え続けることが重要だし、そもそも「なぜ学問するのか?」といった基本的な問いや「受験勉強そのもの」に疑問を持つくらい考え続けることが大切だ。東大合格者や難関大学の合格者に多いのは、この「考えることをサボらない」姿勢である。
6.2.6 慢心があった唯一の人物
慢心がないという最強山王高校。その中に唯一慢心があった人物がいた。それはまさに「うちには慢心がない」と述べた人物その人である。山王高校バスケット部堂本監督だ。こういうことは現実世界によくあって、そういう場面で、それを指摘する人物が最も指摘される人物であったりする。他人に厳しい人は普通自分に甘いので、理解できるだろう。
20点くらい開く時に「次、入ったら行くぞ」と補欠メンバーに言う堂本監督の姿なんて慢心しきった指導者、上層部の思考そのものである。
『SLAM DUNK』が描く堂本監督の慢心は、私たち全ての人間に潜む盲点を鋭く指摘している。「慢心していない」と思った瞬間に、実はすでに慢心が始まっているのだ。真のプロフェッショナルは、常に自分自身を疑い、改善の余地を探し続ける。これこそが、競争の世界で長く成功し続けるための秘訣なのだろう。
松元大地の人気記事
