8/18 サマルカンド
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サマルカンドに来てから3日が経った。我々は明日昼の飛行機でアゼルバイジャンに向けて出発するので、事実上今日が最終日だ。そして、これは同時に今日が中央アジアで過ごす最後の日であることも意味している。
それだというのに、今日もマサカリとバナナは全く外に出る気がないようなので、またしても多様は1人で宿を出た。まあ、かく言う多様も、もうサマルカンドにはこれ以上何も望めない気はしているのだが。なんやかんや2日間で旧市街や宿の周辺は歩き尽くしてしまい、残すはレギスタン広場の有料エリアとシヨブ・バザールくらいのものだ。しかし、何度も言うように観光地スタンプラリーにはもう飽き飽きしており、旧市街に向かいつつも期待値はほぼゼロである。

バスでバザールに着くと、昼過ぎだというのになんだか閑散としている。まばらな観光客を観察すると、どうやら東アジア系がごっそりといなくなっているようだ。日本でお盆が終わり、中国で学校が始まった影響か。なんにせよ静かに見て回れるのはありがたい。
目当てのプロフ屋が売り切れで終了していたので、やむを得ず別の店で観光地価格のプロフを食べ、いざバザールを見て回る。はっきり言って面白いものはなかった。アルマトイやビシュケクの市場同様、香辛料やパン、量り売りの野菜などの店が並ぶゾーンがあり、奥には陶磁器やキーホルダーなどの土産物を扱うゾーンがあるが、市中の土産物屋やスーパーで見かけるものが屋外に陳列されているというだけのことである。それほど規模も大きくないので、10分ほどで全てを見終え、レギスタン広場へと移動した。

3つのマドラサはそれぞれ中庭に入れるようになっていて、うち2つにはそこにちょっとした資料館も併設されている。こちらはじっくりと楽しんだが、それでも1時間も経たずに見終えてしまった。

やはり観光地巡りには飽きた。正直なところ、ブハラやヒヴァで見てきたものとの違いが分からない。イスラーム建築に造詣が深ければもっと楽しめたのだろうが、残念ながら多様は高校で習った一部の歴史的背景がギリギリ分かる程度だ。一人で見ているから感想を言ったり議論したりすることもできず、今日はなおのこと面白くなかった。一方、思い返すとバナナお気に入りのシャーヒ・ズィンダだけは、確かに多様も新鮮に楽しめていたように思う。青の聖廟が所狭しと並ぶあの異質な空間は、間違いなくブハラやヒヴァでは目にできなかったものだ。悔しいが、スリッパ男は確かに正しかったようである。
さて、日も暮れかけ手持ち無沙汰になった多様は、昨日さななを待ったモールの方面に歩いている。あのエリアは観光客ばかりのレギスタン広場周辺とは対照的に、地元の若者や買い物客で賑わっていた。恐らくサマルカンド一の目抜き通りであろうあそこに戻れば、ローカルの夜の過ごし方を見て楽しめるのではないかという魂胆である。多様はウズベキスタンのユースカルチャーに興味があった。
アルマトイとビシュケクでは、同世代くらいの若者がどのように夜を過ごしているのかを目にする機会が度々あった。アルマトイの若者のノリはかなり欧米に近く、夜になると道でスケボーをやっていたり、バーの近くに屯していたりした。多くがアメリカのスケーターブランドやバンドTなどを着ていて、ファッションも欧米風である。ビシュケクでは、皆バザールなどで売っている作りの悪いハイブランドのコピー品を着ていて、スケボーのスの字もなく、夜でも働いている奴の方が多かった。国境を跨ぐだけでここまで変わるものかと驚いたものである。ちなみに、山がちなドリフト向きの地形のためか両都市にカーカルチャーがあるようで、特にアルマトイでは日本と遜色ない改造車も多く目にし、多様は舌を巻いた。

一方、サマルカンドに着いてからは夕方以降に繁華街に足を運んだことがなく、若い奴がどのように過ごしているのかが未だに掴めていない。ファッションなどはビシュケクと近いようだが、スケボーやカーカルチャーは完全に消失してしまった。一体ここの奴らは何をして暇を潰しているのか、今夜確かめるのだ。
…という感じで通りをズンズン歩いていると、バナナから着信があった。「衝撃的なこと言うわ」と、嫌な予感しかしない第一声である。もうこれ以上何も起きないでくれ!多様は、物干し竿をかけている部屋のパイプが崩落したとか、空き巣が入って誰かのパスポートが持ってかれたとか、コンマ1秒でなるべく最悪な想像をたくさんして心の準備をした。

サプライジングなニュースとは、飛行機のことだった。なんと、我々は愚かにも出発時間を12時間勘違いしており、バクー行きJ2530便は今夜離陸するというのだ!聞くと、機内食があるのか気になってさななが検索をかけたことで事なきを得たらしい。3万円をセーブしてくれた食い意地に、本当に頭が下がる思いだ。
慌ててホテルに舞い戻った多様は、今昼に洗ったばかりの洗濯物をすぐに乾かす必要に迫られた。Tシャツがドライヤーで全く乾かないことは、西安での地獄の手洗い編で経験済である。さてどうする。
ここで多様を救ったのは、意外にも2日間の散歩であった。記憶をたぐった結果、近くの団地に洗濯物を外干しできそうなスペースが色々あったことを思い出した多様は、3枚のTシャツをブンブン振り回しながらすぐに部屋を出た。そして、ブンブンと行くこと20分、無事に団地に物干し竿としか言いようのないオブジェを発見し、通りかかる全員から訝しげな目を向けられながらも、洗濯物を乾かすことができたのである。

それから6時間…無事に空港に到着し、出国手続きを終えた我々は、アゼルバイジャン航空のエンブラエル190の前に立っている。

サマルカンド、そして中央アジアとの別れは、あまりにもあっけなく、突然に訪れたのであった。さようなら、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン。特に恨めしいビシュケクのことは、絶対に忘れないだろう。
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