効率化と手間|省くものと、残すもの
当たり前なんですが…
手間暇がかかったものには、
作ってくれた人の「時間」「想い」が乗っかっている。
私は、おばあちゃんが作る
おはぎや黒豆煮が好きです。
時間をかけて作ってくれる、
梅シロップも好き。
でも、
自分で作るかと言われたら、作らないです。笑
食べたくなったら、お店で買うと思う。
その方が早いし、
正直、楽だから。
作ってもらったものをいただくとき、
すごく嬉しいのは、
「美味しいから」だけではない。
作ってくれた人が、
材料を用意して、
時間をかけて、
料理をしてくれた。
その背景も込みで嬉しくて、美味しい。
手間には、作り手のあらゆる時間と想いが込められている
おはぎなら、もち米を用意して、
あんこを包んで、
ひとつずつ形にしていく。
黒豆煮なら、
時間をかけて、様子を見ながらコトコト煮込む。
梅シロップも、
梅を洗って、ヘタみたいな所を取って、
瓶を用意して、消毒して、
少しずつ出来上がっていく様子を観察して行く。
完成したものだけを見れば、
それは「食べもの」だけど、
そこに至るまでには、
材料を選んだ時間や、
手を動かした時間や、
様子を見ていた時間がある。
そして、
食べてもらう相手に想いを馳せた時間もある。
だから、
手間暇がかかったものは、
便利なものとは違う、別格の嬉しさがある。
効率化に助けられている
とはいえ、
効率化を悪いものだとは思っていません。
早く、正確にできること。
負担を減らせること。
そういうものに、私も普段から助けられています。
疲れている日や、時間がない日には、
電子レンジで温めるだけで食べられる
冷凍食品やお惣菜に頼るし、
圧力鍋や便利な調理家電をフル活用します。
何を作るか考えたり、
誰を想いながら作るか、
意識することは、同じ。
手間は、
作業量だけではなく、
どこに想いを馳せたか、
も含まれるんだと思います。
交流まで効率化?
最近のSNSでもこの「効率化と手間」について、少し感じることがあります。
SNSって「交流の場」だと思っているのですが、最近は、その交流までも効率化されているように感じます。
いいねを自動化する。
コメントをテンプレで返す。
反応数を増やすために、機械的に動く。
もちろん、
AIを使うこと自体が悪いとは思っていません。
現に私も使っているので。
ただ、
相手の投稿を読む時間や、
その人の言葉を受け取る時間、
その言葉の背景に想いを馳せる時間まで
省いてしまうのは、少し違和感があります。
交流まで効率化したとき、
数字的なものは増えるかもしれないけれど、
人と人のあいだにあった
温度感は低く、距離感は遠く感じます。
省く手間と、残す手間
効率化は、今の生活に必要なもの。
省いていい手間は、たくさんある。
ただ、
省いていい手間と、
省くと温度感まで薄くなる手間は
分けて考えたい。
だから、
何でも手間をかければいいわけではないし、
何でも省けばいいわけでもない。
効率化に助けてもらいながらも、
何を省き、何を残すのか
そのあたりは、しっかりと考えたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
もし少しでも
「省いていい手間と、残したい手間があるのかも…」
と感じるところがあったら、
スキで教えていただけると嬉しいです✨
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