スマホを見る時間が増えたぶん、何の時間が減ったんだろう
あるとき、平成と令和の
渋谷スクランブル交差点を比べた写真を見ました。
どちらも、
信号待ちをしている人たちが写っていましたが
人の視線の先が違っていた…。
平成の写真では、
周りを見ている人や、
隣の人と話している人が多かったけれど、
令和の写真では、
多くの人が下を向いて、
スマホを見ていました。
その違いに、
少しザワつきました。
昔はよかった。
今はよくない。
そういう話をしたいわけではありません。
私も、暇さえあればスマホを見ます。
だからこそ、
スマホを見る時間が増えたことで、
何を得て、何が減っているのか、
少し考えてみました。
スマホから得ているもの
スマホを悪者にしたいわけではありません。
今の生活の中で、スマホは、
なくてはならないものだと思っています。
連絡をする。
地図を見る。
調べものをする。
決済をする。
予定を確認する。
SNSで発信する。
必要なことが、
小さな画面の中でできることがたくさんある。
音楽を聴いたり、
動画を見たり、
ゲームをしたり、
誰かの投稿を読んだりして、
気分転換になることも、
勉強になることもあります。
スマホから得ているものは、
たしかにたくさんある。
ただ、
目的があって見ている時間と、
なんとなく見ている時間の
「違い」が気になりました。
目的がある時間と、なんとなく見ている時間
明らかな目的があってスマホを見ている時間は、
自分で選んでいる感覚があり、
必要な時間だと思います。
一方で、
特に目的がないまま見ている時間もあります。
暇だから。
手持ち無沙汰だから。
何となく落ち着かないから。
とりあえずSNSを開く。
とりあえずネットを開く。
見たいものがあるわけではないのに、
流れてきた投稿を追っている。
誰かの近況。
誰かの考え。
ニュース。
おすすめされた動画。
知らなくてもよかったかもしれない言葉。
意識していなくて、目にした情報が
頭の中にどんどん入ってくる。
そして、どんどん時間が過ぎていく。
スマホ時間の代わりに減っていたもの
スマホを見る時間が増えたということは、
その分、何か別の時間が減っている。
「スマホを持つ前は、この時間何をしていたんだっけ?」
と、そこが気になっています。
たとえば、ただ待つ時間。
信号待ち。
電車待ち。
レジ待ち。
エレベーター待ち。
昔なら、
何もせずにポケーと
待っていたかもしれない数十秒にも、
今はスマホを見ている。
道の先を見る。
空を見る。
人の流れを見る。
流れていく景色を見る。
考えごとをする。
隣の人と少し話す。
こういう時間や
五感を使う時間が
減っている気がします。
スマホを見ると、
どうしても画面からの情報に意識が向く。
食事をしながらスマホを見ていると、
目の前の料理の香りや、
温度や、食感や、
噛んでいる感覚が鈍くなる。
移動中も同じで、
空の色や、風の香りや、
街の音に気づきにくくなる。
スマホから得られる情報は増えているけれど、
リアルタイムに感じられる情報は
減っているのかもしれません。
さらに、
目の前の人と関わる時間も
変わってきたと感じます。
スマホは、
遠くにいる人とも顔をうつして話ができる。
それは本当に便利だし、安心にもなる。
けれど、
「いつでも、顔を見て話せるから」と、
実際に目の前にいる人と
何気なく同じ空気を共有する時間を
おざなりにしていないか…さらにいうと、
スマホや画面の向こう側の世界ばかりに意識が向いて、
自分自身をおざなりにしていないか、
と考えさせられました。
スマホの外側にしかない感覚
スマホを通して
受けている恩恵はたくさんある。
つい時間を忘れていじってしまう。
けれど、スマホを持つ前は
何をして、何を感じていただろうか。
何を大切にしていただろうか。
スマホから得られる情報はたくさんあるけれど、
スマホの外側にしかない感覚もある。
画面の向こう側ばかりではなく、
目の前のものや、
自分の内側にも、
少し意識してみたいなと、感じました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
もし
「スマホから得ているものもあるけれど、減っている時間もあるのかもしれない」
と感じるところがあったら、
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