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休むことに罪悪感と不安を感じるのはなぜか

仕事を休むには、
それなりに正当な理由がなければならない。
正当な理由がない限りは、
休んではいけない。


と、思っているからか、
休むことに抵抗を感じることありませんか…?


それだけじゃなく、私は
突然休んだら、会社の人にどう思われるか…。
そんな不安もありました。


仕事に行けるような、行けないような、
いやいや、行かないとな。


だって、頑張れば行けるから。
熱があるわけでも、
どこか痛いわけでもない。


何となく体が重くて、ダルいだけ。
気持ちも何となく沈んでるけど、
ただ、それだけ。


「こんなことで、休むなんてダメでしょ」
「迷惑かけちゃうし、どんな風に思われるかな」


そう思っていた頃がありました。
当時を振り返りながら深掘りしていきます。



休む前の葛藤

「地球の重力ってこんなに重く感じたっけ?」
と、思うくらい重ーーーい体。
それゆえ、ベッドから起き上がれない。


そして、理由は分からないけど
何となく辛い、悲しい、腹が立つ。


体感も、思考も、
ぐぅわああああああ!!!
って、ものすごい勢いで
糸が絡まっていくような感覚になり
結局、この日は仕事を休みました。


このときは、
会社に連絡するまで、かなり葛藤した……


意を決して、お休みの連絡をしたけれど
「無事に連絡できた」とほっとする訳ではなく
「こんなことで、休んじゃった」という罪悪感と
「どんな風に思われるかな…」という不安の方が大きかったです。


休んだことで
ゆっくりすることはできたけど、
気持ちはまったく休まらなかったのを覚えています。



罪悪感と不安

たぶん私は、
休むことそのものより、
休む理由に正当性があるか を
見ていたんだと思います。


外から見て分かりやすい理由がない。
だから、
「この程度で休むのは違うかも」
「まだ頑張れるんじゃないか」
「もっと大変な人もいるのに」

と、自分にお休みの許可をしてあげられない。


それに加えて、周りから
「大げさだと思われないかな」
「迷惑だと思われてないかな」
「どう思われているかな」

と、人の目が気になっていたんだと思います。


つまり私は、
しんどいかどうか だけではなく、
この理由は周りから見ても納得されるか まで
気にしていたのかもしれません。


だから、
休む連絡ができても気持ちは軽くならず、
罪悪感と不安が残っていたんだと思います。



理由がうまく言えないしんどさも、しんどさとして扱っていい

もし高熱があったら、
もし診断がついたら、
もし誰が見ても分かる理由があったら、
そのときは、まだ少し安心して休めたのかもしれない。


でも実際は、
なんとなく体が重い、
気持ちが沈む、
理由はうまく説明できないけど、動けない、
そんな、目に見えにくいしんどさでした。


こういうしんどさって
「この程度で休んでいいのかな」と
なかなか休む許可を出してあげられない
かもしれません。


でも、しんどいことに変わりはない。


周りの人からの理解を得られるのは簡単ではありませんが
この体からのSOSを無かったことにしてしまうのは
自分で自分のしんどさを
さらに孤立させてしまうことになるのかもしれません。


今すぐ安心して休めなくても、
まずは
「理由がうまく説明できないしんどさも、しんどさとして扱っていいんだ」
と気づけるだけでも
自分への扱い方は少し変わるのかもしれません。


最後まで読んでくださってありがとうございます。

もし
「この程度で休んでいいのかな」
「休んだ自分が、どう見られるか気になってしまう」
そんな感覚に思い当たるところがあったら、
スキで教えてもらえたら嬉しいです✨



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