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言葉が湧いてくるまでに、私の中で起きていること|内省と言語化

前回は、
人から言われた言葉を、
耳で受け取り、
頭で変換し、
心に届けている。

そんな「脳内変換」について考えました。


今回は、その先の
心に届いたものを、
私はどうやって言葉にしているのか。


言葉が湧いてくるまでに、
私の中で何が起きているのか。


私なりに「内省と言語化」について、
改めて考えてみたいと思います。



言語化は、いきなり言葉を探すことではない

今、「言語化」という言葉を
よく聞くようになりました。


言語化が大事なのは、分かる。


でも、
思いのほか、
言葉ってすぐに出てこない。


「この気持ちを言葉にしたい」
「今、何を感じているのか書き出したい」


そう思っても、
すぐにぴったりの言葉が
見つかるわけではありません。


私にとって言語化は、
言葉を探して、いきなり
「これだ!(ガシッ)」と掴みにいく
ことではないです。


五感で受け取り、
頭で変換し、
心に届いたものを、
それぞれ見ていく。


ぼんやりしたものを、
具体的に見たり。


いくつかの出来事に共通するものを、
抽象的に見たり。


頭の中に混ざっている情報やノイズを、
仕分けたり、整理したりする。


そうしているうちに、
あとから言葉が湧いてくる。


言葉を探しているというより、
言葉が出てこられる状態になるまで、
自分の中を整えている。


私にとっての言語化は、そんな感覚です。



「捉える」は、五感だけではない

言語化する前に、
まず何かを「捉える」と思うんですが、
この「捉える」も、
考えてみると少し広い。


最初は、
見る、聞く、触れる、匂いを感じる、味わう。
そういう五感で受け取ることだと思っていました。


でも、それだけではなく、
五感でも捉えている。
心でも捉えている。
思考でも捉えている。


例えば、誰かの言葉を聞いたとき。
耳では音として受け取っていても、
心では少し引っかかっていたり、
頭では別の意味に変換していたりする。


同じ出来事を受け取っていても、
体で感じていること、
心に残っていること、
頭で考えていることが、
少しずつ違うこともある。


「捉える」は一箇所で起きているものではなく、
五感、心、思考。
それぞれの場所で起きていると思っています。


言語化は、
それぞれの場所で捉えたものを、
ひとつずつ確認し、
整理し、
明確にしていくことなのだと思います。



具体化と抽象化を行き来する

捉えたものを言葉にしていくとき、
具体化と抽象化を行き来しています。


具体化は、
ぼんやりしたものを、
実際の場面に置き換えて見ること。


いつ。
どこで。
誰に。
何を言われたのか。


そのとき、
自分はどう感じたのか。
体はどう反応したのか。
頭の中では、
どんな言葉に変換されたのか。


そうやって、
ふわっとした感覚を、
もう一度、具体的な場面に置き換えて見ていく。


一方で、
抽象化は、
その出来事を少し引いて見て、
中心にあるテーマや構造を見つけていく感覚です。


これは自責の話なのか。
信頼の話なのか。
境界線の話なのか。


期待の話なのか。
過去の自分に引っ張られている話なのか。
本音に近づく話なのか。


具体的な出来事を見ながら、
その奥にあるテーマを探してる。


どちらか一方だけではなくて、
具体的な場面に戻ったり、
少し引いて全体を見たりしながら、
「あれ、これは何の話だっけ?」
と確認しているんだと思います。



情報を仕分けて、中心を見る

具体化したり、
抽象化したりしていると、
頭の中には、
いろいろな情報が混ざっていることに気づきます。


過去の記憶。
相手の言葉。
相手の期待。
他人の目。
正論。
一般論。
SNSで見た言葉。
「ねば」「べき」のような固定観念。


どれも完全に不要なものではないけれど、
全部を同時に見ようとすると、
何が言葉の中心なのか分からなくなる。


だから、
今観察したいものと、
いったんスルーするものを分けていく。


これは手放す、というより、
保留にする感じ。


今この内省で見たいものは何か。
本当に引っかかっているのはどこか。
何に苦しくなっていて、
何を分かってほしかったのか。


そうやってバシバシ仕分けていくと、


「私は、あの言い方に引っかかっていたんだ」
「分かってもらえなかったことが悲しかったんだ」
「怒っていると思っていたけれど、本当は寂しかったんだ」
「相手に責められたというより、自分で自分を責めていたんだ」


みたいに、
自分の中で起きていたことが、
具体的に見えてくる。


そのとき初めて、
ぼんやりしていた感覚が、
言葉になり始めるのだと思います。



言葉が出ないのは、何もないからではない

言葉が出てこないとき、
何も考えていないわけではないと思います。


むしろ、
頭の中にはいろいろある。


さっき言われた言葉。
自分の中に残った違和感。
昔の記憶。
本当は言いたかったこと。
でも言えなかったこと。


それらが一気に浮かんで、
何から紐解いていけばいいのか分からなくなる。


でも、
お風呂に入っているときや、
布団に入り、目を閉じたときに、


急に、
「あっ!そうか!」
と後から言葉が湧いてくることが多い。



だから私にとって言語化は、
言葉を探して、
いきなり正解を掴みにいくことではない。


五感で受け取り、
頭で変換し、
心に届いたものを、


具体的に見たり、
少し引いて見たり、
混ざっている情報を仕分けたりする。


その中で、
自分の中で起きていたことが、
少しずつ明確になり、
言葉が湧いてくる。


私にとって言語化は、
五感、心、思考で捉えたものを整理して、
自分の中で起きていたことを分かる形にすることなんだと思います。


もし共感していただけるところがあったら
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