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読めない理由

大晦日です。すみません、嘘つきました。これを書いているのはもっと前です。
1つ前の投稿で触れた通り、現在「書けない状態」とは無縁でして、というか、ハイになっていて書く手が止まりません。一日一本のつもりが、つい二本、三本と書いてしまっています。

とは言え、数年前までは何かを読んだり書いたりといったこととは無縁な人生でした(理工系を除く)。とりわけ、読書は苦しみであっても楽しみであったことはありません。
逆に、数学は楽しみそのもので、世間一般で言われている「数学の授業についていけなくて悲しい、苦しい」といったことは、今も共感できていません。

ということは、読書がずっと好きだった方からすると、「読書が苦痛に感じていたこと」も共感が難しいかもしれない、とも想像できます。であれば、私が読書を苦痛と感じるようになった過程を記すのは、何か意味があるかもしれません。
文章を書くのが楽しくなっている今だからこそ、私が読書が嫌いになっていった経緯を書いてみたいと思います。


1.なぜ謝らなければならないのか

きっかけは小学校一年生のときでした。
授業にて、教科書に載っている物語を、段落ごとに、一人ずつ、順番に音読していきます。物語の内容は、成長した竹が影になってふきのとうに日が当たらない…という話だったかと。私が音読を担当するパートの冒頭で、竹がふきのとうに謝るセリフがありました。「ごめんね」と。

これ、ちょっと前まで幼稚園に通っていた子供の思考としてお読みください。当時の私は、自分が悪いことをしたわけでもないのに「ごめんね」と発することが悔しくてたまりませんでした。なんで真面目に授業を受けている自分が謝らなければならないのか。他の児童はこのセリフ言わなくていいのに。自分の番が回ってくるまでにグルグルと思い悩み、いざ自分が先生に指されたときには私は泣いていました。
先生は何もなかったかのように私を飛ばし、私の後ろの子もただただ「ごめんね」と音読していました。そのあとどうなったかは覚えていないですが、私はこの物語を強く恨んだことを覚えています。

当時はここまでちゃんと言葉にできていなかったですが、今考えると「自分の傷ついた心を守るために、世にある物語を軽視するようになった」んだと思います。
どっかの誰かが妄想した作り話フィクションなんかに時間を割いて何になるんだ、と。嫌な子供ですね。

2.誰のセリフだ

この調子ですので、国語の授業はあまり乗り気ではありません。漢字の書き取りや文法の授業はそれなりに楽しめたものの、とにかく物語の授業は身が入りませんでした。
ちょっと余談ですが、ちいちゃんのかげおくり(小学校高学年の題材)の真意を知ったのも成人してからです。当時は、あーはいはい、ファンタジーファンタジー。作中で出てきた「はす向かい」って単語、これは面白い概念だからこれだけ覚えとこー。こんな感じでした。すごく嫌な子供ですね。

話を戻します。読書が嫌いになった決定打は小学校二、三年生あたりでした。授業で扱う物語は、カエル2匹が互いに手紙を出すとか出さないとか、そういったお話です。仮に登場人物それぞれを、かえるくんA、かえるくんBとします。作中で、

…地の文
「セリフX」
かえるくんAは言いました。
「セリフY」
…地の文

うろ覚えでごめん

なる構成の箇所がありました。このセリフに挟まれた「かえるくんAは言いました」が、セリフXにかかっているのか、セリフYにかかっているのかが判断できませんでした。たぶんこっちだろう、という一定の解釈はできたのですが、もう一方の可能性を完全に潰しきれなかったように記憶しています。もしこれが

…地の文
「セリフX」
かえるくんAは言いました。
「セリフY」
かえるくんBは言いました。
…地の文

こうだったらよかったのに

だったら断定できたのですが。
当時の私は、きっとここは難しいから先生からの説明があるはずだと思い、授業を聞いていました。しかし、言及は無いまま授業が終わりました。

「完全においていかれた…」

当時の絶望感はハッキリと覚えています。みんなはわかっていて、自分だけがわからなかった。きっとすごく初歩的なことなんだ。こんなこと質問したらみんなに笑われる。こうして私は問題に蓋をしました。
前段の「フィクションに時間かけて何になるんだ」感に拍車がかかることになります。


ここから先、私の読書に対しての距離感は変わらなかったので、これらの経験がすべてです。
読書を楽しんでいる同級生を、内心うらやましいと思いながらその気持ちには気づけず、それを表す言葉も持ち合わせず、その羨望をコーティングするよう表層的に広がる憎悪に目が曇る日々が続くことになります。

さて、改めてまとめてみると、教科書の題材が悪いわけでも先生が悪いわけでもありません。男児特有のプライドが邪魔したんだと思います。セリフであろうと謝りたくない、自分だけ分からないことがあるなんて認められない、そんな気持ちが結果として読書から遠ざけたんじゃないかと。

逆に、どうすれば防げたのか。
音読号泣ふきのとう事変については、自己と作中の役を分ける練習をしておくと良かったのかもしれません。絵本の中の役になりきってセリフを言う、みたいなことを常日頃から行っておくと防げたんじゃないか、と。さすがに「悪くなくても謝らなきゃいけないことがある」という大人しぐさを小学一年生に背負わせるのは無理がありますし。

台詞混濁かえるくん事変については、少し補足することがあります。あんなに嫌いな国語であっても、テストの点は悪くありませんでした。むしろ良かったくらいです。嫌いな教科でも理解は出来ている、自分は頭がいい子供だ、と勘違いしていました。本っ当にイヤな子供ですね。疑問点を質問できなかったくせに。
となると、「本当に頭がいい人は、分からないときに素直に『分からない』と言える人だよ」ということを知っていれば、もしくは、そういった言説に一度でも触れていれば、回避できたんじゃないかと思います。

どちらの回避手段についても、本を多く読んでいたら実現できたのですが、何しろ本を読むのが嫌いだったもので。

(追記)続きを書きました。


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