『成瀬は天下を取りに行く』②後編――立派さは語れなくなったが消えてはいない、死なない煉獄と、令和のヒーロー性

前編はこちら↓
◾️ミメーシスとしての「立派さ」――成瀬と煉獄が感染させるもの
前編の最後で触れたように、
近年、若者を中心に強い支持を集め、
社会現象と呼ばれるまでに広がった物語作品がいくつも存在する。
それらの作品に共通しているのは、
「立派であること」を声高に主張しないにもかかわらず、
結果として、きわめて古風とも言える価値を
観る者の心に深く刻み込んでいる点です。
仲間を守ること
弱き者を助けること
逃げずに、自分の引き受けた役割を全うすること
現代社会では、こうした態度は
効率の悪さや不器用さとして扱われがちであり、
明確な評価や報酬と結びつくことはほとんどない。
それでもなお、
そうした姿勢を体現する登場人物が現れたとき、
人々は理由をうまく説明できないまま、
心を揺さぶられてしまいます。
なぜなのか
この問いを考えるうえで、
ひとつ象徴的な作品として挙げられるのが、
近年社会現象となったアニメ・漫画作品
『鬼滅の刃』です。
社会学者・宮台真司は、人間の行動や価値観が
理屈や説得ではなく、「感染(ミメーシス)」によって広がる
と述べています。
重要なのは、そこに明示的な教訓や道徳が不要だという点だ。
人は「正しいから」動くのではなく、
目の前で、誰かが引き受けてしまった生き方に、
後から巻き込まれてしまう
『鬼滅の刃』における煉獄杏寿郎は、
まさにこのミメーシスの中心にいる人物です。
逃げない
堕ちない
勝てないと分かっていても戦う
そして彼は、鬼・猗窩座によって殺されてしまいます。
ここで決定的なのは、
煉獄が“殺されてしまった”ことです。
もし煉獄が生き延びていたら
もし廃人化していたら
もし鬼側に寝返っていたら
その瞬間、彼は「模範」や「教訓」にはなっても、
神話にはなりませんでした。
煉獄が死んだことによって、
彼は仲間たちの心の中に残り続ける存在になりました。
炭治郎たちは、煉獄の言葉を思い出し、
煉獄の姿勢を思い出し、
「もし煉獄さんだったらどうするか」を
自分の中で問い続けるようになります。
煉獄は死後、指示を出しませんし
命令もさません。
それでも彼は、常にそこにいる
そのあり方は、どこかイエス・キリストに似ています。
生きて導く指導者ではなく、
死後に規範として生き続ける存在としてのキリストに
この点で、鬼側──猗窩座の「敗北」は明確です。
戦闘としては勝利しています。
しかし、構造としては完全に負けてます。
鬼陣営にとって最悪の展開は、煉獄を殺してしまうことでした。
最善手は、
・廃人化させる
・信念を折る
・鬼側に引き込む
つまり、神話化を防ぐことだったはずです。
この構造は、実は歴史上にも繰り返し現れています。
第二次世界大戦後、
アメリカ(GHQ)が昭和天皇を処刑しなかった理由について、
しばしば次のように語られます。
昭和天皇は、マッカーサーとの会見で
「自分は死んでもよい。だが国民のことだけは守ってほしい」
という趣旨の言葉を述べた、と。
この逸話の史実性には慎重である必要があるが、
少なくともGHQが恐れていたのは明確です。
天皇を処刑すれば、
彼は敗戦の責任者ではなく、
殉教者=神話的存在になってしまう。
それは、日本人の記憶の中で
天皇をイエス・キリストのような存在に変えてしまい、
将来の再武装や再戦争の火種になりかねない
だからこそ、天皇は「生かされ」、
神話化を避けるために、
象徴として生かし続ける、という選択が取られました。
煉獄の場合、鬼陣営はその逆を選んでしまいまひた。
結果として彼は、
味方陣営の内部に「消えない規範」として宿ることになります。
ここで起きているのは、価値の伝達ではない
姿勢の感染である
成瀬あかりも、似た位置にいます。
彼女は誰かに影響を与えようとしない
理念も、理想も、社会的正義も語らない
それにもかかわらず、
成瀬を目撃した人々は、
自分の生活や選択を、わずかにズラされてしまう。
・やらなくていいことを、やってしまう
・無理だと思っていたことを、試してしまう
・忘れていた「本当はやりたかったこと」を思い出してしまう
これは倫理でも、教育でもない。
説得でも、啓発でもない。
ミメーシスとしての「立派さ」である。
⸻
◾️成瀬はなぜ“死なない煉獄”なのか
――引き受けられた生と、非英雄的ヒロイズム
煉獄杏寿郎は、死んだ
そしてその死によって、彼は物語の中で「残る存在」になりました。
彼の言葉は、
彼の選択は、
彼の背中は、
死後もなお、仲間たちの判断基準として機能し続ける。
それは悲劇であると同時に、ある種の完成でもありました。
では、成瀬あかりはどうでしょうか
成瀬は死なない
少なくとも、物語の構造上、
彼女が殉教的に退場する必然性はどこにもありません。
煉獄が担っていたのは、
「死によって規範を刻み込む」役割でした。
一方で成瀬が担っているのは、
「生き続けることによって規範を拡散させる」役割です。
これは実存主義が繰り返し語ってきた態度とも考えることができます。
実存主義において重要なのは、
「何を考えているか」ではない。
「どの立場を選び、その結果を引き受けているか」です。
人は、
理由があるから行為するのではありません。
行為してしまったあとで、自分がどのような存在だったのかを知ります。
サルトル流に言えば、
人はつねに、自分の選択によって
自分が何者であるかを証明してしまう
成瀬あかりの行動は、まさにこれと言えます。
彼女は説明しない
正当化もしない
意味づけすら、ほとんどしない
それでも彼女は、
「西武に通う」と決めたなら通い続け、
「M-1に出る」と言ったなら準備をし、
坊主にすると言ったなら、実際に坊主にする。
そこにあるのは主張ではなく、引き受けられた行為だけです。
成瀬は世界のために生きていません。
しかし、自分の選択から逃げない。
このの姿勢こそが、
彼女を実存的な主体として成立させている
煉獄が、
「死によって価値を純化させた存在」だとすれば、
成瀬は、
「生きることで価値を曖昧に引き受け続ける存在」だ。
英雄は、死んだ瞬間に神になる
しかし同時に、
模倣不可能な存在にもなる
成瀬は違います。
彼女は、いつまでも生きています。(作中では200歳まで生きると言っています)
失敗し、空回りし、ときに滑稽です。
だからこそ、
「自分にも、少しならできるかもしれない」
という錯覚を、他者に残してしまいます。
この錯覚こそが、現代における影響力の正体です。
成瀬は、
ヒーローであろうとしないことで、
結果的に、最も実存的な影響を与えてしまうのです。
煉獄が「死によって」規範を残したのだとすれば、
成瀬は「生き続けることによって」規範を残す
それは英雄的というより、
むしろ反英雄的なヒロイズムとも言えます。
しかし、
立派さが掲げられた瞬間に疑われてしまうこの時代において、
この反英雄性こそが、
最も自然な「立派さ」の形式なのだと私は思います。
成瀬は、煉獄のようには死にはしませんが、
その代わりに、煉獄が一瞬で刻みつけたものを、
日常の中で、何度も何度も引き受け直している
⸻
発達特性とヒーロー性──「空気を読まない」倫理
成瀬あかりという人物を読んでいると、
どうしても、ある読みが頭をよぎります。
彼女は、
ADHDやASDといったdsm-v発達特性の言葉で
読めてしまう存在ではないか、という感覚です。
もちろん、これは診断の話ではありません。
作中で成瀬が何らかのラベルを与えられることもないですし
作者がそれを意図していると断言する必要もありません。
ただ、そう「読めてしまう」距離感に、成瀬は立ってます。
・興味の対象が極端に限定されている
・周囲の反応を基準に行動を調整しない
・空気よりも、自分の内部ルールを優先する(自律、カント的)
・説明や共感を求めず、行為で完結してしまう
これらは、現代社会ではしばしば
「生きづらさ」として語られる特性でもあります。
しかし成瀬は、苦悩しません。
少なくとも、内省的には描かれません。
彼女は、社会に適応しようともしないし、
反抗しようともしません。
ただ、
自分のやり方で世界を通過していく
ここでもまた、煉獄杏寿郎の姿が重なってきます。
煉獄もまた、
・空気を読まない
・効率を考えない
・周囲の評価を基準にしない
という点で、
どこか「現代的には浮いた存在」でした。
彼は自分の役割を疑わず、
引き受け、
行動し、
そして死にました。
成瀬は死なない
しかし、煉獄と同じ回路を、
日常の中で反復していらと言っても良いと思います。
ここに、重要な転換があります。
現代において、
ヒーローは「完成された人格」としては成立しない
あまりにも正しすぎれば、嘘になる
あまりにも語れば、説教になる
あまりにも目立てば、炎上する
では、どのような人物ならヒーロー性を帯びうるのでしょうか。
答えは、
空気を読まない者です。
より正確に言えば、
「空気よりも先に、自分の引き受ける役割が決まってしまっている者」です。
成瀬は、空気を読まない
ですがそれは、反社会的な拒絶ではありません。
彼女はただ、
空気を“判断基準に置いていない”
この態度が、ある瞬間に、倫理へと転じます。
誰もが様子見をしているときに、一人だけ、動いてしまう
誰もが言い訳を探しているときに、一人だけ、引き受けてしまう
その姿は
説得よりも早く
共感よりも深く
他者の行動を変えてしまう
それが、
ミメーシスとしての影響力であり、
現代におけるヒーロー性の、ほとんど唯一の回路なのではないでしょうか。
成瀬あかりは、
「正しいこと」をしているわけではありません。
だが、
「自分のやり方で引き受けてしまった生」を
途中で投げ出しません。
この一点において、
彼女は、現代的なヒーローになってしまう
加えて、もう一つ考えておきたい問いがあります。
そもそも、
なぜこのような特性は、淘汰されずに残ってきたのか
という問いです。
もし成瀬あかりのような特性が、
ただ社会不適応で、非効率で、集団にとって不利なものでしかなかったなら、
人類史のどこかで消えていてもおかしくありません。
しかし現実には、
ADHDやASDと呼ばれるような特性は、
時代や文化を超えて、一定の割合で現れ続けています。
これは偶然とは考えにくいのではないでしょうか。
進化論的・人類学的に見れば、
人間の集団は、常に「平均的な適応者」だけで構成されてきたわけではありません。
むしろ
・周囲と違う行動を取る者
・空気を読まず、危険を顧みず動いてしまう者
・常識よりも内部ルールを優先する者
こうした特異点が、
集団の外縁で、あるいは転換点で、
重要な役割を果たしてきた可能性は高い。
-未知の土地に踏み出す者
-新しい道具や儀式を試す者
-皆が躊躇する中で、最初に動いてしまう者
彼らは、平時には厄介者だったかもしれません。
ですが、環境が変わる瞬間、
その「空気を読まなさ」こそが、生存の突破口になります。
成瀬あかりが持っているのも、
まさにこの特異点としての性質です。
彼女は、合理的ではない
効率的でもない
集団に合わせて最適化もしない
しかし、その代わりに、
誰もやらないことを、誰よりも早く引き受けてしまう
ここで重要なのは、
彼女が「優れている」のではないという点です。
彼女は、役割が違うのです。
平均化された社会では、
こうした特性は「生きづらさ」として現れます。
ですが、社会が揺らいだ瞬間、
この特性は、意味を持ち始める
煉獄杏寿郎が
勝てないと分かっていても前に出てしまったように
成瀬あかりもまた、
合理性とは別の回路で、行動を選んでしまう
だからこそ彼女たちは、
説明できない形で、
他者の行動や価値観を変えてしまいます。
現代社会は
こうした特異点を「矯正」しようとします。
空気を読め、説明しろ、合わせろ、と。
しかし物語は、
繰り返し別のことを語っている。
社会が前に進むとき、
最後に残るのは、
平均値ではなく、
説明不能な逸脱者の背中なのだ、と。
⸻
総評 ★★★★☆(星4)
結ーー立派さは、語れなくなったが、消えてはいない
成瀬シリーズを通して見えてくるのは、
立派さが消えたというより、
立派さが語れなくなったという事実です。
現代における立派さは、
物語の中心ではなく、
周縁で、私的に、無自覚に現れます。
成瀬あかりは、
その最も洗練された例のひとつです。
彼女は、天下を取りに行きませんし
世界を救いません。
誰かを導きません。
ただ、
自分の興味と選択と行為を、最後まで引き受けてしまう
その姿を見た人間だけが、
自分の中に沈殿していた何かを、
そっと思い出してしまう
また、本記事では、成瀬あかりという存在を手がかりに、
「立派さ」「ヒーロー性」「空気を読まない倫理」を、
DSM-V的特性とも重ねながら、かなりポジティブに描いてきました。
ただし、ここで一つ、意識的に差し引かなければならない点があります。
それは――
現実に、成瀬のように生きられる人間は、極めて稀だということです。
成瀬は、空気を読まないだけではない。
彼女は賢く、行動力があり、学力や運動神経にも恵まれ、
結果として「成功」や「成果」によって、後から理解されていく存在です。
しかし現実には、
同じような特性を持ちながら、
・成果が出ない
・才能に恵まれない
・説明も評価もされない
そうした人のほうが、圧倒的に多いです。
空気を読まないことは、
いつも倫理になるわけではありません。
多くの場合、それはただの「浮き」や「違和感」として扱われ、
誰にも理解されず、尊重もされず、
静かな孤独として引き受けられていく
この点において、本記事はやや理想化されています。
だからこそ、星を一つ減らしました。
成瀬あかりは、希望の像ではありますが、
同時に、現実から少し距離のある特異点でもあるのです。
そして――
この「距離」こそが、次に考えるべき主題です
次は、
その代表的な一作を取り上げる予定です。
それは、
社会に適応することもできず
抵抗することもせず、
ただ「役割」を演じ続ける人物の物語です。
成瀬あかりの延長線上に、
まったく違う形で立っているその主人公を通して、
もう一度、
「普通であること」「立派であること」の意味を考えてみたい
読んでくださってありがとうございました!
感想に共感いただけた方、もしよければチップいただけると嬉しいです。
次回作へのモチベーションになります!
また、この本を読んでみたいと思った方は、以下のリンクからご購入いただけると、今後の記事作成の励みになります。
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます
モチベアップに繋がります
また、リクエストがあればお願いします