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偶然は、次の偶然を連れてくる〜『桃太郎』から見える、人生の連鎖

「運の良い人」を、『桃太郎』で説明した

前回、『桃太郎』を、セレンディピティとして読み直す、という少し奇抜な挑戦をしました。

これは、先日のトークイベントで、初めてセレンディピティという言葉を聞くみなさんにむけてお話をする機会をいただいたので、「わかりやすく伝えられないかな」と悩んで、思いついた方法でした。

元々、おばあさんの行動特性が、「運の良い人に共通する行動パターンだ」というエピソードは有名で、それを思い出した時に、「ということは、セレンディピティ的な切り取りができるんじゃない?」と思い立ち、この記事を書いたのです。

前作を読んでいない方は、ぜひこちらを読んでみてください↓↓



なお、僕のnoteでは、記事の内容をより深く理解するためのアフタートークとして『音声配信🎧』を行なっています。 記事には書き切れなかった補足や、読者がさらに理解を深められる視点を提供していますので、セットでお楽しみください。



前回のおさらい:『桃太郎』で見えてきたこと

実際書いてみると、「わかりやすかった」と声をかけていただきました。

前作を書いている中で、これまでにnoteで書いてきたことが、どんどん結びついてしまって。「これは数回に分けて、書かなければいけない」と思うようになりました。

なので、新しい挑戦として、この『桃太郎』を題材に、セレンディピティについてどこまで解説できるかを、シリーズでお届けしていく、第2弾!!!

前回は、桃の想定外の出来事によって、その目的や意味が書き換えられたという話だった。食べ物としての期待が、子どもへの思い・願いに変わった瞬間、桃は"ただの果物"ではなくなった……というのが前回のお話。


そして、実は、
あの物語には、
もう一つ大事なセレンディピティが隠れていて。


あなたの人生を振り返ってみてください。

今の仕事
今、隣にいる人
今、大事にしている考え方

そのどれもが、最初はたった一つの偶然から始まっているかもしれません。就活で偶然目に留まった会社。飲み会で偶然隣に座った人。偶然開いたSNSの投稿。でも、その偶然は一回で終わらず、次の偶然を連れてきたはずです。

今日は、
一つの偶然が、どう次の偶然へとつながっていくのか
そんな話をしてみたい。


まだ何も、始まっていなかった日

あの日、おばあさんが川で桃を拾った瞬間、頭にあったのは晩ごはんのおかず、もしくは食後のデザートぐらいのものだったと思う。少なくとも「この桃が鬼退治につながる」なんてこと、誰も想像していなかった。(しかも、鬼退治にいくのは、そこから15年後のことだから、なおのこと。)

同じことが、僕たちの毎日にも起きています。今日たまたま参加した集まり、今日たまたま返信した一通のメッセージ……、その瞬間、後にそれがどうつながるかなんて、誰にも見えていないからこそ、僕たちはその偶然に目もくれず、軽く扱ってしまいがちなのです。

時間を先に進めてみると、こうなります。

・拾う
→・親になる
→・桃太郎が育つ
→・旅に出る
→・仲間ができる
→・鬼退治
……

一本の線として、事後的に並べて振り返ってみると、まるで最初から仕組まれていたように、自然な流れに見えてくるから不思議です。

でも、それぞれの矢印の手前に立って、次を見てみてほしい
桃を拾った瞬間、親になる未来は見えていない。子どもが生まれたという喜びの最中に、旅立ちの気配はどこにもない。旅に出たあの日、頭にあったのは「鬼退治」という目的だけで、そこで犬・猿・雉という仲間に出会うことも、実際にどう戦うことになるのかも、まだ何一つ見えていなかったに違いない。


僕たちは、人生を、点で生きている。
それを理解できるようになるのは、線になったときだけだ



一段ずつ、次の展開は見えないまま、ただ「今」だけが積み重なっていく。

キャリアの語源は「轍(わだち)」だと、以前noteで取り上げたことがある。轍は、走った後にしか残らない。走っている最中の車には、それが見えていない。桃太郎の道のりも同じだった。歩いている最中には、それが轍になるかどうかなんて、誰にもわからないんだ。


偶然は、次の偶然を連れてくる

これは、前回書いた「割る」という話とつながっていて、桃を割ったことで、食べ物への期待が、子どもを育てるという思いに書き換わったという話をした。でも、あの意味の変換は、そこで終わりではなくて、むしろ、次の偶然を呼び込む土台になっていくのは、その後の展開で、ご存知の通り。

鬼退治と、桃を拾ったことに、直接の因果は無い。一見すると、『風が吹けば桶屋が儲かる』みたいな飛躍した話にも見えるけど、でも物語をたどってみると、その間には、小さな出来事が一つずつ積み重なっている

僕たちは、偶然と聞くと、つい「一回きりの"単発"の出来事」として扱ってしまいがちだ。良い人に出会った。たまたま声をかけられた。運よく機会が回ってきた。そこで話を終わらせてしまうことも、少なくない。

でも本当は、一つの偶然が意味を持った瞬間、その意味は次の偶然を受け止める土台になる。土台がなければ、次の偶然は素通りしてしまうわけで、その土台があるから、次の偶然を拾い直せる。

桃太郎の物語が教えてくれるのは、まさにこの連鎖なんだよね。一つの偶然は、一つの結果で終わらない。自分の人生においても、同じ連鎖を見つけられるはずです。

あの偶然の出会いが、あの選択につながり、その選択が、また次の偶然を連れてきた。振り返らないと気づきづらいんだけど、連鎖は、誰の人生にも走っているんだ。


短い連鎖と、長い連鎖

ここで、一つ断っておきたいことがあります。

ここまでの書き方だと、「偶然」は、まるで良いことばかりのように読めてしまうかもしれません。もちろん、そんなことはありません。

財布を落とす。
電車に乗り遅れる。
会議に遅刻する。

これだって、立派な偶然の連鎖ですよね。面白いのは、こういう"負"の連鎖の方が、むしろ気づきやすく、僕らの印象に残りやすいということです。

財布を落とす。

電車に乗り遅れる。

会議に遅刻する。

評価が下がる。

「財布を落とした、あの瞬間から全部がおかしくなった。」
そんな物語は、誰にでもすぐに作れます。数時間、数日という短い時間の中で出来事が積み重なるからこそ、僕たちはその"連鎖"に気づきやすいのです。


一方で、桃太郎の連鎖はどうでしょう。
桃を拾ってから、鬼退治まで十五年。

出会い、学び、子育て、転職、創業……、僕たちの人生にも起こる大きな転機は、多くが数年、時には十数年という長い時間をかけて、つながっていきます。

周期が長すぎると、僕たちはそれを「連鎖」として見ることができません。代わりに、「あのとき、運が良かった。」そんな一言で片づけてしまうことも少なくありません。でも、長い時間をかけて振り返ると、その間には、小さな偶然が何度も積み重なっていることに気づくことがあります。

そして、もう一つ。
短い連鎖の始まりだった"不運"も、長い時間の中では、まったく違う意味を持つことがあります

事故・失敗・異動
失恋・倒産・病気……

その瞬間は、「悪い出来事」としか思えなかったものが、数年後には「あれがあったから今がある」と語られることは、決して珍しくありません。出来事そのものは変わらないのに、人生の中で、その出来事が持つ意味が、後から変わることがあります。

失敗を経験したから、次に出会った人の言葉が深く刺さる。
刺さったから、動く。
動いたから、また別の出会いが生まれる……。


意味が変わる。行動が変わる。出会う偶然が変わる。
不運もまた、この長い連鎖の中に、ちゃんと組み込まれているのです。だから僕は、セレンディピティが扱っているのは、「良い偶然」ではなく、長い時間をかけて意味が立ち上がってくる偶然、なんだと思っています。

見えないから、振り返るしかない。
振り返るから、物語になる。

そう考えると、桃を拾ってから鬼退治までの十五年間こそが、この物語の本体だったのかもしれません。


桃太郎だけの話じゃない

さて、今回は桃太郎の視点で、"連鎖"を追ってきました。

でも、この物語には、桃太郎以外にも登場人物がいます。
そう、犬、猿、雉です。彼らは、きびだんご一つで仲間になった脇役として描かれます。でも、彼らにも、彼らなりの"その日"があったはず。

桃太郎にとっては、旅の始まりだった日。

では、犬にとっては
猿にとっては
雉にとっては ……
あの日は、それぞれの人生が書き換わり始めた"偶然の日"だったのかもしれない。そして、その連鎖の先に、鬼退治があった。

でも、鬼退治だけがセレンディピティを指すのではない。そこへたどり着くまでに積み重なった、いくつもの偶然との向き合い方が、あの結末を生み出した。


その積み重ねの中で、
一つひとつの偶然を
意味あるものへと変えていく営みこそが、
僕の考えるセレンディピティ
なんです。


そう考えると、この構造は、セレンディピティの語源である『セレンディップの三人の王子たち』とも重なるところがある。あの物語も、一度の幸運では終わらず、偶然が次の偶然を呼び、その連鎖の中で物語が進んでいく。

桃太郎の物語は、「鬼退治」という結果だけを描いた話じゃない。

一つの偶然が、少しずつ人を変え、行動を変え、仲間を増やし、最後に社会へ影響を与えた物語だった

次回は、その景色から、この物語をもう一度眺めてみたいと思います。

このシリーズでは、桃太郎という物語を通して、セレンディピティの構造を少しずつ読み解いていきます。


094.
偶然は、次の偶然を連れてくる
〜『桃太郎』から見える、人生の連鎖
Fin.


🔗 この記事と、糸がつながっている話

📖「計画的偶発性」から考える
〜一人称で語るキャリアとセレンディピティ

キャリアの語源が「轍」だという話。本作の「後から線になる」は、この轍の話の続きでもあります。

📖セレンディピティは"人をどう変えるのか"
セレンディピティが、人をどう変えていくのかを起点にした回。094の「偶然の連鎖」は、まさにこの問いの続きです。


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三上浩紀:Catalyski CEO | セレンディピティオタク| 点と点をつなぐ人 | 8枚の名刺 いただいたサポートは、私の知見を広げてくださる出会いとの交流に充てます。具体的には、お茶代、本代、もしくはここで繋がった方とのコミュニケーション代などです。それをnoteへの投稿で還元していきたいと思います。