【第3回】「粋」は幕府へのリベンジ? 江戸の奢侈禁止令が生んだ「隠す贅沢」
前回、和菓子の「甘さ控えめ」が上品とされる理由について、茶道の引き算や禅の思想が関わっているという話をみてきました。
書きながら「なるほどな〜」なんて思っていたのですが、ふと別の疑問が浮かんできます。
その「引き算」の精神は、今の私たちのファッションにも、まるで呪いか遺伝子みたいに深く刻まれているんじゃないか?
たとえば、平日の朝の品川駅や新宿駅。
改札から吐き出されてくる人たちの群れを眺めていると、圧倒的に「黒、紺、グレー」が多いですよね。
これ、単に「無難だから」とか「目立ちたくないから」という理由だけで片付けていいものなのかな、と。
もしかしたら私たちが今日選んだその「地味な色」の裏側には、数百年前の江戸の町人たちが幕府相手に繰り広げた、めちゃくちゃ知的で、そして少し意地悪な「リベンジの歴史」が隠れているのかもしれません。
「贅沢は敵だ」という、お上からのガチガチの制限
江戸時代。
幕府は町人たちに対して「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」という、今でいう「贅沢禁止ルール」を何度も出していました。
「お菓子に高い砂糖を使いすぎるな」とか「着物に派手な色や刺繍を使うな」といった、現代の校則よりも細かいレベルの制限です。
これ、単に「みんなで節約しましょう!」という健全な話ではありませんでした。
幕府の本当の狙いは、「金を持った町人が、貧乏な武士より豪華な暮らしをして、身分制度(士農工商)のピラミッドを揺るがすのを防ぐこと」にありました。
「お前ら町人がいくら稼いだところで、身分が上の武士より目立つことは許さないぞ」という、統治のための強力なコントロールだったわけです。
普通なら、ここで「不公平だ!」って暴動が起きてもおかしくないですよね。
でも、江戸の町人たちはもっとしたたかでした。
彼らが選んだのは、真っ向勝負ではなく「ルールの隙間を突く」という、最高にクリエイティブなカウンターだったんです。
48色の茶色と、100色のグレーという狂気
「派手な色を使うな」とお上に言われた町人たちが何をしたか。
彼らは、許された数少ない地味な色……「茶色」や「鼠色(グレー)」を徹底的に掘り下げ始めました。
そこで生まれたのが「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」という色の世界です。
一口に「茶色」と言っても、赤みがかった茶色、黄色に近い茶色、くすんだ茶色……。彼らはその微妙なニュアンスの違いに名前をつけ、自分たちだけの「超微差のファッション」を楽しみ始めたんです。
これって、冷静に考えるとものすごい「執念」だと思うんですよね。
制限された枠の中で、お役人には「あ、地味ですね。合格!」と言わせつつ、仲間内では「お、その絶妙な鼠色、いい仕事してるね」と認め合う。
お上の目をスルーするための「究極の保護色」を、世界で一番洗練された「おしゃれ」に昇華させてしまった。
これが「粋(いき)」という言葉の、一つの正体だったんじゃないかとも思えてくるようです。
「裏勝り」という、大人すぎる皮肉
さらに江戸の町人たちの「リベンジ」が加速したのが、「裏勝り(うらまさり)」という文化です。
「表地を派手にするのがダメなら、裏地を思いっきり豪華にしてやろう」 そんな発想で、パッと見は地味なグレーの着物なのに、ふとした拍子にめくれる裏地には当時の年収が吹き飛ぶような高価な絹や、精巧な刺繍が施されている。
これこそが、幕府に対する最高の「精神的勝利」ですよね。
「お役人さん、俺たちの格好、地味でしょ? でも実は、あなたの給料じゃ一生買えないような贅沢を、この裏側に隠してるんですよ」っていう、強烈な皮肉とプライド。
「見せびらかす贅沢」は野暮だけど、「自分だけが知っている贅沢」こそが本物の美学である。
そんな価値観が、この時代に完成したわけです。
東京の「ノームコア」と、大阪の「あきんど魂」
この江戸時代の「お上との駆け引き」の構図を今の日本に当てはめてみると、東京と大阪のファッションの違いが、驚くほどスッキリと説明できてしまいます。
東京(江戸)は、今も昔も「お上」の目が光る政治の街です。
周囲の空気を読み、ルールから逸脱せず、その中でいかに「洗練」を見せるか。
現代の東京で見かける、一見地味だけど素材やシルエットにこだわった「ノームコア」や「オフィスカジュアル」は、江戸の町人たちが役人をスルーするために編み出した「保護色の遺伝子」そのものに見えてきます。
一方で、大阪(大坂)は「天下の台所」と呼ばれた商人の街でした。
もちろん幕府のルールはありましたが、物理的な距離もあったし、何より街の主役は「お役人」ではなく「商人(あきんど)」でした。
彼らにとって、地味にしていることは「景気が悪そう」に見えるリスクでしかない。
「いかに目立って、景気よく見せて、商売を繁盛させるか」が正義だったからこそ、自分の個性をストレートに表現する華やかな色使いやデザインが好まれる文化が育ったんです。
「東京は地味、大阪は派手」という単純な比較の裏には、実は「誰の目を意識して生きてきたか」という数百年の歴史の積み重ねがある。
そう考えると、駅の雑踏の景色が、なんだか壮大な歴史ドラマのワンシーンに見えてくるような気がしませんか?。
私たちが「黒」を着る理由
こうして見てくると、私たちが「甘さ控えめ」を上品だと感じたり、無意識に「地味な色の服」を選んだりするのは、決して私たちが保守的だからではない、ということがわかってきます。
それは、限られた制限の中でいかに自由を見つけるか、という「遊びの精神」の現れなんじゃないか。
お上に管理されそうになっても、その裏側でこっそり自分だけのこだわりを貫く。 そんな江戸の町人たちの「したたかさ」が、私たちの選ぶ服の色の中にも、きっと息づいているんだと思える。
「地味=無難」ではなく、「地味=高度な駆け引きの結果」。
そういう目で服たちを見直してみると、明日クローゼットから取り出すいつものグレーのジャケットも、なんだか「戦装束」のような、誇らしいものに思えてくるから不思議なものです。
でも、そんな「完璧に計算された日本の美学」にも、「落とし穴」がある。
それが、お着物。
「着物だとあんなに素敵なのに、そのままの配色や生地を洋服にするとどうしてこうなっちゃうの?」という、あの不思議な違和感。
次は、日本の気候や光の加減が作り上げた「着物の魔法」と、洋服の「設計図」の違いについて、もう少し深掘りしてみようと思います。
連載「甘さと装いの文化人類学、日欧「美意識」の衝突」
この連載は全4回で完結予定です。
マロングラッセという一粒の宝石を入り口に、砂糖の価値、江戸の美学、そして現代のファッションまでを横断する事になりました。
各記事は以下の目次から!
【総合目次】甘さと装いの文化人類学、日欧「美意識」の衝突
◀ 前の話:「甘さ控えめ」は上品か? ヴェルサイユの「足し算」と、茶道の「引き算」
▶ 次の話:なぜ着物の配色を洋服にすると「垢抜けない」のか? 光と影の設計図
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