【第1回】「砂糖=金」だった時代。マロングラッセを贈るのが「永遠の愛の証」だった訳
マロングラッセ。
デパ地下とかの綺麗な箱に、恭しく一粒ずつ包まれて入っているあの栗のお菓子。
容易に一口で食べられるサイズでありながら、何故かフォークやスプーンで頂くのがふさわしい、とすら思えてくるちょっと(いい意味で)緊張感もあるお菓子だと思う。
仕事でマロングラッセを扱う事になって、その発祥とか文化的背景についてあまり知らなかったので、Geminiさんに尋ねてみた。
マロングラッセはどこの国のお菓子?
作られた歴史的背景とか、エピソードがあれば教えてほしい
こんな問いかけから成り立ちを調べていくと、マロングラッセって単なるお菓子じゃなくて、かつての権力者たちが文字通り「命がけ」で手に入れた結晶だったことが見えてきた。
今回はそんな、甘くて重厚な、マロングラッセの裏側にあるお話をしようと思います。
16世紀から続く、フランスとイタリアの「本家争い」
出鼻をくじかれたのが、マロングラッセには「どこの国が作ったのか」という明確な答えがいまだにないという点。
今でも北イタリアのピエモンテ州と、フランスのリヨンやアルデッシュ地方が、「いやいや、うちこそが元祖だ!」って火花を散らしている。これ、16世紀頃からずっと続いてるらしい。
(なんだか日本の銘菓やラーメンみたいだ)
美食の国同士が、栗一粒のために何百年も言い合ってる。これだけで、このお菓子がどれだけ特別な存在だったかが見えてきますよね。
ただ、どちらの説にしても共通しているのは、マロングラッセが「ありふれた山の幸」を「究極の宝石」に変えるために生み出された、という点。
砂糖という名の「白いゴールド」
ここからが本題になりますが。
マロングラッセをあんなに高貴な存在に押し上げた正体は、栗そのものというより、実は「砂糖」にありました。
現代の感覚だと、お砂糖ってスーパーで数百円で買えるし、なんなら「摂りすぎ注意」なんて言われる存在ですよね。
でも、11世紀〜13世紀頃、十字軍が東方から砂糖を持ち帰り始めた頃のヨーロッパでは、話が全然違ったようです。
当時の砂糖は、なんと「同じ重さの銀」や「金」と交換されるほどの超激レア物質だったという。
イギリスの王室の記録でも、砂糖1ポンド(約450g)が熟練職人の数ヶ月分の給料に匹敵した、なんて話があったりする。
つまり、当時の砂糖は「調味料」じゃなかった。 持っているだけで富と権力を証明できる、「ステータスシンボル」そのものだったんですね。
想像してみてください。
冷蔵庫もない、甘いものといえば蜂蜜くらいしかなかった時代に、遠い東の国から命がけで運ばれてきた「真っ白で、口に入れると脳が溶けるような甘み」。
それはもうかなりの衝撃だったはず。
庶民のパンを「宝石」に変える魔法
ここでマロングラッセの「栗」に話を戻します。
もともと中世ヨーロッパにおいて、栗は「山の主食(木になるパン)」と呼ばれていました。
穀物が育たない山岳地帯の人たちにとっては、飢えを凌ぐための切実な食べ物。
いわば、一番身近で、一番「庶民的な」食材だったわけです。
そこに、当時の最高級な嗜好品「砂糖」を、これでもかと投入した。
これって現代で言えば、「近所の道端に落ちている石を、最先端のナノテクノロジーで加工してダイヤモンドにする」みたいな、ある種の錬金術的な発想だったんじゃないかな、と思える。
宮廷の菓子職人たちは身近にあった栗を、最高級のお砂糖を使って究極の贅沢品に変えた。
そうして出来上がったマロングラッセは、ルイ14世のヴェルサイユ宮廷で大流行し、「宝石のようなお菓子」としての地位を確立していった。
庶民の食べ物だったはずの栗が、お砂糖という「権力の衣」を纏うことで、王族しか口にできないものへと変貌した。
この過程こそが、マロングラッセの魅力の正体なのではないか。
万能薬としてのマロングラッセ
さらに興味深いのが、これほど高価だったためお砂糖は最初、「お菓子」ではなく「薬」として扱われていた、という事実です。
王族や貴族が体調を崩した時に、お医者さんが「万能薬」として処方していたんだとか。
マロングラッセを食べるということは、当時の感覚で言えば「最高級のサプリメント」を摂取するような感覚に近かったのかもしれません。
そう考えると、現代の我々が仕事で疲れた時に「あ、甘いもの食べたい……」って思うのは、実は数千年前からの「砂糖=薬」という本能的な記憶が、どこかで繋がっているような気もしてくる。
永遠の愛を誓う、アレクサンドロス大王のロマンス
マロングラッセが高いのは、単に材料が豪華だから、というだけではありません。
そこには、ヨーロッパで今も大切にされている「ロマンチックな文脈」が乗っかっているんです。
フランスなどでは、「男性が女性にマロングラッセを贈るのは、永遠の愛を誓う証」という文化があります。
このいわれは、紀元前マケドニアのアレクサンドロス大王が、最愛の妻ロクサネ妃のためにマロングラッセを贈った、という話がルーツだとされているんだそう。
無骨な軍人のイメージが先行している人物にも、こんなエピソードがあるというのは親近感が増してくる。
数千年前の英雄が、愛する人のために特別に用意させた甘い栗。
それが時を超えて、今の私たちのバレンタインやクリスマスといった風習に繋がっているのかもしれないといのは感慨深さすら感じます。
失敗から生まれた「マロン・ペースト」の奇跡
さて、そんな「高嶺の花」だったマロングラッセも、19世紀末の産業革命の時代に、大きな転換期を迎えます。
1882年、フランスのエンジニアであるクレマン・フォジエが、マロングラッセを工場で工業的に生産し始めました。
でも、ここで問題が発生します。 繊細な栗の形を保ったまま砂糖漬けにするのは至難の業で、どうしても製造工程で形が崩れてしまう「割れ栗」が大量に出てしまったんです。
普通なら「あーあ、失敗作だ」で捨ててしまうか、「訳あり品」として安売りして終わる話です。
でも彼は違った。 「この砕けたマロングラッセをすり潰して、バニラを加えてペーストにしてしまおう!」と思いついたんです。
これが、今私たちがモンブランなどで当たり前に食べている「マロン・ペースト」の誕生の瞬間でした。
失敗が結果的に世界中のスイーツ文化を豊かにしたという話は、歴史は必然と同じかそれ以上の偶然によって彩られていると感じられておもしろいですよね。
私たちが一粒のマロングラッセに見るもの
こうして歴史を辿ってみると、マロングラッセって、ただ甘いだけのお菓子じゃないんですね。
フランスとイタリアの意地の張り合い
金と同じ価値があった砂糖の権威
アレクサンドロス大王の遠いロマンス
そして、失敗を傑作に変えた職人の機転
これだけの物語が、あの一粒にギュッと濃縮されている。
次にお店で見かけた時は、奮発して一粒買ってみようか……なんて思ってしまう。
結局のところ、私たちが何かを「高い」とか「贅沢だ」と感じるのは、そのモノの原価だけを見ているのではなく、その背景にある「人間の情熱」や「歴史の積み重ね」を感じ取っているからなのかもしれませんね。
次は、この「砂糖」という強力な武器が、ヨーロッパの「マウンティング文化」をどう加速させていったのか……という、話をしようと思います。
連載「甘さと装いの文化人類学、日欧「美意識」の衝突」
この連載は全4回で完結予定です。
マロングラッセという一粒の宝石を入り口に、砂糖の価値、江戸の美学、そして現代のファッションまでを横断する事になりました。
各記事は以下の目次から!
【総合目次】甘さと装いの文化人類学、日欧「美意識」の衝突
◀ 前の話:**この記事が連載1話めの記事です**
▶ 次の話:「甘さ控えめ」は上品か? ヴェルサイユの「足し算」と、茶道の「引き算」
最後までお読みいただきありがとうございました!
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