【幕末・明治の歴史巡り①】横浜開港記念館へ
幕末(開国から大政奉還まで)の歴史はもともと好きでしたが、『不思議の国のバード』や『完訳 日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)を読んで以来、興味は明治初期にも少しずつ広がっています。
今回、午後から東京に行く予定があったので、午前中から有休をとって、以前から行きたかった横浜開港資料館と、新橋にある旧新橋停車場にも行くことにしました。
この記事では、横浜開港資料館について、書いてみようと思います。
最初に1人先客がいたものの、すぐにいなくなってしまい、館内はほぼ貸し切り状態でした。
古い洋館に一人だけ取り残されたような気分で、少し怖い気もしましたが、ゆっくりと自分のペースで見ることができました。
建物は、旧英国総領事館
高校生の時に一度行ったことがあるような気がしていたのですが、それはどうやら神奈川県立歴史博物館(現在休業中)だったらしく、開港資料館に行ったのは今回が初めてでした。

この建物は、もともとは英国総領事館として建てられたものです。

開港直後神奈川宿の浄瀧寺におかれていた英国領事館は、1869年(明治2年)頃にこの地に移されました。
当時の建物の様子が絵に残っています。

イザベラ・バードが横浜に滞在した1878年時点の英国総領事館は、この絵に描かれたものだったことになります。
ところが、バードが訪れたと思われる英国総領事館の建物は、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊してしまいます。そして、1931年に再建された建物が、現在の横浜開港資料館の旧館になっています。
1972(昭和47)年に英国総領事館が横浜で業務を停止した後、1981(昭和56)年に横浜開港資料館として生まれ変わりました(新館はその時に建設された)。
私は日本大通り側の西門から入りました。

上が旧館、下が新館
ちなみに、帰りに出たのは東門だったようです。
正面玄関の写真は撮っていませんでした。

この横浜開港資料館は、長らく休館していましたが、今年4月1日にリニューアルオープンしました。
ちょうどその記念として、特別公開のイベントが行われているところでした。

チラシ表

チラシ裏
開港資料館を訪れたのは、先週、7/17(金)のことでした。
7/20(月)までの公開だったので、会期終了ギリギリで見に行けてよかったです。
通常は資料保存のため複製が展示されるそうですが、この期間は記念として原本が公開されていました。原本を見ることができたのは、とても貴重な機会だったと思います。
展示
記念室(総領事室)
1階の記念室(総領事室)では、英国総領事館の歴史と、幕末から明治にかけて活躍した外交官アーネスト・サトウに関する資料が展示されていました。

英国領事館らしい重厚感のある部屋でした。
絨毯を踏んでよいのか分からず、踏まないよう壁際を歩いてしまいました。
部屋の奥には、こんな展示もありました。

また、アーネスト・サトウが妻にあてた手紙の写真がパネルに掲載されていたのですが、その達筆ぶりに驚きました。
達筆という言葉がふさわしいのかは分かりませんが、少なくとも私には読めませんし、もちろん書くこともできません。

ああ・・・『遠い崖』も早く読み進めなくては。時間がなくてなかなか進みませんが、サトウについて知れば、この資料館ももっと楽しめそうです。
展示室1
「横浜開港への道」というタイトルで、ペリー来航とその前後の世界や日本、横浜の様子が紹介されていました。
有名な、「ペリー提督・将兵の横浜上陸図」や

ペリーを描いたさまざまな絵、

『ペリー提督日本遠征記』の展示もありました。

瓦版や横浜浮世絵の展示もあり、なかなか見応えがありました。
色鮮やかな浮世絵からは、開港当時の横浜の活気が伝わってきました。また、当時の写真も残されており、幕末の横浜の風景を具体的に思い描くことができました。
横浜開港という出来事を、当時の資料を通して見ることができ、とても興味深い展示でした。
展示室2
「街は語る~開化ヨコハマ~」というタイトルで、関内や山手の外国人居留地の様子をいろいろな資料から見ることができました。
元町商店街の様子や、幕末から明治初期に発行された英語やフランス語の新聞、日本で最初の日刊紙「横浜毎日新聞」のレプリカも置かれていました。
解説によると、横浜毎日新聞の創刊号の原本は群馬県で発見されたそうです。また、この展示室に展示されていた別の原本は、佐賀県で江戸時代から続く製薬所の倉庫から、木箱の下敷きになった状態で見つかったとのことでした。横浜から離れた場所で見つかっているという点も興味深く感じました。
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)にも登場する、ヘボン邸(山手245番)の写真も、鮮やかな1枚が展示されていました。また、ヘボンが編纂した「和英語林集成」も原本が展示されていました。
他には、外国人の内地旅行免状もあり、バードが発行してもらった旅券はこんな感じのものだったのかと思いました。
また、現在の大さん橋の当時の様子を写した写真、横浜駅舎のジオラマや周辺の写真もありました。
当時の横浜に思いを馳せながら、展示を見て回りました。
展示室3
私が最も印象に残ったのは、この展示室3でした。
1923(大正12)年の関東大震災と1945(昭和20)年の横浜大空襲で、横浜の中心部は焼け野原となってしまいました。横浜に関する貴重な歴史資料が多く失われてしまったのですが、そうした状況の中で開港資料館は多くの資料を収集し、その数は約27万点にも及ぶそうです。
展示室ではそれらの資料を、①古文書、②海外資料、③絵地図、④古写真・絵葉書、⑤瓦版・浮世絵、⑥商標の六つに分類し、それぞれの特徴を紹介していました。
残された資料から、ここまで当時の横浜の姿がよみがえるのかと思うと、資料の価値の大きさを改めて感じます。
その他、山手、中華街、元町の歴史や当時の様子がわかる展示が続きました。現在の風景と重ね合わせながら見ることができ、とても興味深かったです。
日米和親条約締結の地
横浜開港資料館の敷地は、日米和親条約が締結された場所としても知られています。

横浜の近くに住みながら、ここが条約締結の地だとは知りませんでした。
上で紹介した「ペリー提督・将兵の横浜上陸図」という絵の右側に、木が立っているのがわかるでしょうか?

この木こそ、現在も資料館の敷地に残る「たまくすの木」でした。
たまくすの木
「ペリー提督・将兵の横浜上陸図」の絵にも描かれている木は、現在は旧館と新館に囲まれるように、大切に保存されています。


「たまくすの木」について詳しくは、以下のページで読むことができます。


1866(慶応2)年の大火と1923(大正12)年の関東大震災という二度の大きな災害を乗り越え、今もなおこの場所に立ち続けているのかと思うと、とても感慨深いものがあります。
これからも横浜の象徴として大切に残していってほしいなと思います。
閲覧室
この建物の地下には、閲覧室があります。
以前書いた Exercises in the YOKOHAMAの改訂増補版(1879年)と第2版(1874年)も所蔵されているようです。(デジタルアーカイブでは公開されていませんでした。)
研究目的であれば申請して閲覧できるそうですが、私のような個人的な興味だけでお願いするのは少し気が引けて、今回はやめておきました。
おみやげ
いろいろ買いたくなってしまったのですが、ぐっと我慢して少しだけにしました。
1895年の横浜居留地の様子をうつす地図のパンフレット、横浜真景一覧図絵のクリアファイル、ハガキ三枚(「ペリー提督・将兵の横浜上陸図」、「初代横浜駅舎」、「二代目横浜駅舎」)。

今は丸めてあって、もったいなくて開けないので、お借りした写真を載せておきます。
ペリーの日本遠征を伝える「絵入りロンドン・ニュース」の複製画。
これをお土産として購入しました。
広げて飾れる額を買おうかと思います。

他にも魅力的な図録やグッズがたくさんありました。
次に行きたい展示会
横浜開港資料館と横浜都市発展記念館の共同開催で、こんな展示会が開催されるそうです。この日は7/17(金)だったので、1日早かった!
残念でしたが、また日を改めることに。

7/31(金)に、息子の高校で三者面談で横浜に行くので、その前に行ってみようかと思います。
すぐそばに新聞博物館もあったし、現在休館中の神奈川県立歴史博物館も10/17にリニューアルオープンするそうです。
次の楽しみが、また一つ増えました。横浜には、訪ねてみたい歴史スポットが、まだまだありそうです。
長くなってしまったので、今回はここまで。
このあと訪れた旧新橋停車場については、次の記事で書いてみたいと思います。
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