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Unbeaten Tracks in Japan (6):第3報 「江戸」@江戸、英国公使館(5/24)

第3報には、興味深い記述が数多く見られます。


江戸と東京

明治維新後、「江戸」は「東京」と呼ばれるようになりますが、しばらくの間は「江戸」の表記もまだ見られたようです。ある機関誌での記載の変遷について、注釈で少し触れられていたのが面白かったです。

バードは「江戸」と「東京」について以下のように書いています。
江戸と東京のイメージがよくわかりなかなか興味深いです。

江戸は旧体制と幕府にふさわしいのに対し、東京は新体制と10年の歴史を持つ維新政府にふさわしい。だから、鉄道で江戸に行くというと違和感を感じるけれど、目的は東京であるといえばまったくおかしくはない

『完訳 日本奥地紀行』 第三報

「江戸」・「蝦夷」の英語表記、その他、日本語の英語表記

改めて確認してみると、江戸は Yedo 、蝦夷は Yezo と表記されていますが、これは当時の日本語では「え」が「ye (イェ)」に近い音だった・・というか、少なくとも外国人にはそう聞こえたからなのですよね。
「円」がyenなのも同じ理由かと、今更ながら納得。

バードによる日本語の単語の英語表記は、少し揺れがあるものの、なるべく聞いた通りの音を忠実に記載しようとしているのがわかります。
例えば東京であれば「Tôkiyô」、京都であれば「Kiyôto」などなど。
『完訳』でも表記の工夫はされているのですが、こういった音がわかる表記は原文ならではの楽しさかもしれません。

『完訳』の「凡例」の記載によれば、表記はヘボンの辞書に依拠しているとのことで、誤りがある場合は完訳の方にルビによる記載があるので、英日を並べて読むとなかなかよいです。(本文は原文をメインに『完訳』を参照しながら、そして、『完訳』の訳注は本文と同じくらいしっかり読むんで、少しずつ少しずつ読み進めています。)

この後いろいろな日本語の単語が出てきますが、音にも注目していきたいと思います。
実際の音の記録が残っていなくても(当然ですが)、外国人に聞こえた音が実際とは違うものだったかもしれなかったとしても、こういう表記から見えてくる音の記録はとても面白いなぁと思います。

鉄道について

駅や改札の様子や、車両の様子(今の多くの電車同様、車両の両サイドにシートがあった)が詳細に書かれています。
横浜から品川、新橋へ向かう景色も詳細に記されているのですが、今の東海道線(JR)から見る景色からはとても想像がつかないような緑豊かな景色が広がっていたことが分かります。また、人力車が走る東海道や海の様子、芝離宮庭園や浜離宮庭園まで見えたこと書かれています。

モースは貝の採集を目的に来日し、文部省から採集の許可を得るために文部省へ出向くのですが、その際横浜から東京(新橋)へと向かう電車の中で、大森駅を過ぎてからすぐの崖に貝殻が積み重なっているのを発見したそうです。その後文部省を訪問したところ、東大の教授の就任を請われたとか。
モースもお雇い外国人の一人だったというのは全く知らなかったので、このあたりももう少し突き詰めて調べてみると面白そうだなと思いました。

今は大森駅あたりで電車の窓の外をみても海は見えませんが、当時は見えたのですね。一体どんな景色だったのでしょうか?


なんと、初代横浜駅(現在の桜木町)にある「旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)」では、鉄道創業時の蒸気機関車を見ることができるそうです。

桜木町には時々行きますが、旧横ギャラリーの存在は知らなかったので、横浜開港資料館とあわせて、近々行ってこようと思います。

日本人評

第1報でも、船頭の人物描写(しわくちゃで貧相、がに股、猫背、胸がへこんだように見えるなど)が描かれていたのですが、この報でも日本人描写が登場します。

今回もまた、『完訳』から引用します。

日本人は洋服を着ると本当に小さく見える。どの服も似合わない。その貧相な体格や内側にへこんだように見える胸、蟹股といった国民的欠陥が際立つのである。

『完訳 日本奥地紀行』 第三報

明治時代になって洋服を着る女性が登場したものの、外国から入ってきたドレスをそのまま着ていたのでしょうから、確かに日本人の体には全然合っていなかったのでしょう。

また、「胸がへこんだ」(concave chest)という表現がとても面白いと思いました。英国の男性ははもっと肉付きがよくてマッチョだったりしたのでしょうから、それと比べたらきっと「へこんだ」、さぞ貧相な体に見えたことでしょう。

このほかにも、

顔には「つや」がなく、髭も生やしていないので、男の年齢を顔から判断するのは不可能に近い。全員十七、八歳の若者かと思っていた鉄道員はニ五歳から四〇歳の男たちだった。

『完訳 日本奥地紀行』 第三報

これもまたよく言われることですが、日本人は若く見られますよね。
私も21歳の時にフランスのサマースクールに行った時に、同じクラスのポルトガル人に10歳ほど若く見られたことがあります。ちなみに彼は、実際よりも10歳ほど年を取って見えました。

そのほかにも、男性も女性も小柄なこと、着物を着ているとずっと大きく見える(着物が体の欠点を覆い隠している)こと、そして、痩せていて黄色くて、不格好であること、と言ったことが書かれています。

ここだけ見ると「酷評」かと思うかもしれませんが、「着ているものは地味だけど、みんな表情が明るい」とか、礼儀正しい様子など、折にふれてプラスの面も書いてくれています。
バードの主観ではありますが、当時の外国人から客観的に見るとそんな風に見えていたのかと思うと、なかなか興味深いものがあります。

さらには、下駄の音がカタカタ鳴っている様子や、子供が大人を真似てもったいぶっているように振舞っている様子、女性の髷や男性のちょんまげの様子なども書かれていてとても面白いです。


英国公使館の日本語書記官だったアーネスト・サトウの記載が登場します。

司馬遼太郎の幕末を描いた作品には頻出するアーネスト・サトウですが、深く調べたことがなく、本を読んでみようと思いつつも、積読本になっています。

バードの記載からもアーネスト・サトウが当時の日本についてとても造詣が深かったことが分かります。その程度はこんな感じだったそうです。

日本滞在の後半の月に、日本の歴史や宗教あるいは古来の慣習について教育を積んだ日本人に尋ねると、「サトウ氏に尋ねるのがよいですよ。あの方ならお答えできるでしょう」とはぐらかされるのが常だった。

『完訳 日本奥地紀行』 第三報

「これほどまでに、日本人以上に博識だったということか」と前回の記事のコメントに書いたところ、binji 様より「≪日本人以上に博識だった≫というよりも、「外側から見た人だけが意義を評価・説明できる」ということでしょう。」といったコメントをいただきました。

「なるほど・・!」と思うと共に、この年になるとこういう書物を読んでも自己完結してしまうことがほとんどなので、違う角度から、もっと知識を持った方の目線でご意見をいただけることはとてもありがたいなと思ったりしました。そういう意味では学生ってうらやましいな・・と、今更ながら、若かりし日の「学生」という立場のありがたさを感じたのでした。

ピジン英語

東京の英国公使館へ行った時の様子に、こんな記載がありました。

使用人たちはいずれもこの上なく腹立たしい「ピジン」英語しか話せないけれど、護衛兵たちが利口で忠実に仕えてくれるので、使用人たちの英語の不完全さは問題にはならない

『完訳 日本奥地紀行』 第三報より

この上なく腹立たしい(the most aggravating)とバードが評したこの「ピジン英語」とは、一体どんなものだったのでしょうか?

ピジン英語
英語に中国語・ポルトガル語・マレー語などを混合した中国の通称英語

『完訳 日本奥地紀行』 第三報 注釈より

以前紹介したUnbeaten Tracks in Japan をベースにしている『ふしぎの国のバード』というコミックでも、バードが旅をする際の通訳を探すシーンがあります。
「チョバチョバ」、「マロマロ」、「ジキジキ」といった謎の言葉や、「アリマス」の連発に絶句するバードの様子が描かれています。

この「ピジン語」が気になりすぎて何か資料がないのかと探したところ、ありました・・!
当時出版された、横浜ピジン英語の例文集のようなものなのですが、読み始めたら面白くて面白くて、いま夢中になっているところです。
少し寄り道中なので、本編を読むペースがすごく落ちると思いますが、適度に寄り道しながら進めていこうと思います。
こちらについてもどこかで別途記事を残すつもりです。

それにしても、途中であれこれ気になるものが多すぎて楽しくて仕方ありません。なかなか先には進まないのですが、読み進めるたびに新たな関心が生まれ、さらに調べたくなる——。そうした連鎖が続くこと自体、とても幸せなことなのかもしれません。

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