成人指定 〈雨女⑤〉
梅雨前線が消えても、梅雨明けしたとは言わず煮え切らない態度の予報だったけど、当分は晴れが続くことに違いはなさそうだ。
今日からは、毎夜コンビニに通うことになるだろう。
そうだ。もう、通うつもりになっている。
私にもそろそろホットスナックにまつわるあだ名が店員の間でつけられていてもおかしくない。
晴れの日の夜やってきては、からあげクンやアメリカンドッグを買っていく。「晴れの日ホットスナックしばらく店外佇み独り言男」まったくしまらない。
雨女の方が幾分ましだ。
いつもの時間、コンビニの明かりが見えてくる。
コンビニに向かいながらも、少し離れた翳りの合間を見つめながらコンビニに近づいていく男。それが私だ。
雨女が来ていない以上、目標物がない。
何もないところへの接近は接近と言わない。彷徨うというのだ。
彷徨って、地面から浮き上がったような私にも一応、コンビニの明かりは影を落としている。
晴れていれば必ずいるのが雨女だと、いつのまにか勘違いをしていたみたいだ。
期待が事実を越え始めている。こんなことだと、思わぬ方向に心が転がる高低差ができる。
「そんなこともあるか」と均しておかないと、辛いのは自分だ。
「元々いたりいなかったりしていたではないか」と、慎重にに均しながら、立ち読みをする。それでも店外を見つめる。立ち読みをしている時点でもう、待ちぼうけの寂しさが襲ってくる。
これだから、人は嫌だ——。
人かどうかわからないけど、わからないから近づいたのに、こんなことになっている。
ああ、こんなことで涙目になりそうだ。
「これであだ名からも免れるではないか」と、もう一度均す。いや、もう、必死に慰めている。
よくない、この時間にこの世のものでないものに糸の端を結ぼうとしている。これでは、また帰りに河童か何かに出会ってしまう。勿論、河童ならば差し障りもないのだが、こんな日は一人で帰りたい。
ここは成人向け雑誌で感度を落としてから帰るべきだと、店内へ舵を切る。
変に澄んでしまっているこの思いを汚そう。
俗なエロスに救いを求めよう。
「しばらく何もない暗がりを睨んでから店に入り、ホットスナックを買っては外で食べもせずなぜか残骸だけを捨てていく男」は成人コーナーへ向かいます。
スマホで見ればいいじゃんというなら、こんなコーナー作らないでください。
あだ名はもう「時代遅れスケベ」でいいです。
しまった。みんな青いテープで塞がれている。
今日は挫かれてばかりではないか。
「では」と、性に目覚め始めた小学生のように、表紙を見つめて感度をだんだんと下げていく。
扇情的な見出しと、露出した若い背中…。これはこれで、じっくり見ると新鮮なものがある。
よし、心が濁ってきたのを感じる。
おお、ほう、ふ…
…ぅあむ!
心臓が、止まるかと思った。
窓の向こう、すぐ目の前に、雨女が、いた。
あの濡れた胸のふくらみは間違いない。
絶対に間違えない自信がある。
開き掛けの自動ドアを手で無理やり押し開き、飛び出して見回す。
どこにもいない。
成人コーナーの窓の外。地面が一部だけ濡れている。
これではまるで、ホラーではないか。
心臓の音が聞こえる、背中が痛いくらいに脈打っている。
帰るか…?
いや、それは、会えなくなる気がする。
でも、会っていいのか。
この世のものではないことを、忘れていたんじゃないのか。
会っていいのか、以前に、会えるかどうかもわからない。
地面を見つめて均していたら、突然崖に突き当たった。
崖は目の前に立ちはだかったのか、それとも上から奈落を覗いているのか。
奈落なのかもしれな…
「おい」
今度こそ、心臓が止まった。
止まってない。
ゆっくりと、振り返る。
——河童である。
牛乳ときゅうりをコンビニ袋にぶら下げている。
「お前か」と言うと、
「待ち人かぁ」と返ってくる。
「ちが、いたの、えっと、そこが、うん、濡れてるけどね、いないの」
言葉にならない。
河童はきょろきょろして、ぴ、と人差し指を伸ばした。
うっすら緑色の指、爪は短い、少し土が入ってる、水かきってそんなに大きくないんだなあ。
「どこ見てるぅ」
あ、指さしてるのか。
指さした先の薄明かりに、雨粒の微かな光が舞っている。
その中に、濡れた細い背中が見える。
河童は何も言わず、すたすたと去っていった。
借りができた。
***
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