受肉 〈雨女⑪〉
「なぁにしたぁ」
何もしていないといえば嘘になる。
強いていえば、見た。
スカートの上端が、彼女の柔らかな肉に滑り込み、濡れたTシャツに無数の襞をつくっているのを見た。
「見た」
「何を見たぁ」
何を見たのかと言われれば…
「肉を」
そうだ、私は彼女の肉体を見た
「なぁぜ見た」
見てはならないものを見たのだ。
河童は今、はっきりと咎めた。
受肉だ。
それはこの世ならざるものが肉体を得てこの世に現れること。
この世ならざる者にとっての肉は、この世と繋がるための罪。
それをこの世の者の目で見る。
そして、初めてこの世に在ることになる。
しかし、私が見たことで彼女は消えた。
あるいは、私達が彼女のいない世界に移ったか。
この世ならざる者がこの世に顕現させたその肉は、触れることはおろか、一瞥すら許さない禁忌であったのか。存在の前に禁忌があり、それによって弾かれたのだ。
であればなぜ、いままでは許されたのか。
「太った。と、いうので」
そうだ、ただの受肉ではない。
度重ねた受肉だ。それを見ると言うことは、重ねた罪を見ると言うこと、その視線は咎めに変わり、存在を許さぬ視線になる。
彼女を消したのは、私だった。
しかし、おかしい、咎めた覚えはない。
いくら考えても、事実は解釈を置き去りにして進んでいく。
「童め」
これはわかる。河童語でも比喩でも何でもない、はっきりと童貞だと言われたのだろう。
腹は立たないが、なぜわかるのか、河童の神通力を見せつけられた。
「誰が見てもわかる」
河童は心まで読むのか。
「読めるものかぁ、百年ちょっと生きてりゃわかる」
経験値だったか。
百年も子供の好奇心を持ち続けた知見は、すでに神通力な気もするが。
「どうすればいい」
ならばその、経験値に縋りたい。
「腹ぁ決まってるのかぁ」
覚悟を問われた。
河童まで巻き添えにしてしまったのだ。
私たちが、雨女のいない別の世界に来てしまったのならば、河童は河童としてこの世界にいられるのだろうか。私は私として、この世界にいられるのだろうか。
責任は取らなければならない。
私のせいなのは間違いない。
腹は括らねばならない。
いなくなった者を呼び戻す、いなくなった者のいる世界に私たちを呼び戻す。黄泉の国まで行き、振り返らずに連れて帰る、その覚悟はあるだろうか。
逆もそうだ、黄泉の国から呼びにきたものを、振り返らせずに着いていくその信仰があるだろうか。
コンビニ前でホットスナックを与え続けて、ただ、あの子を見ていただけのこの数日に、この命をかける価値があるのだろうか。乗りかかった船だと勢いづいて、それが地獄への渡し舟だったということにはならないだろうか。あの子が雨女でなかったとしたら、私はここまで悩んだだろうか。あの子がいなくなってしまったこの世界にも、それなりの価値があるのではないだろうか。
「うん」
雨女のいないこの世界でもまだ、私は操られているに違いない。口は勝手に開いた。
こうして声も勝手に出てしまった。
なぜなら、今、ここに痛みがあったから。
「わぁかったぁ」
河童はそういって、私の後ろに目をやった。
「おい雨っ子ぉ!この兄ちゃんはお前とくっつきたいんだとよぉ!」
え、どういうこと、ちが、ちがわないけど、え、やめて
「だからよう、出てきてやれや、この兄ちゃん泣きそうだぞ」
泣いてないし!ばか、もう、このかっぱ!なんなの!
——私を黄泉に誘う呪文にしては、俗に過ぎるが河童らしいといえば河童らしい文言ではある。
——童の兄ちゃんほぉれちゃったぁ♪
——雨っ子の雨にほぉれちゃったぁ♪
——雨っ子の乳にほぉれちゃったぁ♪
——おめぇとひっつきたいんだとぉ♪
地獄だった。
私は地獄に連れて行かれる——
…ぃいやもう無理、多分そういうのじゃない、シンプルにやめてぇ。かっぱよぉ。そういうのは、さぁ。もぉお。はあああぁぁぁ。
まだ歌ってる…
しかも、どんどん下品になっている。
やめてえええええ。
心の叫びに呼応するように、遠くで雷の音がする。
がっくりと膝をついた私の頭を、ぽつりと雨が打った。
足元を打った、河童を打った。
本当の雨だ。
顔に、肩に、足に、そしてアスファルトに、ぽつりぽつりと雨が降る。
そして、見えるところ全てに雨が広がった。
「なにをした」と尋ねる私に河童は答えず、ぺたぺたと足を鳴らしている。
踊っているのか。
「雨乞いじゃないんですか?」
コンビニから、店員が出てきた。
そしてまた、店に戻った。
傘を並べ始め、そこに手書きの札を貼った。
——500円。
***
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