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暮らしのお湯加減。私が“ちょうどいい”を選んだ理由

私は普段、
中庸をイメージしやすい言葉として
“ちょうどいい”を使っています。

でも正直に言うと、
“ちょうどいい”も、中庸という概念を
全部を説明できているわけじゃない。
抽象的な言葉だなと感じています。

それでも、今の私の体感には、
いちばん近い。

今回は、私が中庸を説明する言葉として、
“ちょうどいい”を選んだ理由
を少しだけお話しさせてください。


「正解の温度」なんてない

たとえば、お風呂のお湯加減。

手を入れた瞬間、
「あ、ちょうどいい」と思うあの感覚。

でもその温度は、人によって違いますよね。

熱めが好きな人もいるし、
ぬるめが落ち着く人もいる。

同じ人でも、
疲れている日は熱く感じるかもしれないし、
寒い日はもっと熱くしたくなる。

どこかに“正解の温度”があるわけじゃない。

そのときの自分で、
毎回、確かめ直している。

私は、“ちょうどいい”もそれに似ていると思っています。

固定された一点があるわけじゃない。
その人の感覚の中で、
その日ごとに探し直されるもの。

だから私は今のところ、このニュアンスを
“ちょうどいい”という言葉で表現しています。


グレーでは足りなかった理由

中庸は、極端に偏らない知恵です。

「白黒つけない、グレー思考」と
表現されることもあります。

もちろんそれもいい表現だと思います。
けれど、私にとっては「グレー」という言葉だけでは、
どこか物足りなかったんですよね。

グレーは、白と黒を混ぜた色。
そのどちらでもなくていい、
“あいだ”のイメージを捉えるには、ぴったりだと思います。

でも、私が探しているのは、「曖昧でいい場所」ではなく、
「自分で決める心地いい場所」。

それには少し足りない気がして、
“ちょうどいい”を使っています。

実は最初の頃、
「ほどよい」という言葉も使っていました。

意味はほとんど同じです。

でも「ほどほどでいい」という
どこか妥協のニュアンスを感じることがあって、
やっぱり“ちょうどいい”を選びました。


中庸を、机上の空論で終わらせたくない

中庸という知恵を、
ただの概念で終わらせたくない。

難しい理論ではなく、お風呂に手を入れたときに感じる
「ああ、ちょうどいいな」という、あの肌感覚に近づけたい。

だからこそ、私は“ちょうどいい”という言葉を使い続けています。

「私がもう少し我慢すれば、きっとうまくいく」
「私が頑張れば、丸くおさまる」

そんなふうに、やさしさゆえに頑張りすぎる人が、
自分も相手も大切にできる場所を見つけられるように。

“ちょうどいい”は、甘えではなく、
自分の感覚を信じることだと、私は感じています。

私はこの庭で、私なりのお湯加減を確かめながら、
これからも言葉を編み続けていこうと思います。

今日も、“ちょうどいい”を探してる🪴


最後まで読んでくださって、ありがとうございました🌿

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