言葉にできない日も、形で伝わる思いがある
あなたは、母の日・父の日に贈り物をしますか?
私は、結婚してから毎年、
せっせと贈り物をしています。
でも、それは「感謝の気持ち」よりも
「義務感」で始まりました。
一人前の大人なら、やって当然。
できる嫁の腕の見せどころ。
そんなプレッシャーの中で、
どこか「評価される日」と思っていたんです。
だから、毎年反応が気になって
ドキドキしていました。

「なんで母の日なんてあるの?」と思っていた頃
出産後、メンタルが不安定になって、
実家や義実家と距離ができた時期がありました。
その頃は、母の日も父の日も嫌いでした。
「なんでわざわざやらなきゃいけないの」
「親孝行って、強制なの?」
そう思って、広告を見るたびにイライラしていた。
当時読んでいた『論語』にも
「親を大切に」と書いてあって、
その言葉さえ苦しく感じていました。
それでも、習慣のように贈り物は続けていました。
正直、気持ちはこもってなかった。
「これくらいあげとけば文句ないでしょ」と
思いながら選んだものを、
母たちは笑顔で「ありがとう」と受け取ってくれた。
その姿を見て、なんだか胸がチクリとしました。
「心からの感謝」を込めきれなかった自分に、
ほんの少し、申し訳なさを感じたんです。
氷河期のような関係の中でも
どんなに距離ができても、
母の日と父の日だけは、贈り物を続けていました。
特に理由はなくて、「なんとなく」。
でも、普段は話さなくても、
この日だけは「いつもありがとね」と言えた。
照れくさいけど、
イライラするときもあるけど、
その日だけは、ギクシャクしていた関係が
不思議とほぐれて、どうでも良くなる日。
私にとって母の日と父の日は、
そんな“関係のリセットの日”でした。
「母の日・父の日」が、関係をやわらかくした
私は今も、母の日・父の日に
両家にプレゼントを贈り続けています。
でも、それは
「いい娘・いい嫁でしょ」と思われたいからでも、
「感謝の言葉を思い出すため」でもない気がします。
親たちとは、特に話すわけじゃない。
しょっちゅう会いたいわけでもない。
親たちにしてもらったことを、
同じように返せるわけでもない。
それでも、小さなことでお世話になっている。
心のどこかで、ありがとうと思っている。
形だけでも伝わる思いがあると信じているから。
暮らしの中の「礼」
母の日・父の日の贈り物がきっかけで、
私は両家との氷河期を終わらせることができました。
何かを話し合ったわけでもない。
ただ、贈り物を受け取った親たちが「ありがとう」と返してくれた。
そのやり取りが、少しずつ、
凍っていた関係を溶かしてくれました。
もしかしたら、こういう小さな行いを通して
心を通わせることを、
昔の人は「礼」と呼んだのかもしれません。
形が先で、心があとからついてくる。
そんなふうにして、関係も、
少しずつやわらかくなっていくのだと思います。

形で伝えられることがある
母の日・父の日の贈り物って、
“親を喜ばせるため”というより、
“自分の心を閉じたままにしないための行動”
なのかもしれません。
立派なプレゼントじゃなくていい。
たとえ、形だけでもいい。
それでも、そこには確かに、思いがある。
思いは、あとから自然とのっているもの。
その小さなやり取りが、
「もうどうでもいい」と思っていた関係を、
もう一度、やわらかくしてくれることがあるから。
今日も“ちょうどいい”を探してる🪴
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