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書店のランキング棚に立ってしまう理由

あなたは、書店で本を買うとき、最初にどの棚を見ますか?

私は、気づくとランキングコーナーに立っています。

今どんな本が売れているのか。
どんなテーマが話題なのか。
どんな人が書いているのか。

本って、表紙を見ているだけでも面白い。
タイトルだけのシンプルなものや、イラストで目を引くタイプ。
どれも個性があって、素敵ですよね。

それでも、なんとなく、
「ランキング上位」の中から選んでしまうことが多い。

もうひとつ、つい見てしまうのが著者の肩書きです。

「医師」「大学教授」「臨床心理士」
そんな肩書きがあると、少し安心する。

逆に、「〇〇研究家」「〇〇コーチ」と書かれていると、少しだけ立ち止まる自分もいる。

そのたびに、自分の中にある“フィルター”に気づかされます。

みんなが買っているなら、きっと大丈夫。
多くの人が支持しているなら、失敗しない。

そんなふうに、無意識のうちに
数字や肩書きを安心材料にしている自分がいることに、ふと気づきました。


そんな私が、「みほ」という、
肩書きも実績もない名前で文章を書いている。

人は肩書きで見てしまうのに、
自分は何も持たないまま、「価値を届けたい」と言っている。

その矛盾に、少しおかしさを感じています。

noteを書き始めた頃、私は「ちょうどいい研究家」と名乗っていました。
肩書きがあったほうが、信用してもらえる気がしていたから。

でも、その名前は、少しずつ重たくなりました。

自分を大きく見せるための肩書きは、
いつのまにか自分を縛る鎖にもなると気づいてしまったんですよね。

今はもう、肩書きはありません。

フォロワーさんがたくさんいるわけでもない。
コングラボードをもらったこともない。

それでも、自分の書いたものに価値を感じています。

売れているから、ではなく。
評価されたから、でもなく。

私はこれまで、自分が「いい」と思えない記事は出してきませんでした。

すべて、納得して、自信を持って出してきたもの。

少し恥ずかしいけど、
私は自分の一番のファンなんですよね。

肩書きもない。
大きな数字もない。

でも、自分の内側から出てきた言葉に、
震えている私がいます。

たくさんの人に「いいね」と言われても、
偉い人に褒められるような記事が書けたとしても。

私自身が「いい」と思えていなければ、
それは私にとって価値がありません。

私は、自分が「いい」と思えるものしか出したくない。

たとえ誰にも認められなくても、
私にとっては、本物だから。

だから今、ひとつの形にまとめることにしました。

誰も手に取らないかもしれない。
役に立たないって、切り捨てられるかもしれない。

それでも、いい。

自分が価値を感じたものを、
ちゃんと置いてみたい。

作品にする、そのプロセス自体に、
もう意味があると思っているから。


この記事は、蜜麦苗さんの記事にヒントをいただいて書きました。いつもありがとうございます🌿


最後まで読んでくださって、ありがとうございました🌿

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