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終戦記念日:ドイツの老人とフランスの老人との戦争・戦後対話

 1998年5月ミュンヘンにいた。
 1998年6月パリにいた。
 公園で老人たちと対話した。
 (文字数7,240)
 
 英語ではあったが、
 ドイツの老人と
 フランスの老人から、
 第二次世界大戦の話を聞いた。
 戦後の話も聞いた。
 
 1998年から28年も経過し、
 1945年から43年経過した
 当時であれば存命だったが、
 1945年から81年経過だと
 流石に亡くなっているだろう。
 
 20歳で第二次世界大戦としても
 1998年当時、最低でも63歳だった
 計算になる。
 
 父方の祖父は1926年生まれで、
 上海とフィリピンに出征し、
 1946年秋まで終戦を知らず戦い、
 1947年頃日本に帰った。
 
 祖父は生まれの特殊事情で、
 本当の両親を全く知らないので、
 実際の年齢はズレていた
 可能性が高い。
 
 だがドイツの老人と
 フランス人の老人と
 同年代は間違いない。
 
 祖父からも戦争体験は、
 詳しく聞いているが、
 当方の場合、ドイツ人と
 フランス人からも、
 戦争体験の話を聞き、
 比較できる立場にある。
 
 日独仏の三か国から、
 戦争体験を聞いた人も、
 稀だろうから、
 書く事にする。
 
 と言っても
 大した情報はない。
 だからこれまで
 書かなかった。
 
 戦争に出征、
 戦後どうだったか?
 という話だ。 
 
 フランスの老人は、
 英語が達者だったから、
 情報量はややあるが、
 ドイツの老人は、
 ドイツ語が多く、
 情報量が少ない。
 
 ドイツは南ドイツを中心に、
 約1ヵ月ほど滞在し、
 その老人とは、
 ミュンヘンの公園で会った。
 
 "Geht es dem Japan-Kaiser gut?"
 「ヤーパン・カイザーは元気か?」
 
 そんな冒頭だった気がする。
 変換された記憶から、
 復元したドイツ語なので、
 少し違うかもしれない。 
 
 この時、咄嗟に、
 昭和天皇を指している
 と思ったので、
 
 "Er ist gestorben,
 aber eine andere Person
 ist der Japan-Kaiser geworden."
 
 「彼は亡くなった。
 だが別の人が、
 ヤーパン・カイザーになった。」
 
 そんな回答をした。
 文法的に間違えながらだが。
 
 "O weh!"
 嘆きの感嘆詞
 
 ドイツの老人は嘆いた。
 まるで戦友でも失ったようだ。
 旧同盟国の親しみがあった。

 大学の第二外国語は、
 ドイツ語であったが、
 やや苦しく、英語で、
 対話を試みたが、
 所々ドイツ語だったが、
 聞く分には理解した。
 
 この老人は祖国の統一、
 1989年11月9日のベルリンの壁崩壊、
 1990年10月3日のドイツ再統合を、
 強い喜びに満ちた言葉で語っていた。
 
 "Dein Land hätte das Gleiche drohen können."
 君の国もそうなる恐れがあった。
 
 そんな事を言っていた。
 
 このミュンヘンの老人は、
 ドイツ国防軍出身で、
 東部戦線でソ連軍と戦っていた。
 
 武装親衛隊ではない事は、
 確かめている。
 だからナチではない。
 
 バルバロッサ作戦には、
 参加していた事も分かっている。 
 
 有名なスターリングラードの戦いには、
 参戦していない。これも確かめた。 
 
 クルスクの大戦車戦の話はあったから、
 現在のウクライナ辺りにいて、
 そこで終戦を迎えたと理解している。
  
 ムッシュー・イットレルの話は、
 していない。これは避けた。
 ドイツでは禁忌だったからだ。
 
 今思えば、訊いておけば、
 良かったと後悔している。
 日本人の立場なら訊けた。
 
 1945年4月、5月
 のベルリンの戦いにも、
 参加していない。
 これも確かめた。
 
 ソ連の捕虜で終戦を迎えたのだろう。
 父方の祖父とは大分異なる終戦だ。
 
 祖父は1945年8月15日以降も
 フィリピンの山奥で、
 山賊と化して、輜重隊を襲い、
 アメリカ軍と約1年間、戦っていた。
 近衛師団第二連隊所属だった。
 (言い方は色々ある)
 
 当然、殺人も犯している。
 終戦後だから普通に犯罪だろう。
 これでアメリカ人を殺したと、
 38式歩兵銃を見せられた事もある。
 (銃刀法許可証あり、撃鉄なし)
 
 戦後、中小企業の社長になり、
 平然と語っていた。
 もう故人だ。
 
 あの平衡感覚は直接、
 聞かないと分からない。
 
 精神にバランスが取れていた。
 これは現代人には理解できない
 感覚かもしれない。
 
 人を殺すという事の意味を、
 ちゃんと理解していた。
 だが精神は保たれている。
 
 結局、アメリカ軍に捕まり、
 現地で旧帝国陸軍の将校から、
 部隊の解散式をやって、
 終戦だと認識したと言っていた。
 
 栄養失調で一時的に視覚を失い、
 ヤツメウナギを食べて直した
 という話をよくしていた。
 戦後の話だ。
 
 戦後のどさくさで、
 何か裏の手口を使って、
 高度成長期で事業を成功させた。
 そっちの話も多い。
 
 田中角栄とか共感していた。
 ま、これも戦後日本人が嫌う処だ。
 そういう人間が家族にいた。
 
 ミュンヘンの老人も、
 主に戦後の話が中心で、
 西ドイツがいかに苦難の道を歩み、
 ドイツを再統合したかだった。
 
 戦争で祖国を分断され、
 塗炭の苦しみを背負い、
 21世紀前に再統合した。
 
 生きてその日を迎えられる事は、
 この上もない喜びだと言っていた。
 そんな日は来ないと思っていた。
 そんな事を言っていた。
 
 アデナウアーの話もあった気がする。
 この人、戦前ケルンの市長だったけど、
 ムッシュー・イットレル
 と握手しなかったから、
 戦時中は投獄され、
 戦後首相となった。
 
 あとケーニヒスベルクの話もあった。
 今はロシアの飛び地、
 カリーニングラードだが、
 東プロイセンは一部、
 取り返せていないと言っていた。
 
 これは日本だと、
 北方領土に相当する。
 
 話題にしなかったが、
 日本もあるだろう
 という示唆だった
 可能性がある。
 
 ミュンヘンの老人は全般的に、
 ドイツは再び強くなるという事を、
 何度か言っていた。
 
 後年、これはかなり引っ掛かった。
 ヨーロッパ史を学んだ者であれば、
 ドイツに勇者が誕生する時、
 世界は必ず荒れるからだ。

 
 強いドイツは要警戒というのが、
 周辺国のセオリーだ。
 だから19世紀の戦争もあった。
 
 ストラスブールで、
 かすかに幻視した過去世で、
 普仏戦争でフランス領から、
 ドイツ領になった故郷を見た。

ストラスブールで見た黄色い菜の花畑

 鉄道を降りて、
 黄色い菜の花畑が広がる
 ベンチに座った時、
 ここは来た事がある。
 見た事があると分かった時、
 ビジョンとして見えた。
 
 ストラスブールは、
 あるいはストラスブルグは、
 前世の故郷だったと思われる。
 旅先で一瞬立ち寄っただけだが。
 
 フランス人だったが、
 ドイツに行った事も、
 何となく思い出した。
 哲学を学んだのだ。
 
 だからドイツ観念論は強い。
 今でもシェリングは読む。
 
 あといつの時代か不明だが、
 大陸に生まれて出家し、
 仏教僧になった事もある。
 
 飲食店の丁稚奉公みたいな
 シーンだけ見えて、
 周りの人に凄く可愛がられた。
 そんな記憶だ。
 
 基本、当方の転生輪廻は、
 必ず真理と関係がある。
 
 いつの時代も、かなり激しく、
 真理を学ぶ事に打ち込んだ。
 だから今がある。
 
 古典ギリシャ語や
 ラテン語もやるので、
 当然、古典古代もある。
 学んだ言語は、
 過去世と関係がある。
 
 話が逸れた。
 元に戻そう。
 
 パリの老人は、日本に帰国後も、
 手紙でやりとりがあった。
 
 この老人は、戦争中、
 ペタン元帥が統治する
 ヴィシー政権ではなく、
 ドイツに占領された北側にいた。
 
 レジスタンス寄りだったようだ。
 レジスタンス構成員ではないが、
 イギリスにいた
 シャルル・ド・ゴールの
 自由フランスのラジオ放送
 は聞いていたし、
 レジスタンスの連絡は
 手伝ったと言っていた。
 
 どうもこのパリの老人は、
 第二次世界大戦に兵士として、
 出征していたか曖昧で、
 語りたがらなかった。
 
 話したのは戦時中のレジスタンスと、
 戦後のフランス社会だ。
 ドイツの脅威と移民について語った。
 
 パリの老人は、ドイツ再統合に、
 かなり否定的で、脅威と見ていた。
 これはミュンヘンの老人と好対照を為し、
 ちょっと暗い感じで話していた。 
 正直、ドイツは怖いと言っていた。
 
 この感覚は日本人には理解し難い。
 半島国家が戦後、日本に文句を言うのと、
 感情的には近いかもしれない。
 
 パリの公園で、
 半日くらい英語で話したが、
 帰国後、全部日本語に変換されて、
 元のやりとりはよく復元できない。
 ドイツ語の方が覚えているから、
 少し奇妙ではある。
 
 後年、フランス語にシフトしたのも、
 このパリでの滞在1ヶ月が大きい。
 
 ドイツとフランス、
 両方1ヶ月いて、
 そうなった。
 ま、自然な流れだろう。
 
 妙に親切なドイツ人に、
 強烈な違和感を抱き、
 やたらと冷たいフランス人に、
 心からの共感を覚えた。
 それだけの話だ。
 これはnaturalと思う。

 
 当時は英語だけで、
 英会話も練習しないで、
 いきなりヨーロッパに行き、
 ぶっつけ本番で、一人で、
 美術館巡りをやっていた。
 (レオナルドダヴィンチは徹底無視)
 今考えると若いなと思う。
 
 パリの老人も戦後の話が多く、
 フランスが1980年代を境に、
 移民社会となり、社会が分断され、
 かなり変質したと強調していた。
 これはドイツ再統合と真逆である。

 
 横市の大学院でも、
 フランス人おばさんから、
 同じ話を聞いている。
 
 いわゆる「家族呼び寄せ」だ。
 le regroupement familial
 
 郊外の工場や建設現場の宿舎に
 単身で住んでいた北アフリカ
 (アルジェリア、モロッコ、チュニジア)
 や西アフリカの男性労働者が、
 妻子を呼び寄せた。

 その結果、
 一時的な滞在者だった彼らが
 フランスの都市郊外に、
 家庭を持つ地域住民へと変わり、
 定住化が決定した。
 
 今考えると、
 これはどうしても、
 避けたかったというのが、
 パリの老人と大学院の
 フランス人おばさんの話だ。

 フランスのidentité(同一性)が
 かなり揺らぎ、フランス人とは、
 何かが分からなくなった
 と言っていた。
 
 都市郊外の変貌、
 侵食という感じで、
 語っていた。
 
 大学院のフランス人おばさんは、
 大嫌いと言っていたが、パリの老人は、
 ルフロンナショナルを支持していた。

 この移民らしき人影が、
 柵を乗り越えて来るサムネは、
 中々上手い表現だ。
 
 Le Front National(国民戦線)は今は、
 Ressemblement National(国民連合)と言う。
 
 移民に反対するフランスの政党で、
 ジャン=マリー・ルペン
 (Jean-Marie Le Pen)
 が創設した。
 
 娘のマリーヌ・ルペン
 (Marine Le Pen)が、
 「脱悪魔化(dédiabolisation)」を進め、
 Ressemblement National(国民連合)
 にし、実の父親を事実上、
 政党から追放した。
 
 2022年、
 マリーヌ・ルペンは
 フランス大統領選挙に出て、
 現職に敗れた。
 
 当時、フランス語で、
 約2時間のdebatを見ていたが、
 現職共和国大統領の
 とにかく、オレはやるぞ!
 オレしかできないんだ!
 という圧に負けた。
 
 ただ冷静に話していた
 彼女が負けたのも、
 むべなるかな
 という感はあった。
 
 debatの推移自体は、
 マリーヌ・ルペンが有利で、
 事実上、現職を論破していたが、
 実際は国民にアピールする場で、
 バカみたいに熱意を示した
 現職大統領が勝つという
 実に民主主義的な結果だった。

 マリーヌ・ルペンには、
 優秀なブレーンがついていて、
 対策もばっちりな感じだったが、
 何も用意していない現職に敗れた。
 
 頭の良さなら、
 マリーヌ・ルペンの方が上だが、
 アホみたいな情熱という点では、
 彼女は現職に敗けていた。
 
 現職はただ何か言うだけで、
 殆ど議論の体を為しておらず、
 マリーヌ・ルペンは冷静で、
 冷た過ぎると感じられたようだ。
 
 ブレーンがいるなと分かるような
 言動も自分の意見に聞こえなかった
 かもしれない。アレも失点だろう。
 
 結局、政治家とは情熱である。
 人の心は熱意で動かされる。
 ムッシュー・イットレルも同じだが。
 民主主義、選挙の危うさだ。

 
 マリーヌ・ルペンは、
 それが分かっていない。
 ただ理性的なのだ。
 
 最終的に理性は勝てない。
 必ず敗北する。
 
 これは公理と言ってもいい。
 嘘だと思うなら歴史を見よ。
 理性は自滅する。
 
 彼女は今、
 誰かさんの陰謀によって、
 牢屋に送られるかもしれないが、
 あの時点で勝てなかったのだから、
 やむを得ないだろう。
 これも理性の敗北だ。
 移民は争点として残るが。
 
 パリの老人が強い懸念を示した
 移民社会化と社会の分断は、
 確かにあるだろう。
 そして統一ドイツの脅威だ。
 
 父のジャン=マリー・ルペンが
 来日した時、日本社会を見て、
 理想の国と言った事は印象深い。
 フランスが失った社会の姿がそこにあった。
 
 今は川口市のクルド人問題とかあるが、
 当時は移民問題がゼロだったので、
 ジャン=マリー・ルペンはそう言ったのだ。
 
 別の話になるかもしれないが、
 日本のアイドル・ユニットを見ても、
 ジャン=マリー・ルペンが、
 日本を理想の国と言った事はよく分かる。

 【MV】初恋のひと。/高嶺のなでしこ【HoneyWorks】
 4,862,135回視聴 2023/07/01 #HoneyWorks #高嶺のなでしこ
 チャンネル登録者数 22.2万人
 
 割と好きだから見ているが、
 コレ、全員、日本人だろう。
 半島国家、ベトナムくらいまでは、
 アイドル・ユニットは、
 自国民の女子で固められる。
 
 ジャン=マリー・ルペンが、
 理想の国と言う所以だ。
 
 アメリカとかフランスで、
 同じ事はできない。
 
 アイドル・ユニットを組んだら、
 人種はバラバラ、場合によっては、
 LGBTQも参加して、カオスになる。
 正直、統一感を欠き、美しくない。
 キャンセル・カルチャーだ。
 
 少なくとも、高嶺のなでしこみたいに、
 綺麗に黒髪の美少女で統一とかできない。
 
 フランスは先のワールドカップでも、
 サッカーチームで揉めたぐらいだ。
 (負けた国から本当にフランス人か?
 別の国の人ではないか?と言われた)
 
 さらに別の話となるが、アニメ、
 『ラブライブ!スーパースター!!』
 の『Liella!』(リエラ)のメンバーは、
 国際的だ。明らかに混血もいるし、
 日本人じゃない女の子もいる。   

https://www.lovelive-anime.jp/yuigaoka/cast/

  Liyuuとか上海出身の女の子がいる。
 かなり日本語が上手く、違和感がない。
 
 上海だから母語は北京語でない筈だが、
 北京語の歌も上手い。トリリンガルだ。

 Liyuu - 中文单曲「倔强游戏」MV
 
 時々、彼女の歌も聞いている。好きだ。
 昔から大陸の女は好きで、顔立ちが違う。
 アニメでもチャイナ・ヒロインは大好きだ。
 
 花園麗(ファユイリィ)
 珊璞(シャンプー)
 鈴明美(リンミンメイ)

 ま、少しづつ、
 日本も国際化しつつある。
 
 実在の人物ではないが、
 Vocaloidの初音ミクが、
 アメリカで、本物の歌手のように、
 ワールド・ツアーしている。
 
 これも驚きだ。
 歌っているのは、
 往年のニコニコ動画の
 ヒット曲だ。
 これも可笑しい。
 
 銀河一持ち歌が多い、
 歌姫という触れ込みだ。
 
 ミクは戦後日本を、
 象徴する一つだと思う。
 
 テクノロジーと幻想の融合だ。
 21世紀的な夢の一つだ。
 
 20世紀から見ると、
 ミクは平和の申し子に見える。
 
 

 話が拡散してしまったので、
 最後に戻すと、日独仏の
 三人の戦争体験者から、
 社会の変容、移り変わりを聞いた。
 
 日本は戦争で、社会が分断されず、
 現在に至るが、これは幸運な事だ。
 
 フランスは南北に一度分断され、
 戦後は移民社会化して、
 民族の魂を喪失した。
 
 ドイツは東西に一度分断され、
 戦後は統一、移民排斥に向かった。
 ドイツはまだ民族の魂を失っていない。

 
 このドイツ社会の怖さ、問題点は、
 ムッシュー・イットレルが、
 出現したからではなく、
 そもそも怖いというパリの老人は、
 今、当方も頷ける処だ。
 
 ドイツはヨーロッパの要だが、
 ロシア・ウクライナ戦争によって、
 今大きく方向転換している。
 
 どうなるか心配している。
 フランスも来年あたりから、
 軍事予算が世界大戦期に近づくが。

 世界は再び大戦になるか否かの
 瀬戸際にあると思う。
 
 当方としては、最近、
 イラン民主化の道を示したから、
 ウクライナ和平の道も示すつもりだ。
 
 どちらも政治的にどうするべきか、
 見えている。ハッキリしている。
 
 勿論、道を示したからと言って、
 現実世界がその通りにはならない。
 
 『三国志演義』の諸葛孔明ではないが、
 考える事はできると思う。
 
 世界は解決を求めている。
 
 それに対して答えを出す事は、
 悪い事ではない。
 
 それが戦後、81年経過した
 平和への道だと思う。
 
 ドイツの老人=ドイツ国防軍→ドイツ最高!
 フランスの老人=レジスタンス→戦後懸念
 日本の老人=帝国陸軍近衛師団→経済的動物

 
 この対比は価値があるかもしれない。
 いまはもういなくなったが、
 公園の老人たちが語る昔話だ。
 耳を傾けるのもいいだろう。

銀河の歌姫初音ミクとソマリちゃん

 以上


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