50年の窓 第23章
第23章 別れ
2038年6月
カレンは、ΩプロジェクトHQ責任者のサムから呼ばれた。
カレンにサムから呼ばれる要件に心当たりは無かった。
「何のご用でしょうか?」
「WG01の方はどんな感じですか?研究会の中では1番大事な課題だと思っています。」
「ご心配いただきありがとうございます。グループの皆さんもよく頑張ってくれています。10ヶ月になりますが、少し景色が見えてきました。今検討中のモデルのシミュレーションの結果が良ければ、動物実験で試してみたいと考えています。順調とは言えませんが、進んではいます。」
「それはよかった。」
「ところで、先日ケントとスペースXのマスク代表を訪ねて、我々のDウイルス感染チェックの高精度の新方式に強い興味持っていただきました。我々の最終結論はご存知のようにまだですが、新たな検査方式を積み上げてゆくと理解をしています。新たな検査方式が追加される都度、スペースXにご利用いただくことになります。我々としても、彼らは、万1人類の亜種化が防げなかった場合の重要な対案なので。」
サムは、カレンの表情を見て、ゆっくり続けた。
「実は、最近の1つの新たな検査方式をご利用いただいたところ、既に移住者と決まった方の中で3名の感染者が発見されて、マスクが、『ケント君は火星に興味ないだろうか?』とおっしゃるのです。彼の『応用心理学専攻』という経歴も気に入っているようで。」
「彼は、この話に乗ると思いますか?2度と地球に戻ることは無いと思うので、うかつには勧められないので、君の意見が聞ければと?」
カレンは返事の言葉に詰まった。しかし、気がついたら自分の判断に先行して無意識が「良いかと思います。」と返事をしていたことに気がついた。
「ありがとう、早速本人に聞いてみよう。火星と地球の公転周期から今年の8月が出発のタイミングらしくて充分に時間あるとは言えないようですが、」
サムは、カレンとケントの関係を察して、カレンに先に聞くべきだと、彼なりの気遣いがあった。
カレンはその晩、ケントとの別れを静かな心で決心することができた。自分のなかの2つの心のせめぎ合いに答えを出した。
「人類を守る」という大きな課題を背負わなければ、ケントと結ばれたい。
ケントについて思えば、彼の生き方は幼少の時代から、彼の好奇心を大事に育てられ、またケント自身でもそれを大事に育ててきた人生であった。
彼の探究心で磨きに磨かれた知識が、未知の火星という世界において役に立つだけではなく更に広い新しい世界によって磨かれてゆくことを、どんな理由で引き止めることができるであろうか。
ケントは30歳になっても、人1倍、好奇心、探究心が強く、スペースXの火星移住については、心密かに「行くぞ」とスペースXのニュースには以前から漏らさず目を通していた。
カレンと、今回の事件への取り組みを初めて、14ヶ月経つ今、スペースXの火星移住員の募集が発表された。条件は、①Dウイルスに感染していないこと、②科学分野の博士号所持者、科学分野以外の博士号は枠に制限があり追加的な審査がある、③健康であり、生殖能力があること、④虫歯がないこと、⑤事前の虫垂切除を合意できること、などさらにいくつかの条件があったが、ケントは自己判断では全ての条件をパスしていた。
彼は将来伴侶を選ぶに当たってカレン以外の女性を考えられなかった。彼女と火星での人類の新しい第1歩を1緒に踏むことを望んでいたが、いま、人生を賭けてディストピアを、人類救済をなんとかすると誓ったカレンにそれを言い出すことはできなかった。彼女が自分の使命を捨てて、1緒に火星に行きたいであろうことは予想された。しかし、承知するとは思えなかった。またそれを提案することで、彼女を苦しめることになることも理解された。
同じ人類救済ではあるが、「ケントの心には、ディストピアの淵にまさに落ちようとする人類救済」という課題と、「火星において人類を存続させ、新人類を立ち上げる」という課題。どちらかのプロジェクトを選択する必要に迫られた。愛するカレンは既に前者を選択している。答えの無い悩みが1ヶ月は続いただろうか。
ケントの性格を知り尽くしたカレンは、ケントの顔の表情、沈黙して考える彼、表情と行為の全てがその明確な印(しるし)であった。
これらの全ての想いを、2人はお互いに、無言のうちに理解していた。
ある日、カレンは軽い短い言葉を伝えた。ごく不自然なタイミングで。
「行ってらっしゃいよ、火星へ、」「感染しているの、私は、」
彼女は、その晩、1人で、涙が止まることはなかった。彼女の涙は、別れを強く決断し、自ら別れを実行した涙。
また、ケントも、同様であった。ケントの涙は、カレンを裏切り自分の好奇心を止められない自分を嘆く涙であった。
「悩む事」それは、心を育て、心を強くする。
それは、既に答えを観ている躊躇とは違う。
それは、万人の生の目的かもしれない。
答えは常に悩む経過の果てにある。
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