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50年の窓 第1章

50年の窓
―― 好奇心が消える日 ――
途 犀人 著

あらすじ

米国ボストン在住遺伝子学博士カレンは1935年10月自閉症の研究現場で、自閉症とは異なる物静かな児童が増えているという異変に気づく。応用心理学准教授である恋人のケントとその探求を続け、その原因が人類種の終焉となる「人類から好奇心が消える」という重大事が既に始まっている」という仮説をもとに、原因仮説を追い求め、究明し、やがては、米国政権を説得し、人類を救う冒険談。
題名は、「50年以内に解決しないと既に好奇心の欠如した子供達には解決不能である」という事態を語る。
著者の主張は「子供の発する『なぜ』への答えが育てる好奇心こそが脳内の知識の網(オントロジー)を構築する重要な進化圧である。」

(本文約7.8万字)。

咆哮をやめ、静かになった獣を 人は「従順」と呼び、神は「死」と記した。
問いを持たぬ者の世界は、鎖の長さよりも狭い。

――  ジェームズ・ヒルトン  ――
『失われた地平線』より



目次

 序章
 第1章 異常
 第2章 誕生日
 第3章 推測
 第4章 現状の再確認
 第5章 悪魔の雫
 第6章 NSA(米国国家安全保障局)
 第7章 仮説、ロシアへの決意
 第8章 CIA(中央情報局)
 第9章 出発、ワルシャワのUN(国連)支部
 第10章 ロシアへ
 第11章 農村パルチザン
 第12章 シンクロニシティ
 第13章 帰国
 第14章 米国政権
 第15章 米国の本気
 第16章 Ω研究会議
 第17章 Ω研究会全体会議1日目
 第18章 Ω研究会全体会議2日目
 第19章 スペースX
 第20章 つかの間の出会い
 第21章 第2回Ω研究会全体会議
 第22章 米国大統領府
 第23章 別れ
 第24章 火星へ、第1陣
 第25章 WG01、Gウイルス完成
 第26章 Dウイルス封鎖
 第27章 人類種の再起動
 第28章 再開、そして新世界の開拓
 後書き 世界の認識 解説


序章

20世紀末以来、自然科学の展開を超えた驚くべき速度で工学、技術の社会実装が進んでいる。2018年Googleの公開実験での写真の認識を目撃して心から驚愕を感じたのは著者だけではないと信じる。「コンピューターのプログラムで脳の前頭皮質の神経細胞の網を模して、沢山のデータを入力して作った『モデル』」が、その機能を発揮できる理由も明らかにされないまま応用が始まった。最初にマーケットに華々しく入ってきたのは多くの書籍を読み込んだ、言語のモデルでLLMと呼ばれた。コンピューターが自然言語を流暢に扱う事実は「人工知能実現」と大きな波紋が世の中に広がった。
そしてそこで扱われるデータは写真や自然言語のみでなく、遺伝子の構造、タンパク質の構造などあらゆるものをその「モデル化」することで従来得られなかった機能が得られることになり始めた。
これが2023年以降爆発的に開発と投資が進んだ所謂AIと呼ばれる技術である。2026年、そのモデルの素材選択の試みは拡大の一途をたどり、コンピュータ言語、知識そのものをモデル化する試みも進み専門分野における大きな成果を生みつつある。

知識をモデル化したAIは奥が深くアイディアの創発があり得ることで究極のAIになり得るものかもしれない。しかし、AIがどれほど進化しようとも、人間の知性とは決定的に異なる点がある。それは知のネットワークを駆動させる「内発的なエネルギー」の有無である。余談であるが、意識を扱うには至っていない。

人脳は知のノードの関係性のあるものを神経細胞でリンクさせながら網を育ててゆく。人は新たな知識を得るたびに、それを網内の所定の位置に納めリンクを強化してゆく。この知の構造を持ってオントロジーと呼ばれる、概念の「リンクされた知識」が脳内に育つ。人がこの脳内にオントロジーを築く方法は、「なぜ」という疑問に答えを見つけることに依っている。

脳科学の知見は、この衝動が生存に不可欠なハードウェアとして組み込まれていることを証明している。未知の事象や新たな意味秩序に遭遇した際、脳内の報酬系システムはドーパミンを放出し、人間に快感をもたらし、人という枠組みは更に知識を運んでくる。遺伝子は体の組織を作る命令で構成されている。しかし、遺伝子が体を作っただけでは何も始まらない。若い男女が異性を気にする仕組みを組み込むことで、命が次の世代に伝わる様に、知識を得た時に喜ぶ機能を組み込むことで、遺伝子は「知識獲得」の仕組みを形質にではなく動物の機能に組み込み進化圧としている。

「なぜ?」と問いかける事は遺伝子の罠であり、オントロジーを成長させる引き金である。言い換えれば、この内発的なエネルギー供給が停止すれば、知的な出力である科学や文化活動の全てが停止するのは必然であろう。
2025年8月、悪魔の雫が人類を襲い、人類から好奇心という知識醸成のための、その進化圧が消える。そして、2035年、世界中で誰も気づかぬ内に恐怖すべき事態が始まっていた。

第1章 異常

2035年10月
場所は米国、ボストン。
カレンはハーバードで遺伝子工学を研究してきた博士、研究員27歳。現在、彼女は自閉症を専門とする指導教授フレデリック・ハリス(フレッド)の下で「自閉症と遺伝子変異の関係」を1つの研究テーマとして追いかけている。
ケントは、同じボストンでMITの応用心理学部門で、子供教育を専攻する准教授であり、現在は進化心理学の分野へも研究の対象を広げている。
また、研究活動の一環として、MIT Edgerton CenterのSTEMアウトリーチプログラムで彼の地元、ブルックラインでエレメンタリー・スクールの教諭をボランティアで務めている、29歳。

カレンも、同じSTEMアウトリーチプログラムでのボランティアの教諭を務めており、2人は既に2年間の知り合いであった。
2人は恋人と言える関係ではないが、お互いが引き合っていることは相互に気づいていた。2人とも「研究に没頭」している自分を楽しんでおり、将来の研究成果にコミット出来なくなるリスクに躊躇し、将来を言葉にはできないでいた。
また、近隣の大学関係者の集うコミュニティに参加し、瞑想を生活のパターンに組み込んだり、最近の脳科学、進化心理学などの書籍を輪講するなど、自然発生的に集まった数人の「人の心」を探求するサークルの仲間でもあった。他人からは明らかに「恋人同士」に見えているのですが、、

STEMの事務所の周りには、イタリアン、ピザ、中華、寿司、インド料理、ラーメンなど合理的な価格の昼食に好ましい小さなレストランが沢山あった。
「今日は、ピザにしない?」
「いいわね。」
「席取っといて、僕買ってくる、何にする?」
「マルガリータかな?」
「僕はクワトロ・フォルマッジ、ちょっと待っててね。」

たっぷり席が有るわけではない店は、3人に2人は外で立ち食い。店主は窯から焼けてくるピッザを手際よく6分割や、4分割にして、紙に包んで客に渡してゆく。早く食べたければ、既に切れたピザで買い手のついてないのを取れば良い。好みにあわなければ3分も待てば必ず希望のピザがくる。アッツアッツの、チーズが溶けている。
「最近、ちゃんと瞑想している?」
「ちょっとなかなか。」
「フロイトとか、ユングとか読んだことある?」
「自慢じゃないけど、ないわ。」
「最近思うんだけど、今、自分だと思っている自分って本当の自分なのかな?」
「何で?そんなことにハマッてるの?」
「こないだ、車を運転していて、ちょっと速度出し過ぎで、突然、横断歩道で右から歩行者が出てきて、慌てて急ブレーキで、勿論事故にはならなかったけど、なんか変なんだよね。自分が気がついてブレーキ踏もうと思ったら、もう踏んでいたんだ。僕が気がつく前だよ。へんだよね?」
「何、言ってんだか?」
「僕じゃない誰かが僕の視覚や聴覚を共有しているんだよ。多分、そんな誰かが。」
「いいこと、教えてあげる。私も、学生の頃、瞑想してたら、頭の中で声が聞こえたことがある。あれ、絶対私じゃない、だって男っぽい声だったわ。」
「へー、カレンそれすごい。で、どんな話だったの?」
「知りたい?」
「うん。」
「コーヒー、おかわり。」
「Okay。ちょっと待って。」

「その声は、『貴方は誰ですか?』って、これ本当の話よ。」
「で、なんて答えたの?」
「わかんないから答えてない。そんなのわかんないでしょ?
それ以来、ずーっと考えているけど、わかんない。」
「哲学的だね。
   ・・・今日の予定は?」
「ちょっと気になることがあって、フレッドに時間をもらおうと思っている。」
「夕方の瞑想のコース行く?」
「僕行こうとおもっているけど。」
「了解。私も時間取れたら行くわ。」

カレンは自分の研究テーマのために、ボストン市内のいくつかのエレメンタリー・スクールの教諭に協力を求め、自閉症の症状を持つと思われる子供についての基礎的な事前情報収集を進めていた。

「フレッド!、時間のある時に相談に乗ってくれない?私の知人経由で行ったプレ調査でちょっと気になるデータがあり、放置して良いものかどうか悩んでいるの。相談に乗ってくださる?」
「今でもいいよ。」と言って、フレッド教授は机の上を片付けて、カレンを迎えた。
「このレポートを見てくださる?分類できないので自閉症の事例として上がってきているのかもしれないのですが、場合によっては新しい自閉症のパタンが発症しているのかもしれないし、ご意見をいただきたいの。」
「ちょっと待って、、、、
他者への感情移入とかあるようだから、自閉症ではないかもしれないね。何かの根拠に使うなら直接会って自分で確かめるべきだと思うな。」

カレンもそう考えていたので、外部での調査について教授の合意を確認したかったまでで、フレッドに礼を言って部屋に戻ったカレンは、対象の子供のいる3つのエレメンタリー・スクールを管理する教育長(Superintendent:米国の教育制度で地域の各校長の上に立つ、地域の教育に関わる責任ポスト)に面会を求め、調査の許可を得て対象の16名の児童との面接調査をすることにした。

カレンは、遺伝工学という研究分野ではすでに一角の成果をあげている研究者であった。また、研究途上ではあったが遺伝と脳の発育についての興味から「自閉症の遺伝子的視点からの研究」にも取り組んでいた。したがってマイケル・ガザニカなどの脳機能の機能エリアという考えに傾倒し脳の生育のプロセスを理解していた。

問題の子供達は、もの静かで大人しく活気がない、それだけなので今までの自閉症とはちょっと違うように見えて、他に想定される適切な問題が見えないためにカレンへのレポートに自閉症に分離されて上がってきたものであったと思われる。1つの可能性は、新たな自閉症の発症形態であることも否定できない。

いくつかの類似ケースの見られるニューイングランド内(米国北東部のマサチューセッツ、コネティカット、ロードアイランドの3つの州)の近隣の3つの学校を訪問し、16名の対象児童に面接し、遺伝子を採取した。それぞれの生徒は確かに物静かで積極的に話し出すようなことはなく、通常の子供達と明らかに異なる様な児童もいた。しかし自閉症の特徴である対話している相手の感情を読めないなどの自閉症を暗示するはっきりした特徴は確認できなかった。報告されていた16名のうち4名はカレンの所見では自閉症と思われた。

自室に戻って、児童から収集した口内皮膚の遺伝子調査サンプルの解析を始めた。収集サンプルをPCに接続した専用アダプターに挿入し、AIアプリ・プロバイダーを起動すると2分ほどで、対象児童のDNAマップデータと、そのDNAマップの正常性チェック評価結果が得られる。その結果は1つの事実を除いてどれも正常であり、カレンが自閉症と判断した4名以外は自閉症を疑う要素は全くなかった。

しかし、その1つの事実とは、16名中10名に脳内へドーパミン放出に関わると思われる遺伝子のエリアに一般人には無いDNAのパターンが見られたことであった。

カレンは、博士号取得時の指導教授のエドワード・ブレナン(テッド)のオフィスを訪ね意見を求めることにした。
「ハイ!カレン、元気ですか?自閉症の遺伝子解析は順調ですか?」
「テッド、ありがとう、おかげさまで、研究は順調なのですが、今日は別件でご意見をいただきたくお邪魔しました。」
「新種の自閉症を暗示するケースがいくつか出たので患者の面接と遺伝子採取をしたのですが、奇妙な結果が得られたので教授のご意見を伺いにきました。」

「どう言う話ですか?」
「母集団100名の中で自閉症の可能性がありとして抽出された16名の子供達のうち4名は私の判断で自閉症と認めました。残りの12名ですが、驚いたことにそのうち10名が、脳のドーパミン放出に関与する遺伝子が常人とは異なり、またその変異は、10名全員同一で、そして過去に報告されていない変化を持っているのです。」

10名のうち最年長は9歳で2名、その2名は2026年のウクライナ戦争終結後のロシアの難民の子です。他の8名は7歳以下でロシアとは関係のない移民、二次大戦以前の移民とかいろいろです。」
「データを預かって良ければ、2、3日うちに何か意見を返せると思うよ。」
「よろしくお願いします。」

2日後、テッドからメールが来た、その内容は、
1、テッドの専門分野の視点では、6名の症例は自閉症とは言えない。
2、むしろカレンの専門でさらなる確認が必要だが、10名の遺伝子変異は、更なる確認が必要と考えるが多分、好奇心の発育を阻害する事になる変異と考えられる。
3、この遺伝子の変化は10件のデータが全く同じ変異である事、更に今までどこの学会においても報告の無い事例であり、かつ地域的に比較的広範囲に同時期に発生が見られ、自然発生的なものかどうか疑問を感じます。

との意見が書かれていた。
カレンはテッドの言う「自然発生的でないかもしれない」と言う意味がよく理解できなかった。

カレンは、事実を手短にまとめて、自分の属する遺伝子の学会(米国人類遺伝子学会:ASHG)にショートノートとして報告した。直ちに、他者からの問い合わせはなかった。

カレンは「自然発生的でない」という言葉が放置できず、他者を説得する意味で少なくとも千件ほどの該当者事例を明確にする必要を考え、その遺伝子解析委託料、自分の旅費などを考えると10万ドルは必要と考え、ジョージアの医学系の財団に本件についてのレポートを書き、より広範なエリアでの調査が必要であることを訴えた拡大調査計画をまとめ、その調査実施のための資金援助を求めた。

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