Victor HP-DX1000 20年前に恋に落ちた理由を探る
2005年に惚れ込んで購入したヘッドホン、Victor HP-DX1000。今年でついに20年目を迎えました。
20年という長い歳月は、愛機にも確かな痕跡を残しています。木製のハウジングを支える金属の塗装は酸化し、かつての輝きは失われました。イヤパッドの合皮は禿げ、ヘッドバンドはボロボロ。ケーブルもやや断線気味で、角度が悪いと途切れます。
それでも、MDR-Z1Rに買い換えるまでの、15年以上もの間、私の一番の愛機として、本当によく頑張って第一線で鳴り続けてくれました。
現代の高性能なヘッドホンと聴き比べると、スペックや音質そのものでは見劣りする部分も多々あります。しかし、今改めて手に取り、耳を傾けると、不思議と心地よい音がそこにはあります。
なぜ私は、20年前のあの日、このヘッドホンに心を奪われたのか。その理由を改めて探ってみたいと思います。
Victor HP-DX1000とは?
ちょっと変わった機種で、ハウジングの木にドライバを直接マウントする、ダイレクトマウント方式というのを取っています。

当時、MDR-R10の欅の芯材や、黒檀みたいな硬い木を採用するケースが多い中、逆に硬すぎないパイン材を使い、木による自然な減衰を目指した、みたいな事も書かれていた気がします。詳しくは以下のページを見てください。
出会いを振り返る
あれは大学2年生の夏、8月初旬。夏休みが始まったばかりの頃でした。私はオーディオの聖地、大阪・日本橋のシマムセンにいました。
当時の私は、STAXのコンデンサー型をはじめ、様々なヘッドホンの音を聴いてみたいと意気込んでいました。特に目当てだったのは、当時から評価の非常に高かったゼンハイザーのHD650です。
しかし、期待して聴いたHD650の音は、どうも私の好みには合いませんでした。音像がやや緩く、俗に「ゼンハイザーベール」と言われる独特のヴェール感があり、好きになれなかったのです。
そこで私は、店員さんに思い切って尋ねてみました。 「ピアノジャズにピッタリのヘッドホン、ありますか?」
すると店員さんが、「ちょうど1週間前に出たばかりですよ」と言って出してくれたのが、このHP-DX1000でした。それだけでなく、試聴用にとBill Evans TrioのCD(おそらく『Waltz for Debby』だったと記憶しています)まで用意し、流してくれたのです。
一聴して、私は心を奪われました。
暗いヴェールのかかった音とは対極の、明るく、それでいてピアノの音に確かな「筋」が通った音。一音一音がくっきりと、しかし冷たくならずに響く様に、一瞬で恋に落ちました。その足で郵便局のATMへ向かい、アルバイトで貯めたほぼ全財産の10万円を引き出し、私はシマムセンへととんぼ返りしました。
それから本当に長い間、私はこのHP-DX1000で、飽きることなくピアノジャズを聴き続けていたのです。
再生環境
PC -> S.M.S.L D400EX (DAC) -> Luxman P-750u mkII (Headphone Amplifier)
6.3mm 標準プラグ出力
古い機種で、AutoEqにターゲット補正EQプリセットが無いため、無補正です
評価曲はいつもの
総評:MDR-Z1R比較
20年の時を経て、私の手元にはMDR-Z1R(EQ調整済み)という現代のハイエンド機があります。正直に言えば、音のクオリティのほぼ全てにおいて、MDR-Z1RがHP-DX1000を上回っています。
音場は、MDR-Z1Rが手の届く範囲まで広々と展開するのに対し、HP-DX1000は顔の周りにこぢんまりとまとまる程度。解像度や質感の差は歴然で、例えるなら「生音 vs ラジカセ」ほどの違いを感じることもあります。
低音も、底の底から響くような重低音は正直あまり出ていません。定位も甘く、音がボヤける瞬間もあります。周波数特性もやや個性的で、サ行やドラムのハイハットがやや刺さるように感じることも。
しかし、です。 これだけ欠点を並べ立てても、なぜか全般的に音が「バランス」しており、不思議と心地よく聴けてしまうのです。これこそが、HP-DX1000の最大の魅力なのかもしれません。
具体評価
この不思議な心地よさの正体を、もう少し具体的に分解してみます。
謎の立体感
正直に言って、定位は良くありませんし、音場も狭いです。しかし、それとは裏腹に、音の「立体感」はやたらとしっかりしており、上下前後左右の見通しが妙に良いのです。
例えば、Yosi Horikawaの「Bubbles」を聴くと、「あ、このボール(の音)、いま右後ろから中央前に行ったな」というような音の移動が、非常に生々しく分かります。音場が狭いボヤけた空間の中で、音の立体方向だけは明確に分かる感覚です。なぜこのようなことが起きるのか、技術的な理由は定かではありません。
HP-DX1000の5年後くらいに購入した、当時の低音最強機種であるDENON AH-D7000よりHP−DX1000をずっと使った理由こそ、この立体感だったりします。
不思議な見通しの良さ
例えば、補正をしていない状態のMDR-Z1Rだと、中低音の量感によって音が曇る(マスクされる)感覚があります。しかし、HP-DX1000にはその曇り感がまったくなく、音色そのものが非常に明るくクリアです。そして、楽曲によっては、立体感も相まって音が分離しているように聞こえます。
Hello - Adele
ボーカルが他の楽器に埋もれず、しっかりと前に定位して聞こえます。
Take Five - The Dave Brubeck Quartet / Peri's Scope - Jaden Evans
ベースライン、ピアノの主旋律、ドラムの高音が、それぞれを邪魔することなく、しっかりと分離して耳に届きます。
これは、周波数特性の基本(低音の上がり、200Hz付近の谷、2kHzから上がり3kHzをピークにするという現代のターゲットカーブに近い形)がある程度出来ていることに加え、500Hzのピークと、その後の落ち込み、及び5.5kHzあたりの絶妙な周波数特性の谷が、かえって音の分離を良くしているような印象を受けます。
出ていないが、厚みはある低音
前述の通り、重低音(サブベース)の領域は正直あまり出ていません。Hans Zimmerの「Why So Serious?」のような曲を聴くと、地を這うような圧力は感じられず、全般的に軽く聞こえます。
しかし、低音の「厚み」と「ノリの良さ」は別物です。低音の立ち上がりが速いのか、ベースやバスドラムのスラム感はしっかりと感じられ、音楽を楽しく聴かせる推進力があります。これは、厚手のイヤパッドと、ドライバーを耳に近づけるダイレクトマウント方式によって、密閉性がしっかり確保されているからかもしれません。
ピアノの音がめちゃくちゃしっかりしている
これこそが、私が20年前に恋に落ちた最大の理由でしょう。このヘッドホンは、ピアノの音の「芯」を驚くほどしっかりと捉えます。
かの有名なHeBiさんのサイトの周波数特性を見ると、どうやら500Hz付近に特徴的なピーク(山)があるようです。試しにMDR-Z1RでEQを使い、500Hzあたりに同様のピーク(+5dB程度)を作ってみたところ、狙い通りピアノの芯がグッと前に出てきました。
ハーマンターゲットカーブなど現代の理論では、この500Hzあたりはむしろ少し下げた方が良いとされています。しかし、こと「ピアノジャズ」を聴く上では、このピークこそが正解だったのかもしれません。
刺さるのだが、金属感がやや欠ける高音
周波数特性を見ると、10kHzあたりで特性がバッサリと落ちています。
Take Five - The Dave Brubeck Quartet / Peri's Scope - Jaden Evans
ハイハットやシンバルは、量感としては結構刺さる印象があります。
しかし、それが金属的に「シャーン」と美しく響くかというと、そこまでの綺麗さや伸びやかさは足りません。
刺さるのに、金属的な質感が欠ける。なんとも不思議な高音です。 しかし、これも前述の500Hzのピークと組み合わさり、「ピアノジャズ」というジャンルで聴くと、不思議とバランスが取れた音として成立してしまうのです。
まとめ:この絶妙なバランスに恋をした
改めて評価すると、HP-DX1000は、音の質そのもの(解像感、歪みの少なさ、ハウジングの共振のなさ)が決して高いヘッドホンではないと思います。空間も狭いですし、音が団子のように聞こえる部分もあります。 (もしかすると、P-750u mkIIのような現代の高性能アンプで駆動すると、逆にアラの方が目立ってしまうかもしれません)
しかし、なぜか「まとまっている」。 そうとしか言いようのない魅力を持った機種です。
狭くボヤけるところもあるが、不思議な立体感がある。
現代のターゲットカーブの要件(基本的な周波数バランス)を満たしつつも、500Hzの謎のピークや高域の急激な減衰といった、個性的なディップやピークが散見される。
しかし、それらの要素が奇跡的に組み合わさった結果、初めて手に取った高級ヘッドホンAT-W1000で好きになった「ピアノジャズ」を、さらに力強く、エネルギッシュに、そして絶妙なバランスで聴かせてくれていたのです。
久々に愛機とじっくり向き合ったことで、音響ターゲットの「正解」とされるハーマンターゲットの、さらにその先にある「個人の好み」や「特定のジャンルに特化したEQ」のあり方について、深く思いを馳せることができました。
塗装が剥げ、ボロボロになったこのHP-DX1000は、もう殆ど使われることは無いでしょう。ですが、私にとってかけがえのない約15年以上の年月の「正解」だったのだと思っています。
