《みち草🧶》手紙やハガキやパーソナルなメッセージについて
現代の社会では多くの人がSNSでさまざまな発信をしている。
わたしが子供の頃、家族とアメリカに住んでたときに、毎週、土曜日に通ってた補習校の帰国子女の友達。この彼女とは離れ離れになってもずっとハガキや手紙でつながってた。小学校の何年のときかは忘れたが、彼女はニュージャージー州に引っ越した。その後、西ドイツ。
それでも我々はつながっていた。
SNSなんてない時代のこと。
彼女がペンシルベニア州のチョコレートのハーシー工場に行ったときには、その様子を、全面がハーシーのチョコの絵の、長細いハガキに、彼女独特の字でメッセージを送ってくれた。
今でも彼女が書く文字の印象はまったく変わらない。
わたしはそのチョコレート・ハガキが好きで部屋に飾ってた。
届いた手紙の便箋も、彼女が選んだものだって分かるものだった。
ここ何年もの間、この友達は、フェイスブックもインスタグラムもやってる。やってるのは知ってるが、でもわたしとはラインでつながってるだけだ。
わたしが彼女のSNSを見ることはない。
SNSは多くの人への発信で、パーソナルでない。とても一方的なものだと思う。
(批判ではなく、わたしは、そういうものだと思うということ)
手紙やハガキはとてもパーソナル。
旅先で、自分が味わってるこの空気を誰々に届けたい。どのハガキがいいだろう?
そんなことを、相手のことを思いながら選ぶ。
選んでる側もイイし、受け取る側も、ほ〜、ステキなハガキだなぁ、こんなとこに行ったんだなぁ、など思いながらメッセージを読む。お互いとてもイイ時間が過ごせる。
あくまでも自分がそうだからってことで、個人的な意見になるが。
版画で生活をしてたときは、わたしは年賀状と暑中見舞いを数千枚、作って毎年、送りだしていた。
ハガキの1枚の絵を決めるときには、皆に届けたい気持ちを込めたつもりだ。作ってるときも。
皆がやってるSNSとはこういうことなのか?
たぶん違うと思う。
新年の挨拶や夏の挨拶などがないアメリカ人の長年の友達にもこれらのハガキを送ってたが、彼女はうれしいことに、全部わたしの作品ということで、今でも持っててくれてるようだ。
手紙を書く、ハガキを送る、こういう行為が少なくなってきた今日この頃。
それでもわたしは友達たちと使っているラインでは、自分の好きなスタンプを「この人には」このスタンプがイイなと、使い分けたり、メッセージも、「彼女はこれ好きだろうな」など、思いながら、大事な人たちには、わたしのパーソナルな「海の声」を届け続けたい。
浦島太郎(桐谷健太)”海の声”(2016) YouTube動画
浦島さんの声よ、乙ちゃんに届け〜
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