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08_毛布・コート・包帯_J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解



こちらのマガジンでは、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、聖杯伝説的な側面から読み解いています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。

マガジン_06  から、神話学者のジョーゼフ・キャンベルが『千の顔をもつ英雄』で示した英雄の旅の項目に沿って読み解いています。項目については下記[06_聖杯伝説の構造]をご覧ください。

英雄の旅【出立】2 自然を超越した力の助け

Q.08-1 スペンサー先生が年老いているのはなぜか?

 キャンベルは、英雄が冒険に出立する際には、賢者と出会い、待ち受ける試練に対抗するための護符や助言を授けられる。賢者はしばしば、小さく皺だらけの老人として、護符はしばしば、老人が着ていた服として現れると述べている(Q)。
 『キャッチャー』では、スペンサー先生がこの賢者にあたる。「先生は腰がしっかり曲がっていて、姿勢だってまあひどいもんだ」(14)と年老いた姿が強調されるのもそのため。ホールデンが老先生に対して感じる「いったいこの人は何のためにまだ生きているんだろうって、つい思い悩んじまうわけだ。」(14)という辛らつなコメントも、死者の世界=冥界・彼岸に近い存在であるほど、賢者としての格が高まることの表現であろう。神話の文脈では、健康で若々しい肉体よりも、老いた肉体を持つ者の方が死者の世界に近く、その分、現実には見えないものごとを見たり、感知したりする能力を持つ。スペンサー先生は賢者として、英雄ホールデンに必要な教えを見抜き、それを与える存在である。
 
 スペンサー先生は、ナバホの「毛布で身体をすっぽりと包み」(15)、ホールデンに「キャッチされるとはどういうことか」「キャッチャーとしてなすべきことは何か」を、身をもって教える。
 そのうえで、先生はホールデンに歴史の答案を読み上げるようにいう。古代エジプト人についての記述は、オシリス神話で護符としてオシリスを復活へ導いたアイテムが、バラバラになった身体をつなぐミイラの〈包帯〉であることを教えてくれる。この答案は、ホールデン自身が書いたもの。本当の答えは自分の中にあり、賢者はそれを指し示す役割だということも、重要なポイントだ。
 スペンサー先生の教えは、終盤で主人公が自然史博物館のミイラの墓を見学し、倒れる場面にまで響いていく。

Q.08-2 ホールデンがコートを脱がないのはなぜか?

 『キャッチャー』後半、ホールデンの前にもう一人の賢者が現れる。
 スペンサー先生と話した後、電車でニューヨークへ行くのを一度目の冥界下りとするなら、二度目は、二日目の深夜。ホールデンが真冬のセントラルパークから、自宅へ向かう場面。
 この第二の下降の前に、ホールデンは、ホテルのバーへ行った帰り、クローク係の女性からコートを受け取る。引換券を無くしていたにも関わらず、女性は親切にコートを渡してくれ、赤いハンティング帽をかぶらせてくれる(258)。これが、第二の賢者とホールデンの護符。
 真夜中の「真剣に真っ暗」で「不気味な感じ」で、凍りつくように寒いセントラルパークで、「このまま肺炎になって死んじまうんじゃないだろうか」と、ホールデンは自分の葬式の場面を想像し、墓地に埋葬されているアリーに思いをはせて(260-262)、死者の世界の深淵へ、さらに踏み込んでいく。死んでしまいそうな寒さのなかで、ホールデンが生き残ったのは、護符であるコートが守ってくれたから。
 ホールデンが家に帰っても「コートは脱がないでおくことにした」(267)とわざわざいうのは、それが重要なアイテムだからだ。これが英雄の旅の項目「2 自然を超越した力の助け」である。
 
 古代エジプトの神話で、オシリスは、一度目は川に流されて殺され、復活した後、二度目には八つ裂きにされ、身体をバラバラにされて殺される。オシリスがミイラになるのは二度目に殺されたとき。
 深夜のセントラルパークでホールデンが、「もし僕が真剣に死んじまったら、誰かが遺体を川にどぶんと放り込んだりしてくれないものかってさ」(262)と考えるのは、自分をオシリスになぞらえているから。
 そして、オシリスにとっての包帯は、ホールデンにとってのコートである。
 
 『キャッチャー』では、1章のトムセン・ヒルのうえからフットボールの試合を見ているときから「僕はリバーシブルのコートを着ているだけ」「誰かが僕のキャメルのコートをかっぱらっていった」(10)と語られる。ホールデンが真冬のニューヨークで冥界巡りをするために、コートは護符となる重要なアイテム。冒頭で主人公が十分な護符を持っていないことが示され、英雄の旅が困難に満ちたものになるだろうことが予感される。

Q.08-3 スペンサー先生のナバホの毛布とは何か?

 〈spencerスペンサー〉には外套の意味もある。寒さから身を守るコート、スペンサー先生が着ているバスローブ、ナバホの毛布、エジプトのミイラの包帯は、アントリーニ先生が、投身自殺したジェイムズ・キャッスルにかけてあげた上着(295)や、ホールデンが投身自殺をしたら、誰かがさっと覆いをかけてくれるといいと願うこと(178)につながっている。
 『キャッチャー』における〈聖杯〉とは何か、という究極の問いにあっさりと答えてしまうなら、それは目の前で落下しそうな人、あるいはすでに落下してしまった人を助けたい、キャッチしたいと願い行動する〈思いやり〉そのもののことであろうが、英雄を守る護符〈コート〉はこの気持ちを表現するアイテムとしても重要な役割を果たす。誰かが誰かのためを思って与える護符〈コート〉は、具現化された〈聖杯〉のひとつの形でもあるのだ。
 
 「ぼくはちょっとおかしい」でフィービーがワードローブ係だと語られることや、「序章」で、「彼ら(初対面のパーティの客たち)を愛することによって、シーモアはほとんどすべての客に——あらかじめ聞くこともせず——各自のコートを一度に一着か二着ずつまったく間違えずに持ってきたし、男たちにはすべて、それぞれの帽子を一緒に持ってきた」(156)と語られるのは、フィービーやシーモアに、賢者の才能があることを示す描写。フィービーやシーモアが、誰かのキャッチャーになりたいと思っていることの表現だ。
 「フラニー」の〈コート〉、「愛らしき」の〈背広〉など、サリンジャーはこのモチーフを繰り返し描いている。
 また、ホールデンがかぶる帽子に、幸運の胞衣の意味が込められていることは、竹内氏によって指摘されている(K)。豊饒神話において、胞衣=コールcaulは翌年の豊かな実りを育む母なる大地=フィールドfieldそのものとも重なる。フィールドは豊饒をもたらす大地であると同時に、フットボールやテニスなど、二項対立ゲームが行われる競技場でもある。一人ひとりの内なるフィールドを、精神をすり減らせるゲームで荒地にするのか、三人でフットボールを投げ合うような、調和と豊饒の地とするのかは、その人次第ということだろうか。いずれにせよ、ホールデンの姓コールフィールドには、病んだ英雄を毛布のように包み込み、精神的な豊饒を育む母なる大地の胞衣の意味が込められている。

Q.08-4 スペンサー先生が流感にかかっているのはなぜか?

 流感にかかっているスペンサー先生は、聖杯伝説に当てはめるなら、病んで国土を荒廃させている王。スペンサー先生の対として登場するもう一人の教師、アントリーニ先生は、自殺したジェームズ・キャッスルを、自らの上着を差し出してキャッチするヒーロー。病んだ王のために聖杯探究の旅に出る英雄。
 スペンサー先生の流感は、ホールデンの弱った精神状態、救世主にキャッチされたいと願う心と重なる。アントリーニ先生の英雄的な一面は、ホールデンがなりたいと望むキャッチャーの姿に重なる。

聖杯伝説については下記参照。

 スペンサー先生が纏っているナバホの毛布は、体を温め流感を治すのに有効なアイテム。ミイラの傷を癒し、復活へ導いた包帯と同義。それは、アントリーニ先生が傷を負った人のために差し出す、英雄の上着とつながる。病んだ者を癒す包帯と、ヒーローが纏っている上着(マント)はつながっている。
 これを、シェイクスピアに当てはめて考えるなら、『リア王』でリアが権力の失墜とともに王の衣装を失い、荒野で狂気におちいって、自ら摘んだ薬草で作った衣装に身を包み、薬草で作った冠を戴くのは、病んで狂った精神を薬草の力で癒すため。だからこれは、弱った怪我人を包む包帯。『テンペスト』でプロスペローが魔法のマントを纏うのは、英雄として悪意と戦うため。だからこれはヒーローの衣装。
 そして、英雄のマントと怪我を癒す包帯=病人を包む毛布は、本質的には同じものなのだ。
 キャンベルによれば、夢は個人の神話であり、神話は社会の夢。(『神話の力』ジョーゼフ・キャンベル)ユング派の研究においては、夜ごと毛布にくるまれて夢を見ることは、自分の神話を紡ぐこと、英雄の旅に出ることと同義。だから、英雄のマントや怪我人を癒す包帯は、ベッドで眠るフィービーの毛布、あなた=Youのベッドにある、あなたの毛布ともつながっていることになる。
 すると、『リア王』でリアが、「ズーイ」でズーイが、「笑い男」でゲザツキーが、洋服のボタンを外すしぐさが印象的に描かれている理由の半分も、もうお分かりであろう(あとの半分は各作品読解にて)。

 サリンジャーの初期短編「フランスにて」では、戦地において、タコツボの中で血に汚れた毛布にくるまり、胎児のような姿勢で束の間眠り、戦闘で疲れ果てた心身を癒す様子が印象的に描かれている。
 そして、『キャッチャー』の前半、5・6章あたりまでは、戦地で書かれたといわれている。サリンジャーは実際に、墓穴に似たタコツボのなかで、いつそこが本当の墓穴になってもおかしくないような状況下で、敵からの攻撃や、怪我や死におびえながら、神話に出てくる毛布やコートやオシリスの棺や、ジュリエット、イエス、ラザロ、オシリスが埋葬され復活した墓穴の意味について考え抜き、作品へ結実させていったわけだ。
 文化人類学者の山口昌男によると、ナバホ族の道化(ホールデンの道化性については後述)は、毛布に赤い血をつけてゆすり、病んでいる患者を癒す儀式を行うという(U)。このことを、サリンジャーが自然史博物館などの展示で見聞きしていた可能性も高いのではないだろうか。

つづきはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。



■参考文献
U_『道化の民俗学』山口昌男、ちくま学芸文庫、1993年

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