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16_女神フィービー_J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』考察


こちらのマガジンでは、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、聖杯伝説的な側面から読み解いています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。

マガジン_06 から、神話学者のジョーゼフ・キャンベルが『千の顔をもつ英雄』で示した英雄の旅の項目に沿って読み解いています。項目については下記[06_聖杯伝説の構造]をご覧ください。

英雄の旅【イニシエーション】2 女神との遭遇 

Q.16-1 フィービーがDBの部屋で眠っているのはなぜか?

 ユング派の研究者エーリッヒ・ノイマンは、神話において、原両親が一体となった姿は、二匹の蛇が一体となったウロボロスとして現れると説明している。物心つく前の幼児は、原両親を象徴するウロボロスの中で自己充足している。ここでは、愛と憎しみ、喜びと悲しみ、快と不快、好きと嫌い、是と非は互いに混ざり合っている。ここから成長するにつれて、自我が分離し、世界を支配している二項対立の中へ入っていく。このとき、原両親の分離が起こり、オイディプス・コンプレックスが形成され、人間的な苦悩がはじまる。すると今度は、ウロボロスは個性化の完成シンボル、自己形成における中核イメージとなるという(Q)。
 
 また、オシリス神話のイシスが妹であり妻であるように、キャンベルは、神話における究極の女神=アニマは、母であり、姉妹であり、恋人であり、花嫁でもある(G)という。『キャッチャー』におけるフィービーは、オシリス神話のイシスにあたる女神であることは、先行研究で指摘されている(C)。それは、アニマ=グレートマザーにも通じる存在。また、ホールデンに世界の規範を教える兄DBは、象徴的な父でもある(この理由は後述)。
だから、『キャッチャー』では、ホールデンの自宅の、フィービーが眠っているDBの部屋が、原両親がひとつになったウロボロス空間、ハムレットにとってのガートルードの部屋(詳細『ハムレット』読解にて・準備中)にあたる。ここは、博物館のミイラの展示室と並んで、もう一つのクジラの腹の中、冥界巡りの最深部ともいえる場だ。
 
 ホールデンは、象徴的父(サーマー校長、スペンサー先生、弁護士の父、芸術創作よりも社会的名誉や金銭的豊かさを優先したDBら、詳細後述)から与えられた価値観(フロイトのいう象徴的去勢)、大人社会のルールにのっとった二項対立ゲームへの参加を拒否し、グレートマザーに還ること、ウロボロス空間で原両親と一体となった混沌世界へ戻り、そこから生まれなおすことを望む。この場面で、ホールデンの実の母が実際に部屋に入ってくる(299)のは、そこがクジラの腹=母胎であることを強調するためだろう。
 
 DBの部屋が「うちではいちばん大きな部屋」で、「気がふれたみたいにでかい机」と「やたら巨大なベッド」がある(268)と書かれるのは、フィービーが子どもでありながら、永遠の少年ホールデンのグレートマザー的存在になっていること、反対に、ホールデンが精神的に幼児がえりしていること、退行していることの表現と読める。「ズーイ」で、シーモアとバディの部屋が「おおむね子供向きの寸法を持つ」(261)と書かれるのとは逆の表現だ。
 ホールデンは、兄の気配が漂うフィービーの眠る部屋、というウロボロス空間で、物心がつく前の原初の記憶へ立ち戻り、フィービーとの対話やダンス、暗闇での激突と一体化、フィービーのやさしさに触れ、精神的にキャッチされるという一連の儀式を通して、原両親との関係を見直し、自分の成長を阻むオイディプス・コンプレックスの一部を解消しながら、成長しようとしているのではないだろうか。

Q.16-2 フィービーが青いコートを着ているのはなぜか?

 キャンベルによれば、一連の試練を乗り越えた英雄の最後の冒険は、英雄の魂と、女神との神秘的な結婚として表現される。この結婚は、しばしば、心の奥底の暗闇の中でなされるという(G)。
 『キャッチャー』における「2 女神との遭遇」の女神は、妹フィービー。物語の最後、回転木馬の場面で、フィービーが聖母マリアを思わせるブルーのコート(359)を着ていること、聖母マリアは月の女神ディアナにつながることも、しばしば言及されてきた。
 『キャッチャー』で、女神フィービーは、最終的に聖杯として英雄ホールデンをキャッチする。学校の芝居に出たいという気持ちや、クリスマスのお小遣いなど、自分が欲しいと思うものすべてを投げ出して、家出をしようとするホールデンに手を差し伸べる。兄をキャッチしようとする手は、イシスの包帯と同じ。割れたレコードを大切にしまう(save救う)しぐさや、青いコートもそれを表現するものだ。
 さらに、竹内氏が注目している、フィービーとホールデンが部屋の中で衝突するシーン。ホールデンが自宅に帰り、母親の帰宅をやり過ごした直後、DBの部屋の真っ暗闇の中で二人がぶつかる場面(302)は、キャンベルが述べる、心の奥底の暗闇の中でなされる聖婚のイメージに一致する。
 
 ここでのフィービーは、ホールデンの無意識に潜む究極の女性像・女神、ユングがアニマといったもの(男性の無意識人格の女性的な元型〈Wikipedia〉)、あるいはホールデン自身の分裂・反転した姿の投影という意味でとらえる方が分かりやすい。ユング派の神話における聖なる婚姻とは、自分のなかで分裂していた精神の統合、無意識の奥深くに抑圧していた記憶の一部を、意識の側に包摂することを意味する(N)。
 神話は登場人物たちが親子や兄弟であることが多く、それを下敷きにしているサリンジャー作品も同様の傾向を持つ。コールフィールド家ものも、グラス家サーガも、兄弟姉妹間のやり取りでしか最終的な救済が見られない点がしばしば批判されてきたわけだが、それはサリンジャー作品が神話であり、オルターエゴ・分身の表現として兄弟姉妹を使っているからといえるだろう。

つづきはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。



■参考文献
N_『ユング自伝2』A.ヤッフェ編、河合隼雄・藤縄昭・出井淑子 共訳、みすず書房、1973年

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