【小説】ファインダーの向こう側 ~潮風とハレーション~第三章:暗室の告白
ヒロインに選ばれた日の夕方、私は絵里香に呼び出された。
場所は、部室の奥にある暗室。
フィルムを現像するための、光の一切を遮断された、小さな密室だった。
ツンとした薬品の臭いが鼻をつく。
ガチャリ、と内側から鍵がかけられる冷たい音が、やけに大きく響いた。
赤いセーフライトだけが灯る闇の中、絵里香の顔は能面のように浮かび上がっていた。
その瞳には、今まで見たこともないような、剥き出しの憎悪が燃えていた。
「どうしてあなたなの」
赤いセーフライトに照らされた絵里香の顔は、能面のように無表情だった。
「別に全然かわいくないのに。裏で何か手を回した? 先輩に媚びてたんでしょう」
「そんなことないよ。皆、妹みたいな感覚で入れてくれたんじゃないかな。それに、先輩方、みんな彼女がいる人ばかりだったでしょう?」
私がそう言うと、彼女の表情がぐにゃりと歪んだ。
「わかっていればいいのよ。あなたよりも、私の方がずっとかわいくて綺麗だから」
「そうだね、あなたの方が可愛いよね」
あっさりと認めた私のその一言が、彼女の最後の理性を瞬時に焼き切ったらしかった。
「あなたは生意気だ! その余裕綽々なところが、とてもむかつく!」
彼女は、声を荒げた。それはもはや詰問ではなく、呪詛に近い叫びだった。
私の容姿、服装、喋り方、その他全てを否定し、貶める言葉の洪水。
私は、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように、じっと耐えていた。
…どのくらいの時間が経っただろう。
彼女の罵倒が途切れ、荒い呼吸だけが暗闇に響いた時、私は静かに口を開いた。
「…もう、帰ってもいいかな?」
その一言が、張り詰めていた空気をぷつりと断ち切った。
絵里香は、まるで憑き物が落ちたように呆然と私を見て、「あ、うん、いいよ…」と力なく呟いた。
暗室の扉を開け、外の明るい光を浴びた瞬間、私の心の中で何かがプツリと切れた。
何なのだろう、これは。
ただ、海が見えるキャンパスで、静かに好きなものを撮りたかっただけなのに。
どうしてこんな、剥き出しの嫉妬と憎悪の標的にされなければならないのか。
ヒロイン?
そんなものになりたかったわけじゃない。
先輩たちの気まぐれな評価一つで、こんな面倒な渦の中心に立たされるなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
夕暮れのキャンパスを一人歩きながら、私は本気で退部を考えていた。
もう辞めてしまおう。
こんな世界は、私には向いていない。
あの暗室の闇に、今日の出来事も、シネクラでの短い思い出も、全部閉じ込めてしまえばいい。
そうすれば、また元の、穏やかで平凡な日常に戻れるはずだ。
私は、冒険の舞台から逃げ出すことだけを考えていた。
スポットライトも、主役の座も、すべて絵里香にあげてしまえばいい。
私は、観客席の、一番後ろの、薄暗い席で十分だ。
それが、私の出した結論だった。
未知の世界へ踏み出すことへの、明確な「拒絶」。
私は、明日、部長に退部届を出すことを、固く心に決めていた。
