この小学校の常識、世間では非常識?それとも、もう50年以上も昔の話だから?違うって??(2)
[八]楽焼(らくやき)
年に1回、児童全員が図工の時間に「らくやき」専用の粘土が配られて自由に作品を作り、そして自由に色を付け、それがある程度乾いたころにどこかから焼き物の専門家の方が小学校に出張して来てくれてその年度の児童一人々々の作品を焼いてくれて綺麗な陶芸品に仕上げてくれるという…
[九]講堂で映画会
数ヶ月に一度ベースだっただろうか、映画上映専門の業者の方が小学校に来てくれて、講堂に全校児童百数十名が集まって同じ映画…必然的に小学生向けの教育映画、を見るという行事が行われていた。
その中で…覚えていることを2つ。
映画の内容は、『交通戦争』とまで言われて警察庁統計によると全国の年間で一万六千人もの人達が交通事故で亡くなっていたという当時、その交通事故で一家の大黒柱であるお父さんを失くした家庭がどんなに苦労の生活を強いられているかを描いたもので、私はそれを見ながら泣いていたらしい。よく覚えてはいないが。それを見た当時小学校4年生の担任の女の先生は私の母に、この子は何て感受性のある思いやりのある子どもだろうと思ったと、まるで褒めるように言っていたように記憶するが、いやそれは違う。その映画の内容は、当時の小学4年生の自分にとって、ただただ拷問でしかなかったんだ…(必死の叫び)
それと、とある昔の偉いお坊さんの若い時代を描いたアニメの映画について、見た後皆が教室に戻ってそして帰り際の時間に、なぜかその時は担任の教員ではなく、週1時間だけ習字の時間を担当してくれていた別の学年の担任の男の先生が居て、みんなに「あの映画の題名、覚えているか?」と聞いて、私以外の皆はさっぱり答えられず、そして私も、「かんのんさま・・・??」と、結構いい加減な答えしかできなかったのを覚えている。(正解は、『ゆうてんさま』だったように思う)
[十]アメリカの友好の印の人形、残念ながら私の在学中に発見できず
1927年頃、アメリカから日本の各小学校に向けて、「青い目の人形」が贈られたことがあったらしい。その人形はやがて日米開戦などを経た戦時中のどさくさなどにより多くの小学校で行方不明になっていた。しかし2000年代ごろだっただろうか、ちらほらと、どこかの小学校内で偶然発見した、という話をよく聞くようになった。......そんな中で、その私の出身小学校でも発見されたという。発見したのは、当時私が小学生の時は『他校にも知れた』ような他の小学校の名物的先生で、時は過ぎ、その私の出身小学校の校長先生になったという…その先生だったそうだ。・・・それにしても、私が在学中に発見したかったのに…という複雑気分。
[十一](2025/9/25追記)校歌
…その小学校の校歌は、私が小学校に入る数年~十数年程度前あたりだったかな?数代前の校長先生、長年地元で校区内に住んでおられたその当時の校長先生の作詞・作曲によるものでした。その時点でその学校、前身を含めると創立百年近い歴史がある中、私にとって伯母さん・叔母さんにあたる人が3人居て、やはり同じその小学校に通っていたのですが、校歌について「私らの時のとは違う」と言っていたので、その当時は比較的新しい校歌でした。とはいっても、今から思えば小学校の校歌として小学生が歌うには言葉の意味が難しく、多分、小学校に通っていたその時よりも後で大人になってからその小学校時代そしてその郷土を思い出し良い思い出として懐かしむための歌…のような気が、今更ながらする、そんな歌です。これももう無くなった小学校の歌のこと、覚えている限りその歌詞をここに暴露してしまおうっと!
1:伊那佐山 そびゆるふもと
清らかにも 厳しき姿
身も魂も 健やかなれと
永遠の 祈りに建てる
真心の 華咲く学び舎
2:芳野川 流れ遥けく
伝え来ぬ 美しき心
人の世に 捧げん力
自らに 修め学びて
求めゆく 伊那佐のわれら
3:城山の 空明け行けば
山峡を 踏み来る足音
手を取りて 校庭に集うは
次の世を 担う生命の
我ら皆 伊那佐の健児
…なにぶんにも今から思えば50年以上前の記憶を辿って書いたので、微妙なところでの間違いが無いでもないかもしれない…
で、そしてのちに自分も中学、高校と進学して、それぞれにその学校で昔から歌われてそして今も変わらず歌われている校歌があるのですが、正直言って、進学先の高校の校歌を聞いた時は、その時の若い心なりにですが相当なショックでした。…というのは、その高校の校歌、ついこの間まで自分が行っていた中学校の校歌と、歌詞の考え方・組み立て方・曲の雰囲気、そしてその根底に流れる思想的なもの…余りにそっくりなのでした。そして、それらの作詞作曲をされたのは全く同じ「県を代表するほどの歌人・音楽家」の方でありそして県内の多くの学校の校歌を作詞作曲されている様子…でも、その時なり・その年齢なりにですがその校歌に私が感じたのは、「粗製乱造」ということでした。今思えば、やはりその考えは変わらず、そして、曲の作り方にも一定のパターンがあり、それに沿って大量生産されたんだろうなと、今振り返ってそう思います。…そう思わざるを得ないくらい、今から思えば小学校の時の校歌は大変に意味があって「その小学校の校歌として」素晴らしかったと思います。
あの時は自分も純粋(言い換えれば全く同じ意味での単純)であり、学校を教育機関だと完全に間違ってとらえていたんだ…そこでは本当の意味での教育は行われておらず、行われているのは単に「管理」であり、学校でいくらいい成績を取ろうと社会人として人間的に優れているかどうか・ちゃんと生きられるかどうかとは全く関係がないのに、あると思い違いさせられていた…
