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壊される街と、奪われる民主主義 ―― 熱狂の政治から「私たちの自治」を取り戻すために【第3回】「勝者総取り」の罠 ―― 歪められた選挙制度の罪

(第1回から読む)


「4割の支持」が「7割の権力」に化けるマジック

 前回は、維新のような勢力が人々の「ルサンチマン(不満)」を煽り、「仮想敵」を作り出して熱狂を生み出す、ポピュリズムの心理的な詐欺手法についてお話ししました。

 しかし、いくらテレビで威勢の良いことを言い、一部の有権者を熱狂させたとしても、社会全体を見渡せば「そんな乱暴なやり方には賛同できない」「もっと慎重に議論すべきだ」と考える冷静な市民は実際にたくさんいます。

 それなのに、なぜ現実の選挙が終わると、彼らは議会で「圧倒的多数(過半数、あるいは3分の2以上)」を占め、やりたい放題の権力を握ってしまうのでしょうか?

 その最大の原因は、有権者の心理だけでなく、彼らに都合よく設計された「歪められた選挙制度」そのものにあります。

小選挙区制という「人工的な大勢力」の製造機

 国政において、自民党のような改憲を党是とする勢力が、なぜあれほど強大な権力を維持できるのか。その最大の要因は「小選挙区制」というシステムです。

 小選挙区制は「1つの選挙区から1人しか当選しない」勝者総取りのゲームです。
 例えば、ある選挙区でA候補が「40%」の票を取り、B候補が「30%」、C候補が「30%」だったとします。有権者の6割は「A候補以外」を望んでいるにもかかわらず、当選するのはA候補です。そして、敗れたB候補やC候補に投じられた6割の票は、すべて議席に結びつかない「死票」としてゴミ箱に捨てられてしまいます。

 これが全国の選挙区で繰り返されるとどうなるか。
 全体の得票率では「40%程度」しか支持されていない政党が、議席数に換算すると「70%以上」の絶対安定多数を占めてしまうという、恐ろしいマジックが起こるのです。

 日本国憲法の尊重擁護義務を果たさないような、この国の政治家としての基本さえも出来ていない者たちが、本来の「民意」の割合をはるかに超えて議会を支配し、数の暴力で改憲や悪法を押し通そうとする。これは、多様な声を切り捨てるシステムが作り出した「人工的な多数派」による横暴に他なりません。

地方議会を蝕む「身を切る改革」の罠

 そして、これと全く同じ、あるいはそれ以上に巧妙なことが、大阪市・府や、その他の自治体議会でも行われています。

 維新の会は「身を切る改革」という美名のもとに、市議会や府議会の「議員定数の削減」を強烈に推し進めてきました。「議員の数を減らせば税金の無駄遣いが減る」と言われれば、多くの市民は拍手喝采します。

 しかし、これは民主主義にとって猛毒です。
 議席の定数が減るということは、当選するための「ハードル(必要な得票数)」が跳ね上がることを意味します。そうなれば、資金力やテレビの知名度を持たない無所属の市民派議員や、小さな政党の議員、多様なマイノリティの声を代弁する議員は、ことごとく議会から締め出されてしまいます。

 結果として残るのは、強い組織力と資金を持つ「巨大政党」だけ。
「身を切る改革」の本当の目的は、税金の節約ではありません。邪魔な「少数意見のように見えるが実は大多数の意見」を議会から合法的に追い出し、自分たちだけの「一党独裁」に近い状態を人工的に作り出すための、極めて冷徹な権力闘争なのです。

「多数決」は民主主義のすべてではない

 選挙制度の歪みによって作られた「人工的な過半数」を盾に取り、彼らはこううそぶきます。「選挙で勝ったのだから、私たちが民意だ。白紙委任されたのだ」と。

 そして、議会のルールや手続きを無視し、反対派の質問時間を削り、大阪市を解体する住民投票を二度も強行し、あるいは国会で強行採決を繰り返します。

 しかし、民主主義とは単なる「多数決マシーン」ではありません。
 多数決はあくまで最終的な決定手段の一つに過ぎず、民主主義の本質は「自分たちとは違う少数派の意見にも耳を傾け、熟議を重ね、可能な限り合意形成を図る」という、面倒で時間のかかるプロセスそのものにあります。

「小鳥が来る街」のメロディを嘲笑ったように、彼らはその「面倒なプロセス」や「多様な声」を極端に嫌悪し、効率よく更地にすることだけを求めているのです。

次回予告:私たちはどうやって「自治」を取り戻すのか

 無知な権力者による破壊衝動。
 ルサンチマンを煽る詐欺的なポピュリズム。
 そして、多様性を切り捨てる歪んだ選挙制度。

 これら「3つの病理」が合わさった結果が、今の大阪市・大阪府であり、今の日本の姿です。
 では、この絶望的にも見える状況から、私たちはどうやって本来あるべき大阪市、大阪府、そして日本の姿を取り戻せばよいのでしょうか?

 最終回となる次回は、「改革」という言葉の呪縛から抜け出し、私たちが本来立ち返るべき「真の保守」の精神と、自治を取り戻すための具体的な道筋について考えます。

(次回/最終回へ進む)