金を先払いして働く仕事などない!63歳の知性が暴く最新タスク詐欺の闇【小説】『パンドラ・ファイル』(その5)無限タスクの囚人 ~“いいね💖”で人生を売る人々~(全7章)第一部:甘い労働、苦い報酬 第1章:1いいね💖=30円の罠
「動画に『いいね💖』するだけで稼げる」
甘い誘いに乗った真面目な若者。
待っていたのは保証金という名の搾取と、「連帯責任」による心理的監禁だった。
「金を先払いして働く仕事などない!」
63歳の知性派シニア・剣崎宗一郎が、若者の未来を食い物にする最新タスク詐欺のシステムを、論理とハッキングで完全破壊するシリーズ、その5。
東京・渋谷区の裏路地にある静かなカフェ。
剣崎宗一郎は、いつもの窓際の席でブラックコーヒーの湯気を眺めていた。
六十三歳。白髪交じりの短髪に、仕立ての良いジャケット。端から見れば、悠々自適なリタイア生活を送る紳士にしか見えないだろう。
だが、彼には決して履歴書には書けない裏の顔がある。
全人口の上位2%のIQ(知能指数)を持つ者だけが入会を許される国際グループ『NOUS』、その中でもさらに極秘に活動する自警団的組織『PANDORA(パンドラ)』のリーダー、コードネーム「Axiom(公理)」としての顔だ。
かつては大手企業のシステムエンジニア・プログラマーとしてコードを書き、その後は経営コンサルタントとして、傾いた企業を論理で再建してきた。
その経験と知能を活かし、ここ数ヶ月の間にも、投資詐欺グループや霊感商法のカルト教祖、さらには仮想通貨詐欺師といった「現代の捕食者」たちを、デジタル空間の闇に葬り去ってきたばかりだ。
「……平和だな」
剣崎は独り、小さくつぶやいた。
新たな「悪意バグ」が見つかるまでの、束の間の休息。
そう思っていた矢先だった。
ガシャーン!
カウンターの方で、グラスが割れる音が響いた。
「も、申し訳ありません!」
慌てて床を拭き始めたのは、顔馴染みの店員、栗山くるみだった。
二十代後半の女性。フリーランスのWebデザイナーとして働きながら、仕事が減った時期はこのカフェでアルバイトをしているという。普段は明るく、剣崎にも気さくに話しかけてくる彼女だが、今日は様子がおかしい。
顔色は青白く、目の下には隈がある。そして何より異様なのは、エプロンのポケットに入れたスマートフォンを、数十秒おきに強迫的な手つきで確認していることだ。
剣崎の「違和感センサー」が反応した。
あの目は、何かに追われている目だ。借金か、オトコか、あるいは――。

休憩時間になった様子で、テラス席で項垂れている彼女に、剣崎は声をかけた。
「くるみさん。少し、働きすぎじゃないかな」
くるみはビクッと肩を震わせ、慌ててスマホを隠した。
「け、剣崎さん……。いえ、大丈夫です。ただ、ちょっと忙しくて」
「デザイナーの仕事が?」
「ええ、まあ……。インボイスとか、生成AIの影響で単価が下がっちゃって。だから、割のいい『副業』を見つけて、頑張らないとって」
副業。その言葉に、剣崎は微かな警戒心を抱いた。
「どんな仕事だい? 私のようなアナログな老人にもわかるかな」
剣崎はわざとITに疎いふりをして尋ねた。相手の警戒を解くための、コンサルタント時代の常套手段だ。
くるみは少し迷ったようだが、誰かに話を聞いてほしかったのだろう。隠していたスマホの画面をそっと見せてくれた。
「これです。『グローバル・タスク・ソリューション』っていう海外のマーケティング会社の仕事なんですけど……すごく簡単なんです」
画面には、TikTokやInstagramの動画が並んでいた。
「指定された動画に『いいね💖』を押して、そのスクリーンショットを送るだけなんです。それだけで、1件30円から100円もらえるんですよ」
「『いいね💖』を押すだけで?」
剣崎は眉をひそめた。
市場原理としては、あり得ない単価だ。クリックファーム(サクラによる評価稼ぎ)の一種だろうが、それにしても報酬が高すぎる。
「最初は私も怪しいと思いました。でも、見てください」
彼女は別のアプリ画面を開いた。そこには『本日の報酬:5,200円』と表示されている。
「本当に振り込まれるんです。昨日も3千円、即金でPayPayに送られてきました。だから、これは詐欺じゃないんです」
――出たな。
剣崎は内心で舌打ちした。
これは「タスク詐欺」の典型的な入り口だ。
最初に数百円、数千円という「本物の報酬」という餌を与える。被害者は「本当に貰えた!」という成功体験によって、脳の警戒レベルを下げてしまう。
だが、詐欺師の目的は、この先にある。
「……それで? その『簡単な仕事』だけで終わるわけじゃないんだろう?」
剣崎が鋭く切り込むと、くるみの表情が曇った。
「……はい。実は、もっと稼げる『VIPタスク』っていうのに招待されたんです。1件の単価が千円になるんですけど、参加するには保証金として10万円を一旦預けないといけなくて……」
「払ったのか?」
「……払いました。でも、すぐに13万円になって戻ってくるはずだったんです。なのに……」
彼女の手が震え始めた。
「私が操作ミスをしたせいで、システムが凍結されちゃったんです。グループのみんなの報酬も止まってしまって……。『解除するには、追加で30万円の補填チャージが必要だ』って……」
「30万円!?」
「払わないと、グループの他の4人の人たちにも迷惑がかかるんです! チャットで『お前のせいだ』『損害賠償請求するぞ』って責められてて……私、どうしたら……」
彼女は泣き出しそうな顔で、消費者金融のアプリを開こうとしていた。
剣崎は、静かに彼女の手首を掴んで止めた。
「待ちなさい。……それはミスじゃない。最初から仕組まれたプログラムだ」
「え?」
「そのグループの『他の4人』も、人間じゃない。君を追い込むために書かれた、ただの、ボットという名前のプログラムだ」

剣崎の瞳に、冷徹な光が宿る。
真面目に働こうとする人間の、その勤労意欲と責任感を逆手に取る卑劣な手口。
許すわけにはいかない。
「くるみさん。そのスマホ、少し貸してもらえるかな?……私の『本業』の仲間たちに、そのふざけた会社の裏側を覗かせてやりたい」
