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【創作大賞2024応募作】神々の憂い #10

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八章
 
 灯はひたすらバイトに励んでいた。

「灯さん、店長が新作の和風シュークリームを試食してくれって言ってますよ。あさって届くらしいので、持って帰れって。黒蜜、きなこ、しらたま団子入りらしいっす」

「クリーム入ってないの?」
「もちろん入ってるっす」
「すごいね、なんかモリモリ」
「来週から店頭に並ぶみたいっすよ」
「ふーん。私、二個もらって帰ろうかなぁ」
「もしかして、彼氏できたんすっか?」
 好奇心全開の目で坂下が言う。
「そんなんじゃないよ。友達が遊びに来るんだ。だからちょうどいいかなと思って」

 厄病神の眷属が遊びに来るなんて言っても、信じてもらえないだろうから、友達と呼ばせてもらうことにした。

 あの日を境に、蔓は頻繁にうちに遊びに来るようになった。
 ノエに言われた通り、朱里七福神社で「蔓さんに遊びに来るように伝えてください」とお願いすれば、その日の晩に、お札の中から「お邪魔してもよろしいでしょうか?」と声がかかり、蔓が現れる。

 本心は、毎回朱里七福神社に出向いて、お願いするのも面倒なので、会う日を決めておきたいのだが、シュリ神様にお願いしなければ、お札の神道を通ることができない上、シュリ神様の術なくしては、蔓の姿すら見ることができないというので、灯からシュリ神様にお願いして欲しいと懇願され、このスタイルが定着している。

 おそらく、シュリ神様が灯に会えることを楽しみにしてくれているのだろう。蔓はそれを慮っているのだ。

 蔓が持参した料理で夕食をとり、そのあとは灯が用意したスイーツを食べながらおしゃべりをして過ごす。これが定番だ。

 驚くべきことに蔓は、平成・令和のことをほとんど知らない。蔓の話す『最近の出来事』は、灯が生まれる以前のことばかりなのだ。ちっとも最近の出来事じゃない。歴史の教科書に出てきそうな事を平気で口にしたりする。

 蔓は、ヤク爺のお使い以外で外出するのは、朱里七福神社くらいのようで、それでは時代に取り残されてしまうのも頷けた。

 そのせいか、灯が用意するどんなスイーツにも目を丸くして、喜んでくれる。

「このような甘味を見るのは初めてにございます」と感嘆し、一口食べれば「美味でございます」と破顔する。
 新作の和風シュークリームはどんな顔をして食べてくれるだろうか。

「灯さん、なんかいい顔してるっすね、本当に友達っすか?」
 ニヤけた顔で坂下に詰め寄られた。

「なに変な勘繰りしてんの。スイーツが好きなひとなの。どんな顔して食べるかなって想像してただけだよ」

「ふぅん」

 なにか言いたげなニヤケ顔に居た堪れず、思わずぷいっと顔を背けた。
 そこへ、全身に不穏オーラをまとった切羽詰まった様子の客が飛び込んできた。
 
 ――不審者二号だ。
  
 午後の時間帯に不審者二号が来店するのは珍しい。
 嫌な予感がする。
 青ざめた顔の不審者二号は、キョロキョロと落ち着きがなく、灯はさりげなく近寄って「なにかお探しでしょうか?」と声をかけた。

「あのう、店長さんは?」
 店長?

「申し訳ございません。なにか不手際がございましたでしょうか?」

「いえ、そういうことじゃないんです。僕は、室見むろみと言います。僕の名前を伝えてください。とにかく店長さんを……。お願いします。緊急事態なんです!」

 焦っているのは一目瞭然で、よく見れば、不審者二号の後ろには中高校生くらいの不安げな顔をした少女が立っていた。二号氏の連れなのだろうか。

「あのう、お客様、よろしければ、イートインスペースでお待ちいただけますか? ただいま店長と連絡をとってみますので」
 坂下も二号の様子が気になったのか、助け舟を出してくれる。

「よ、よろしくお願いします。すみません、声を荒げてしまって……」

 二号は、坂下の声かけに素直に応じて、少女と連れ立ちイートインスペースへと歩いて行った。やはりあのふたりは知り合いのようだ。

「店長、夜勤明けだし、まだ寝てるんじゃないの?」
「そうっすねー。でもあれは、間違いなくセーフティネット案件っすよ。ほっとけないし、店長じゃないと無理っす。それに――」
「ん?」
「不審者二号の素性が気になるじゃないですか。絶好のチャンスっす」

 ニヒヒと笑う顔は、悪巧みをしている悪代官のようで、二号の悲壮感とは対照的に、思わずプッと吹き出しそうになった。
 それから、三十分ほど過ぎたところで、店長が店に入ってきた。

「遅くなってすみません」

 店長は脇目もふらず、イートインスペースにいる二号に向かって声をかける。
 さあ、いよいよ答え合わせの始まりだ。

 さりげなくイートインスペースに近寄り聞き耳を立てる。幸い客は誰もいない。
 頭の中で開演のベルが鳴り響く。
 わくわくメーターも一気に加速する。

 それなのに店長は、ふたりをバックヤードに連れて行ってしまった。
 坂下はわかりやすく落胆している。それは灯も同じだった。

「どんなこと、話してるんだろうね」
 モヤモヤを消化できずに、思わず坂下君に話しかける。

「ひどいっすよねー。なんか合格発表当日に、発表を延期しますって言われた気分っす」
 まったくだ。せっかく不審者二号の素性がわかるかと思ったのに、これじゃぁ蛇の生殺しも同然だ。
 
 三人がバックヤードに籠って一時間ほど過ぎたころに、ようやく店長ひとりだけが出てきた。

「志方さん、ちょっといいですか」
「はい」
「申し訳ないのですが、今夜一晩だけでいいので、室見君と一緒にいるメイさんを泊めてもらえないでしょうか……? シェルターに避難できないか色々と探してみたのですが、どこもいっぱいで……」
「――シェルターって、虐待ですか?」
 思わず声をひそめる。

「あっ、うん、一応メイさんに話してもいいと言われているので教えますけど、彼女の両親はいわゆる毒親みたいでしてね。室見君を頼って逃げ出してきたそうなのです。ひとりでホテルに泊めるのもなんだか気が引けて――」

「家出少女ってことですか?」

 保護者の同意なく、未成年を家に泊めたりすれば罰せられるのではないだろうか。助けてあげたいの山々だが、警察沙汰になるのであれば怖気付く。

「あー、彼女幼く見えるけど、二十五歳だそうです」
「えぇー⁉︎ 私と同じ年ってことですか?」
「はい。だから、家出少女というのは少し違うかもしれません。もちろん知らない人を泊めろだなんて、無理強いはできないのですが……」

「わかりました」
 即答していた。

「ほんとに? いやー、助かります」

 心底ほっとしたような表情を浮かべる店長を見たら、灯まで嬉しくなる。
 赤の他人のために、どうしてこんなに一生懸命、世話をやくことができるのだろう。

「私も店長のご好意で今の部屋を借りることができてますし、お役に立てるのであれば」
「ありがとう。じゃぁ、今日はもう上がってください。それから坂下君に送ってもらってください。かなり粘着質なご両親のようなので、もし道中なにかあったら大変ですから」

 早退していいという店長の言葉に甘えて、灯は急いで帰り支度を済ませると、坂下に護衛してもらいながら家路についた。
 
 ありがたいことに、店長からお弁当を持ち帰っていいと言われていたので、三人で仲良く七福マート特製弁当をつついていると、
「おしゃれな部屋っすねー」と坂下が羨ましげな声を漏らした。

「でしょー。あのとき、坂下君が店長に頼んでくれたおかげだよ。ありがと」
「いやー、こんなにいい部屋って知ってたら、僕が住みたかったっす」
「あげないよーだ」

 ふたりで軽口を言い合っていると、終始、強張った表情をしていたメイがようやく笑ってくれた。

 訊くなら今だ。

「あのう、室見さんとは、そのぅ、どういう関係なの? 親戚とか?」
 そう訊ねた途端、メイの表情が固くなったので、聞かなければよかったと後悔した。

「あっ、ごめん。今の忘れて」

 慌てて打ち消すと、意外にもメイは「そうじゃないんです。なにから話そうか考えてただけなんです」と消え入りそうな声で答えてくれた。
 それからしばらく考え込むと、意を決したようにぽつりぽつりと話し始めた。

「室見さんは、以前、うちの会社で働いていたんです」
 うちの会社ってことは、お嬢様……?
 そのお嬢様が家出……?

「ご実家は会社を経営されてるの?」
「はい。祖父が始めた小さな会社ですけど地元ではそれなりに根付いてやっています」
「じゃぁ、ご実家の会社で知り合って仲良くなったって感じなんだ」
「――はい」
 なにこれ、もしかして駆け落ちってこと?
 不謹慎にもわくわくメーターが急上昇する。

「室見さんは私にとって唯一の外の世界でした」

 唯一の外の世界⁇
 ふたりで手に手をとって逃避行なんてものを想像していると、何やら妙な言葉が飛び出してきた。
 坂下も怪訝な顔をしている。

「私、小さい頃から、『筋金入りの箱入り娘』って言われてたんですけど、そうじゃないよって、目を覚ましなさいって教えてくれたのが室見さんなんです」

 話の筋がよくみえない。
 けれど、なにかとても大事なことを話そうとしていることだけは伝わってくる。

 灯はただ黙って、メイがつなぐポツポツとした言葉を拾い集めた。
 拙いながらも話し続けているということは、聞いてほしいという心の現れのように思えたからだ。

 彼女がこぼす言葉の点と点をつなぎ合わせ、少しずつ、彼女の生い立ちを理解した。
 メイの両親は箱入り娘として育てたというよりも、異常なまでの過干渉だった。
 毎日の学校の送り迎えは当たり前で、放課後に友達と遊んで帰るなんて経験は一度も無いという。

「友達から遊ぼうって誘われたりしなかったんすか?」
 思わずといった感じで坂下が口をはさむ

「小学校一年生の時に一度だけ……。でも、父にその話をしたら、相手の親や学校に猛烈に抗議したらしくて。親の目の届かないところで何かあったらどう責任を取るのかって。それからは、メイちゃんは『箱入り娘だからねー』って暗黙の了解みたいになっちゃって」

「マジっすか――」

 メイは、両親の希望で通信制の高校に進学し、高校卒業後は父親の会社に就職。外出するときは常に父親か母親が同行という生活を送っていたため、外部との接触がほとんどなく、自分の置かれている環境がおかしいと気づくチャンスすらなかったのだという。

 今どきインターネットにさえ接続すれば、世界中の人と繋がれる環境にあるし、漫画やドラマを見るだけでも視野が開けそうな気がするけれど、インターネットは禁止され、テレビや漫画も許可されたものだけしか見ることができなかったというから開いた口が塞がらない。

 メイが何かを語るたびに坂下は「マジっすかー」を繰り返した。
 メイは、父親の会社で働いているといっても、給料をもらっているわけではなく、なにか欲しいものがあると、両親に申告して買ってもらっていたというし、身にまとう衣服は全て母親が選んだもので彩られた。

 そして、驚くべきは携帯電話だ。
 キッズ携帯を持たされているのだという。
 二十五歳にしてキッズ携帯……。

「メイさんが着てみたい服とかはなかったの?」

 メイが身につけているものは、幼稚園児が着るような、真っ白な膝丈フレアのワンピースにピンクのカーデガン。今どきの小学生の方がもっと大人っぽい格好を楽しんでいるんじゃないかと思えるくらい、幼く不釣り合いで、無理矢理女児のような格好をさせられているように見えた。

「私が選んだ服は、似合わないって言われるから……」

 メイから語られる内容は、大人になることを拒絶されて、まるでおとぎ話の中で幼いまま生きていくことを強いられているような、そんな印象だった。

「室見さんだけが辛抱強くいろんなことを教えてくれて――、おかしいよって気づかせてくれたんです。室見さん以外の従業員はみんな両親と古くからの付き合いだから、誰もなにも言ってくれなくて……」

 メイは不安な気持ちを隠すかのようにキュッと唇を内側に丸め込んだ。

「室見さんに出会えてよかったね」

「はい。私も、少しずつ目が覚めて、自立しようって思いました。でも、それにはお金が必要で……」
「それはそうだね」
「はい。でも、アルバイトなんて絶対に許してもらえないし……。室見さんは、逃げ出すためのお金を貸すのは簡単だけど、それだと、その後の生活が続かないって。最後は親に連れ戻されるのがオチだって。だから、どうすればいいか一緒に考えようって言ってくれて」

「――素敵な人だね」
 その瞬間メイの瞳がとてもキラキラと輝き始めた。

「そうなんです」

 少女のあどけなさと大人の色気が混在する妙なアンバランスさに、思わず魅入ってしまう。
 あれは恋をしている目だ。
 好きな人が褒められたことが嬉しかったのか、メイは次第に饒舌になっていった。

「私、手先が器用なので、室見さんと相談して、ハンドメイド作品を売って、一人暮らしのお金を貯めることにしたんです。ワンちゃんやネコちゃんのお洋服なんですけど、結構、買ってくれる人がいて。コスプレイヤーさんのお衣装も作りました。これなら、手芸屋さんにお出かけするのも、部屋で縫い物をすることも両親に怪しまれることはありませんから」

「へー、考えたね」

「出来上がったものは、室見さんがパソコンを使って売ってくれて。それに、手芸屋の奥さんが開いている手芸教室で個人レッスを受けるようにもなって――。レッスンの間は両親からも解放されて――。奥さんは地元の人じゃないから、しがらみもないし、お話しするのが楽しくて――」

 メイはその頃のことを思い出しているのか、小さな子供が遠足に行く前の日のようなワクワク感を纏っていた。けれどすぐにその表情が曇ってしまう。

「室見さんからパソコンの使い方を教わっているところを父に見つかってしまって――」
「あぁーー」

 坂下と同時に落胆の声を漏らす。
 けれど、売買サイトでの物品販売はバレなかったというので、少しだけ安堵したが、それ以降、社長であるメイの父親の監視が厳しくなり、なかなか二号氏と話すことができなくなっていったのだという。
 それでも、自立の意思は揺るがなかったというのを聞いて、ホッとした。

「でも、一年くらい前に、室見さんのお祖父様が倒れてしまったんです。幸い手術は成功したんですけど、リハビリが必要で。室見さんは、お祖父様とお祖母様に育ててもらったみたいで、とても動揺してました。それで、会社を辞めて、東京に戻ることになって……、さすがにもうダメだと思いました。神様は私に味方してくれなかったって」

「あぁーー」

 またもや坂下と同時に落胆の声が漏れた。
 きっと神様が味方してくれなかったんじゃない。神様にメイのSOSの声が届いていなかった、それだけだ。
 神様に対してであろうと、友達に対してであろうと、苦しい時は「苦しい、助けて!」と大袈裟なくらいサインを出さなければならないのだ。
 でもメイは自立を諦めなかった。

 一年後に東京で新たな人生を歩むと具体的な計画を立てたという。
 その決心は、二号の励ましがあったからに違いない。
 恋する力は偉大なのだ。

 二号はこっそりとスマートフォンを準備すると、メイに渡して、退職するまでの間に色々と指南したという。
 これでハンドメイド販売は、スマートフォンを使って自分でできるようになり、日々のちょっとした疑問も、すぐに検索して知ることができるようになったと嬉しそうに語る姿が眩しかった。

 ただし問題もあった。メイの両親は勝手に彼女の部屋に入って持ち物検査をするようで、スマートフォンを隠し持つことがとても大変だったと苦笑いしていた。

 メイから語られる親子関係は、どれもこれも作り話じゃないかと疑いたくなるほどに「マジっすかー」案件が多すぎて坂下とふたりして溜息の連続だった。
 こうして、二号が東京に戻った後も、ふたりは細心の注意を払いながらやり取りを重ね、メイは自立の準備を進めていったという。

「室見さんは、東京に戻ってからも、私のハンドメイドの売上金を管理してくれたんです。もし私がお金を持っていることを、両親に気づかれたら大騒ぎになってしまうから――」

 えっ⁇

「こっそり、ネットバンク口座をつくったんですけど、念には念を入れて、売上金が入金されると、室見さんがすぐに引き出して、別のところで管理してくれて。万が一にもネットバンク口座が見つかって両親に全額没収されても計画倒れしないように、残高はほとんど空っぽにしていました」

「あぁぁぁぁっーー」

 またもや坂下とふたり同時に声を上げた。
 ただし、落胆の声ではない。間違いなく驚き、いや感動の声だ。

「もしかして、毎朝、室見さんに電話してた?」

「はい。報告も兼ねて毎朝電話しました。商品が売れて入金があればそれを室見さんに伝えて。あの時間なら絶対に両親に気づかれないので」

 不可思議な事件の真相なんて、解明されれば、意外となんでもないことだったりするものだ。
 不審者二号の『出し子』疑惑はあっさりと晴れた。

「メチャクチャいい人じゃないっすかー」
「誰よー。出し子なんて疑ってたのー」
「灯さんっす」

 ジト目で見られて、思わず「申し訳ありません」と小声で謝った。
 そんなやり取りをメイが不思議そうに見ていたので、実は二号、もとい室見のことを特殊詐欺の出し子じゃないかと疑っていたことを白状して謝ると、可愛らしい声で笑ってくれたので罪悪感が和らいだ。

「室見さんは真面目なんです。東京駅まで迎えに来てくれたんですけど、その時にこれまでの売上金を渡してくれたんです。そのあと、店長さんに証人になってもらって、口座から引き出した額と私が受け取った額が同じことを確認しました」

 室見が誠実な人でよかったと心底思う。売上金を預けるだなんて、よほどの信頼関係がない限り普通はできないことだ。でもメイの場合は、人を疑うことを知らずに成長したも同然で、お金を騙し取られるなんて考えもせずに、売上金を預けたのだろう。本当に騙されずにすんでよかったと心の底から思えた。

 慎二とは大違いだ。
 忌々しい男の顔が頭の中でチラつき、慌てて振り払った。

 室見は、メイの就職口について店長に相談していたようで、店長の口利きで、来月から住み込みで働ける場所も決まっていたのだという。

「そこまで決まってたのに、どうして、家を飛び出して来たんっすか?」
 灯が抱いた疑問をそっくりそのまま坂下が口にした。

「私がバカだったんです。もうすぐあの家から解放されると思うと気が緩んだみたいで――」

 ほんの数秒ののはずなのに次の言葉が発せられるまでがとても長く感じられる。

「銀行からの手紙を母が見つけてしまったんです――」
「あぁーー」
 この日何度目かの落胆的『あぁーー』が響いた。

「大丈夫です。今日は神様が助けてくれたんです」

 母親からの怒りの電話を受けたのは手芸店で買い物をしているときで、いつもは買い物中もピッタリと寄り添っている父親が、ちょうど電話で仕事の呼び出しを受けて、一時間後に迎えに来ると言って、買い物代の一万円札をメイに渡して手芸店から出て行った直後のことだったという。

「それで?」

「私の様子がおかしいことに手芸屋の奥さんが気づいてくれて――、手芸屋の奥さんには、レッスンの時にこっそりと話していたので、あの町で唯一自立計画のことを知っていたんです。それで察してくれたんだと思います」

 そういうとメイは目の前のお茶をゴクリと飲んだ。

「奥さんは、『家に戻る? それとも計画を早めて東京に行く?』って訊いてくれたんです。『このまま東京に行く腹づもりがあるなら協力する』って」

 そのときのことを思い出したのか、メイの瞳には力が漲っているように感じた。

「私、『東京に行きます』って即答してました。家に戻ったら、一生この生活から脱け出せない、そう思ったから」

 その決意を聞いた瞬間、坂下とふたりして思いっきり拍手をしていた。
 メイは手芸屋の奥さんに最寄駅の隣の駅まで車で送ってもらい、手芸品を買うために父親から渡されていた一万円で切符を買って東京まで出てきたのだという。

「いやー、よかったっす。本当によかった」
 坂下は、メイに握手を求めると興奮のあまり握った彼女の手をブンブンと振り回していた。

 灯は、なぜか蔓が言っていたことを思い返していた。

 ――神は、日々の努力を惜しまぬ者に対しては、その者の力が発揮できるように力添えをいたします。

 きっと神様はメイの日々の努力を見てくれていたのだ。だからこそ、ここぞというときに協力者が現れた。これは単なる僥倖ぎょうこうではないのだ。

 ――シュリ神様、メイさんの東京暮らしが始まります。どうか、どうかメイさんのことを、よろしくお願いします。
 灯は心の中でシュリ神様に話しかけていた。

 すると、突然坂下が、けたたましい叫び声をあげた。

「あぁぁぁぁーーっっっっ!」

「な、なに、なに、突然。心臓に悪い」
「け、携帯っす。キッズ携帯! GPS!」
 あぁぁぁぁーーっっっっ!

 灯もまた叫びそうになり、ぐっと堪えた。
 そうだよ。キッズ携帯。GPS。
 あーもう、なんで帰る前に気づかなかったんだろう。居場所なんてすぐにバレてしまう。

 今にも玄関チャイムがピロリン、ピロリンと響きそうで、一気に血の気が失せた。
 だがメイは、涼しげな顔をしている。

「あっ、大丈夫です。奥さんに携帯は置いて行きなさいって言われて、電源を切って店に置いてきました。置き手紙と一緒に。私が持ってるのは室見さんにもらったスマホだけです」

 坂下は「よかったっす」と何度も繰り返した。

 灯もまた会ったことがない手芸屋の奥さんに、ありがとうございますと、心の中で感謝した。
 これで、突撃お宅訪問は間逃れそうだ。
 灯は誰にも気づかれないようにそっと安堵の息を漏らした。
 
 結局、メイは灯の部屋にもう一泊して、灯と一緒に身の回りの品を買い揃えたあと、店長と一緒に就職先へと飛び立って行った。
 新天地は七福町から少し離れているが、老夫婦が経営している喫茶店とのことで、メイにはぴったりな就職先だと思う。

 さすがは店長だ。

 しばらくは、両親からの追跡を警戒して、室見にも会えない生活が続くようだが、一年もの間、ふたりは会わずとも絆を深めていたのだ。きっと大丈夫だろう。

 まるで妹の巣立ちを見届けたかのような達成感に包まれていた。
 同時に灯の未熟さを覆い隠していたベールが剥ぎ取られ、居心地の悪さみたいなものも感じている。

 灯は個に貼り付けられたラベルに振り回されすぎている。

 厄病神というラベルに惑わされたかと思えば、無職っぽい見た目、要するにどんなラベルが貼られているかわからないとい理由で、中込さんと室見さんを「不審者」という色眼鏡で見てしまった。

 一方でメイが心を許した室見さんと手芸屋の奥さんの誠実さは本物だった。
 もしもメイが灯だったら……、ヤク爺が厄病神だとわかっても、不用意に怖がったり、避けたりしなかったのではないだろうか。

 貼り付けられたラベルで判断せず、誠実に中身を知ろうと努力したのではないだろうか。

 はぁー。
 灯は、この日一番深いため息をついた。
         
 次の日の夜、灯は、試食用の和風シュークリームを口実に蔓を家に招いていた。

「不可思議な父君と母君でございますわねえ」

 朱里七福神社にお参りした際に、事のあらましと、メイの行く末をお願いしたところ、蔓の耳にまで筒抜けで、今日はもっぱらこの話題だ。

「昔もこういう人はいた?」
「いいえぇ。親は子の成長を願うものでございました。子の成長を故意に止めてしまうなど聞いたこともございませぬ」

「だよねー。稀なんだけど、今はそういう親がいるみたい。店長が言ってた」
「そうなのでございますか? いわゆる過保護と呼ばれる親御は昔からおりましたよ。ですが、メイ様の親御は過保護ともまた少し違いますわねぇー。支配欲があらぬ方向へ向いてしまったというかなんというか……」

「過保護は今もいるよ」
 蔓は、ええ、そのようでございますねぇ、と俯き、そのままなにかを考えるように黙り込んでいたが、意を決したように口を開いた。

「蔓のことはどう思われますか?」

 吸い込まれそうな漆黒の瞳にじっと見つめられ、身動きを封じられたような感覚に捉われる。

「過保護だと思われますか?」
 誰のことを言わんとしているのかすぐに理解した。

「どうしたの? 誰かに過保護だって言われた?」
「いえ、そういうわけではございませぬ。ただ、ノエ様によく言われるのです。『お前はもう少し世間を見たほうがよい』と。『時代は移り変わっておる。ヤクに合わせてお前まで視野を狭める必要はない』と」
 いかにもノエが言いそうだ。

「それで?」

「わたくし、正直、仰せの意味がよく理解できなかったのでございます。指摘されても、世の中の移り変わりを知ろうともしませんでした。ですが、灯様にお招きいただくたびに、少しずつですが理解できるようになってきたのでございます。人の子の生活習慣、価値観、わたくしが知る世からは、とうに移り変わっていると。わたくしもまた引きこもり同然でございました。わたくしの描く都合のよい世界に固執しておりました。ゆえに――、わたくしのヤク神様へのお仕えの仕方が誤っていたのではないか――、それゆえにヤク神様がこのようなことになってしまったのではないかと――」

「ノエはそんなつもりで、言ったんじゃないと思うよ」

「そうでございましょうか」

「うん。ノエはさ、言いたいことがあればズバッと言うと思う」
「それはそうかもしれませぬが……」

「純粋に今の時代を見て、楽しんで欲しかったんじゃないかなぁ」
「それならばよいのですが」

「それに過保護と親バカは似て非なるものだからさぁ」
「どういう意味でございますか?」
 途端にオロオロし始める蔓がおかしかった。

「さぁ?」

 意味ありげに微笑むと、本日のメインイベントである和風シュークリームを準備するためにキッチンへと向かった。背中越しに「灯様、教えてくださいませー」という声が追いかけてくる。
 そんな眷属バカの蔓が愛おしい。
 蔓さん、蔓さんは悪くないよ。

 ヤク爺が大バカなんだよ。こんなに心配してくれる人たちが周りにいるのに、ひとりで悲劇のヒロインぶっちゃってさ。

 あぁー、なんかもうめちゃくちゃ腹立ってきた。
 そして、この時の灯は、この後、災難が降りかかることなるとは知るよしもなかった。

《続く》

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


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