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【創作大賞2024応募作】神々の憂い #12

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九章 ②
 次の日の朝も、用心するに越したことはないと、中込がマンションの下まで迎えにきてくれることになっていた。

「休みにしてあげたいのですが――」と店長は言ってくれたが、朝の時間帯の急なシフト変更は難しかったようで、予定通り灯がバイトに入ることになったのだ。

 中込は、どうせ朝ごはんを食べに行くついでだからと言って快く引き受けてくれたという。本当に頭が上がらない。

 灯は中込を待たせないように、早めにエントランスに待機していた。念のため外から見えないように柱の影に隠れるようにしていたが、ボサボサ頭が見えたので外へ出た。

 が、人違いだった。

 スウェット姿で頭がボサボサのひとを見ると、どうも中込と勘違いしてしまう。
 気を取り直して、再びエントランスの中に入ろうと鍵を取り出したところで、突然、左腕を掴まれた。

「久しぶり。いや、昨日会ったな。元気そうじゃないか」

 不適な笑みを浮かべた慎二が灯の腕を掴んでいた。
 シャツはヨレヨレで、うっすらと無精髭ぶしょうひげも生えている。
 昨日は、中込に車で送ってもらって駐車場からそのまま建物の中に入ったので気付かなかったけれど、一晩中ここにいたのだろうか。

「随分、豪勢なマンションに住んでるじゃないか。立地的にもコンビニバイトで住めるようなマンションじゃないよなぁ」
 目の焦点が合っていない。なのに異様に強い力で灯の腕を締め上げる。

「誰と暮らしてるんだ? 新しい男か? 俺と別れてすぐに別の男と同棲って、二股かけてたってことか?」

「違う! そんなことしてない」
 慎二のことを思いっきり睨みつけるが、まったく気にしていないようだ。

「そんなことより、どうして、ここがわかったの?」
「神様が教えてくれたのさ」

 悪びれることなく平然と言い放つ。
 やはり朱里七福神社あかりしちふくじんじゃで尾行され、灯の生活スタイルを調べあげた上で、七福マートに現れたのだろう。

 自分の存在を誇示するために。
 灯に恐怖心を植え付けるために。

「なぁ、灯。やり直さないか。俺のことを一番わかってくれてるのは灯だろう? 俺がほんとに愛しているのは灯だって、やっと気づいたんだ」

 慎二は浮気男の常套句じょうとうくのようなセリフを吐いた。
 気持ち悪い。
 灯は心底嫌そうな顔を作る。
 この不快感が慎二に届けばいい。

「離して!」

「目を覚ませよっ!」
 突然怒鳴られ、冷ややかな汗が背中を伝う。

「私は、正気です」
 努めて冷静に言い、せめてもの抵抗で精いっぱい睨み返す。

「正気じゃないだろう。いいか灯、こんなマンションに住んでるってことは、相手はエリートなんだろう? 遊ばれてるんだよ。あいつらはな、その気にさせておいて、平気で叩き落とすんだよ。虫ケラのように捻り潰すんだよっ!」
 専務のことを言っているのだろう。でもそんなのは自業自得だ。専務が悪いわけじゃない。

「なぁ灯、目を覚ませ。灯がしたことを怒ってないよ。許す。むしろあいつらの本性がわかってよかったと思ってるくらいなんだ」

 許す? なぜ慎二の許しを得なければならないのだろう。
 自分がなにをしたのか忘れたとでもいうのか。
 自分は被害者だと思い込んでいるなんて、勘違いも甚だしい。
 すべて自分がまいた種だというのに、これっぽっちも気付いていない。
 狂ってる!

「おいっ! なにしてるっ! 警察呼ぶぞ!」

 突然、中込のドスの効いた声が響いた。
 その声に驚いたのか、慎二はバランスを崩し、つられて灯もよろめいた。
 運悪く地面に散らばっている砂に足を取られ、ズルッと滑るように倒れ、逃げようとする慎二に引きずられるような形になってしまった。

「大丈夫か?」

 中込が駆け寄ってくると、慎二は灯の腕を離し、走り去っていく。
 中込は慎二を目で追っていたが、追いかけることはしなかった。
 腕がヒリヒリと痛い。見ると右腕の広範囲に血が滲み、派手に擦りむいていた。
 たまたま着ていたシャツが袖口の広いデザインだったので、袖布がまくれた状態で地面を引き摺られてしまったらしい。
 足の方はジーンズを穿いていたので難を逃れたようだ。

「すまない。俺がもっと早く来てれば――」
「中込さんは、なにも悪くないです。それに、これは自業自得なんで」

 立ち上がろうと地面に手をつくと、鋭い痛みが走り、弾かれたように手を引っ込めた。
 骨が折れているのだろうか。
 手をつかずに立ち上がると、中込を見た。

「すまないは禁止です。助けてくれてありがとうございました」
 心配をかけないように精いっぱい明るく振る舞い、頭を下げると、険しかった中込の表情がようやく和らいだ。

「病院と警察に行こう」
 
 病院での検査の結果、骨は折れていなかったが、手首の捻挫と広範囲の擦り傷とで大袈裟なくらい包帯を巻かれ、見た目だけは重傷患者のようになってしまった。
 顔に擦り傷がないことだけが救いだった。

 警察への被害届に関しては、悩んだ末に出さなかった。
 今回は不慮の事故ってやつだ。
 慎二は故意に暴力を振るったわけではない。
 交番では、灯の右腕を一瞥され、「ほんとに被害届は出さなくていいの?」と何度も確認されたが、マンション周辺の見回り強化だけをお願いするに留めた。

 逆恨みの無限ループが怖いのか、慎二への情なのか、自分でもよくわからない。
 けれど、この段階で慎二を犯罪者にしてしまうことへの躊躇いが拭いきれなかった。
 その代わり、もう一度同じようなことがあれば、その時は迷わずに被害届を出すと決めている。

 中込には呆れられたけれど、最後は灯の意思を尊重してくれた。
 報告も兼ねて七福マートに顔を出すころには、お昼近い時間になっていた。
 裏口からそっと入ると、中込から連絡が行っていたのか店長が待っていてくれた。
 灯の顔を見るなり、ガバッと椅子から立ち上がる。

「申し訳ありませんでした。やはり今日は休みにするべきでした。僕の判断のミスです」

 店長は、九十度近くまで腰を折って頭を下げた。
 それから、灯の包帯姿を見るなり、女性にこんな怪我を負わせてしまって……と、顔を歪めた。

「謝らないでください。私、店長には、ほんとに感謝してるんです。店長が中込さんに送迎をお願いしてくれたので、この程度ですみました。それよりも、急にバイトを休むことになってしまって、そっちの方が申し訳ないです。お店まわってますか? もうすぐランチタイムですし」

「それなら心配無用です。当面、室見むろみ君が手伝ってくれることになりました」
「室見さんが?」
「はい、彼は高校生のころ、ここでバイトをしてたんですよ。だから即戦力です」
「お祖父様の介護は……?」
「昼間の数時間なら介護ヘルパーさんも来てくれるみたいなので心配ないそうです。介護の気分転換になってるみたいですよ」
 店長が優しく微笑む。

「よかった。急に休んだから、そのことだけが気がかりだったんです」

 室見と店長の間にはそんな昔から関わりがあったのか。
 だからメイの件で店長を頼ったんだと今になって点と点が繋がった。

「よかったら、お昼ご飯に、好きなお弁当を食べてってくださいね。僕の奢りです」
「ほんとですか? わーい、やったぁ。実は冷蔵庫の中が空っぽだったんです」
 お弁当の陳列棚の前では、ちょうど室見が品出しをしていたので、お礼も兼ねて声をかけた。

「あのう、私、志方しかたあかりといいます。この度は私の代わりに申し訳ありません。助けていただいてありがとうございます」

 そう言って頭を下げると、

「こちらこそ、メイちゃんを泊めてもらったのにお礼もできないままで、その節はありがとうございました」
 室見もまた頭を下げた。

「こんな形になってしまいましたが、恩返しができてよかったです。しっかりと代理を務めますので、安心してください」

 照れ隠しのように頭を掻いている姿に、人の良さのようなものが滲み出ていて、こんな優しい笑い方をするひとなんだと、このとき初めて室見の顔をじっくりと見たような気がした。

「あのー、メイさんは?」
「元気にやってるみたいですよ。灯さんと一緒に買い物に行ったことが、とても楽しかったみたいです。一緒に選んだ服がお気に入りだって何度も話してますよ」
「それはよかった」
 元気にやってるんだ。
 店員姿のメイを想像して、灯もがんばろーと気合が入った。
 
 ランチタイムの客足が落ち着き次第、今後のシフトについて店長と話をすることになっていたので、それまでにお昼ご飯を食べてしまおうと、慣れない左手で悪戦苦闘しながらバックヤードでひとり昼食をとっていると、エキがひょっこりと顔を出した。

「灯ちゃん――、大丈夫? ここにいるって聞いたから」

 灯の包帯姿を見るなり、店長と同じように、こんなに怪我をしちゃってと、顔を歪めた。

「エキ、ごめん。ここ部外者禁止だから見つかったら叱られる。外に出よう」

 そう言って、バックヤードから出ようとすると、店長には許可をもらったよ、なんて言いつつも、じゃぁ、念のためこれはめてと言って、ノエに借りた数珠と同じようなものを灯の腕にはめた。
 途端に疫病神姿から若者姿に見え方が変わる。便利な道具だ。エキが姿を消してくれたおかげで、外に出なくても問題なさそうだ。
 灯は、エキに断りを入れてお弁当を食べながら話をすることにした。

「大袈裟に包帯まかれてるけど、擦り傷だから心配しないで」
「そんなこと言って。女の子にこんな怪我をさせるなんて、いくら灯ちゃんの元彼でも許せないよ」
「ほんっとに大丈夫だから。それよりもなんか用があったんじゃないの?」
 放っておいたらいつまでもプリプリしてそうなので、強引に話題を変えた。

「あ、うん。そうだった。灯ちゃん、こんなときに申し訳ないんだけど、月光院に来ない? そのう、蔓がさ……」
「蔓さんがどうしたの?」
「自分のせいで灯ちゃんに怖い思いをさせたって、大騒ぎして大変なんだよ」

 あちゃー、そうだった。
 慎二に見つかったのは朱里七福神社だ。そしてその朱里七福神社に行けと言ったのは蔓だ。ヤク爺の大事な客人である灯に危害を加える原因を作ったのが自分だと知れば、蔓のことだ、自責の念に駆られて大騒ぎするのもうなずける。

「その姿は想像できるかも」
「だろう? 『灯さまに合わせる顔がありません』って昨日からずっと大泣きだよ。だから灯ちゃんの顔を見せてあげて欲しいと思ってさ」
「でも……、怪我したこと知ってるの? 知らないんなら、この姿を見て余計に泣くんじゃない?」
「うん、もちろん、そのことは考えたよ。だから今朝、店長から怪我のことを聞いて、そのままノエのところに行ってきたんだ。どうしたらいいか相談しにね。それでね、蔓には仕事を与えようと思って」
「仕事?」
「そう、今回の件の片がつくまで月光院で灯ちゃんの世話をさせようと思うんだ。蔓のことだから、鬱陶しいくらいに世話を焼くと思うんだよ。それに月光院にいるほうが、灯ちゃんだって安心だろう?」

 さすがはノエ。蔓さんの性格を熟知している。
 灯が月光院に遊びに行くだけならば、よよと泣き崩れるだろうが、警護という名の世話役に任命すれば、嬉々として身の回りの世話をするに違いない。

「私としてはそうしてもらえるのはありがたいけど、ひとつ問題がある」
「なに?」

「月光院に行くには、神社に行く必要があるでしょ? 出歩くのはちょっと……。誰かに送り迎えしてもらうのは申し訳ないし」
「あっ、それなら心配いらないよ。僕がそのつきまとい野郎に憑くから」
「慎二に憑く⁉︎」

「うん。そいつの周りには、とばっちりがいくかもしれないけど、流行病にかかってもらうことにするよ。インフルエンザあたりがいいかな。その日は高熱で出歩けないように、足止めする」

 さすがだ。疫病神ならではの足止め法だ。
 あまりにも普通に会話しているので、目の前のエキが疫病神であることを忘れていたけれど、「憑くから」なんて、さらりと言われると、疫病神なんだなぁと思い知らされる。

「ありがと。それなら、大丈夫かな」
「でしょ。一応その日は用心して、灯ちゃんが月光院に着くまでは僕がつきまとい野郎を見張っておくよ。もしも灯ちゃんとこに行きそうになったら合図を送る。それから、ノエにも帰ってきてもらうからね。万が一に蔓が暴走したら止める役が必要でしょ。ノエはいま、東京を離れてるんだけど、一日くらいならどうにかなると思うし」

 怖いくらい順調に話は進んでゆくが、こんなに贅沢な警護団があっていいものだろうか。
 一般人である灯の警護のために疫病神と貧乏神が力を貸してくれている。どんな要人SPよりも最強過ぎる。
 いつかその見返りとしてとてつもない厄災が巡ってくるのではないかと却って不安になるくらいだ。

「あっ、それから、つきまとい野郎が働いているところを教えてくれる? 店の防犯カメラを見せてもらったから顔は覚えた」

 灯は宇都宮支店の住所をメモしながら、会社にくるかどうかわからないよと告げた。

「シュリが眷属を貸してくれるっていうから総出で探すよ。会社近くに住んでる可能性が高いだろう? ちなみに、灯ちゃんが怪我をしたって聞いてシュリは激オコ」

 エキは両手の人差し指を立てて、頭にのせると鬼のように顔をしかめた。
 あぁ、シュリ神様まで警護団に加わっていただいているなんて、なんと畏れ多い。
 ふいに、あっそうだ、とエキがつぶやいた。

「直近で月光院につながるのは、明後日の御牛田神社おうしだじんじゃみたいなんだ。あそこは、狛犬こまいぬじゃなくて狛牛こまうしがいてね、自分の身体の悪い部分と狛牛の同じ部分を撫でると、治りが早くなるんだよ。だから、忘れずに狛牛の右前足を撫でてくるんだよ。怪我が早く治るようにね」

 わかったと返事をすると、じゃぁ、僕はつきまとい野郎を探してくるねーと言って、エキは灯の腕から数珠を抜き取ると、ふぅっと消えてしまった。
 
 エキが教えてくれた通り、御牛田神社には社殿の右手前に、首元に真っ赤な布を結んだ撫牛がドンと鎮座していた。その後方には翠神鏡指定の朱印所も見える。遠目にちらっと見たが、人影はなさそうなので、挨拶にでも行っているのかもしれない。

 まずはお参りをしようと鳥居を潜って社殿に向い、平穏に過ごせるようにとお願いする。
 それから、撫牛なでうしのところへ向かうと、ひとりの老婦人が熱心に撫牛の頭を撫でていた。

「あら、あなた、こっちにいらっしゃいな」
 灯の姿に気付いた老婦人は、手首の包帯に気づいてくれたのだろう。

「あなた利き手はどちら?」
「右です――」
「まぁ、それは不便ね。しっかりと撫でなきゃねえ」
 そう言って灯の背中に手を当てると優しく押し出すように撫牛の前に立たせてくれた。

「私もねぇ、右手首の痛みがとれなくてねぇ、お願いにきたのよ。でもね、この撫牛様、右手部分を体の下に隠しているのよぅ」
 言われて見ると、どかんと座り込んだ撫牛の前足は確かに体の下に隠れている。

「ほんとだ」
 エキの嘘つき。右前足なんてないじゃない。

「ねぇー。悔しいから、全身たっぷりと撫で回してあげたわ」
 そう茶目っ気たっぷりに話す老婦人は、お互いに早く良くなるといいわね、と言って颯爽さっそうと行ってしまった。それなりのお年を召しているように見えるが、背筋がピシッと伸びて矍鑠かくしゃくたる姿はとても素敵だった。
 灯も老婦人にならって撫牛の全身をこれでもかと撫でまわして、怪我の早期回復を祈る。

 ふいに、なにかの気配を感じて、振り返ると、鳥居付近を歩いているエキの姿を見つけた。
 かなりの急ぎ足だ。
 どこに行くのだろう。
 エキは約束通り慎二をインフルエンザに罹患させてくれた。
 昨夜、真芝から、慎二がインフルエンザで出勤停止になったとメッセージをもらったときは、疫病神の威力を思い知らされた。

 撫牛へのお願いも済ませたことだし、エキには申し訳ないが、声をかけずに早々に月光院に向かうことにする。
 どうせ月光院で会えるだろう。
 朱印所では蔓の姿はなく、別の眷属が待っていた。
 灯は急いで御朱印をもらうと、迷うことなく翠神鏡を潜り抜けた。 

《続く》

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


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