【創作大賞2024応募作】神々の憂い #7
六章 ①
蔓との約束を果たすべく愛宕山神社へとやってきたこの日は、恨めしいほどの快晴で、早朝にも関わらず、まだまだ夏は終わりませんけど? と宣戦布告をされているような厳しい残暑だった。
バイトのシフトも、突然休みを告げられ、ありがたいような、そうでないような複雑な心持ちだ。
最寄駅を出て、スマートフォンのナビゲーションアプリに誘導されるがまま歩いていると、紅葉のような真っ赤な大鳥居が出迎えてくれた。そして、その奥にそびえ立つ急勾配の石段が目に映り、身体が硬直する。
昨晩、ネットで下調べしていたので、傾斜のきつい石段があることは知っていた。けれど、実際に石段の真下に立って見上げるそれは迫力がまるで違う。こんなに残暑の厳しいおりに、急勾配の石段がある神社に来いだなんて、蔓も神が悪い。
『まわれ右』と、すぐにでも帰りたい衝動をグッとこらえ、覚悟を決めて右足から踏み込んだ。
だがこの石段、メチャクチャ上り難い。一段一段が、現代の慣れ親しんだ階段よりも高さがあるので、一段上るのに倍のエネルギーが削られていく。
半分も上っていないのに、顔から吹き出た汗が顎から滴り落ちて、念入りに塗り込んだ日焼け止めも流れ落ちてしまう。
途中で立ち止まって、少し休んでを繰り返して、どうにか上り切ると、頂上では石造の鳥居が迎えてくれた。その奥には色鮮やかな朱塗りの門が見える。
やっと着いたあ。
ここで、汗ばんだ身体を冷やしてくれるような涼やかな風でもそよいでくれれば最高なのだが、そう都合よくはいかなかった。
乱れた呼吸を整えると、手水へと向かう。
手口を清めた水がひんやりとして気持ちいい。
賽銭をあげ、二礼二拍手のあと、静かにお参りをする。一礼して、きびすを返すと、「招き石」の元へと向かった。この石を撫でると福が身につくと聞いて、厄落としのために、絶対に撫でて帰ろうと決めていたのだ。
――厄が落ちて、福が身につきますように。
愛宕山神社には、いくつかの末社があり、すべてにお参りをすませると、御朱印を頂くべく社務所へと向かった。
あっ、でもこの社務所でいいのだろうか。
念のため、リュックから御朱印帳を取り出して頁をめくると、明治森神社のときと同じように、御朱印帳の地図に描かれている×印の場所が違っていた。
はい、はい、前と同じパターンね。
灯は、御朱印帳に表れた×印の場所を目指して歩き出した。
朱印所はすぐに見つかったけれど、誰もいる気配がない。
どうしよう……。
――祟ります。
ドヤ顔で言い切った蔓の低く唸った声が耳に蘇る。
嫌だっ! それだけは絶対に嫌っ!
「灯様」
背後から呼ばれて振り返ると、お茶をのせたお盆を持った蔓さんが立っていた。
その姿を見るなり、「かずらさぁん」と情けない声を上げてしまう。
「まぁまぁ、よくいらしていただきました。御祭神様に挨拶しておりましたゆえ、お待たせしてしまい、申し訳ございません」
蔓は、お盆にのせているお茶を、どうぞと差し出した。灯は受け取るなり、一気に飲み干した。
「いかがですか? 先般、灯様にいただいたお茶があまりにも美味しゅうございましたゆえ、真似をしてみました」
「ありがとうございます。美味しいです」
灯は、飲み干したグラスをお盆に戻す。
「それはようございました。本日は約束通りお越しいただき、ありがとうございます。灯様がお越しになったと知れば、ヤク神様も必ずやお出ましになってくださると思います」
「まだ引きこもりなの?」
「はい――、結界を張っていらっしゃいますので、ヤク神様以外、ご寝所に入ることができぬのでございます」
蔓は、静かに朱印所の中に入っていくと、内側から受付の窓を開けた。
奥の棚に鎮座する古めかしい鏡がチラリと目に入る。
「では灯様、月召帳を」
蔓に促されるように、手にしていた御朱印帳を差し出した。
「そういえばね、このご朱印帳、時々光るんだけど?」
「あぁ、それは月召帳からの言伝にございます。持ち主に気づいてほしいことがあると光るのでございます」
そう言いながら、蔓は前回と同じように丁寧に筆をとり、書き終えると朱色の印を二箇所に押す。そして色写りしないように書いたばかりの頁に半紙を挟むと、静かに御朱印帳を閉じて、戻してくれた。
灯は受け取ったそれを丁寧にリュックにしまう。
「ささ、灯様、参りましょうか」
「えっ? もう?」
なにか問題でも? という蔓からの圧をビンビンに感じて、思わず「なんでもありません」と口をつぐむ。
身支度を整えている蔓の姿をぼんやりと眺めていると、蔓の背後から青白い光が溢れていることに気がついた。なんとなくその光が気になった灯は、体を少し横に傾けて奥を覗き込む。
鏡だ。
明治森神社のときと同じように鏡から青白い光が放たれ、ゆらめいていた。
――さっきは光ってなかったのに。
蔓はそんな灯の視線を気にすることもなく、うやうやしく鏡を手に取ると、朱印所から出てきて、おもむろに受付前の出っ張りに鏡を置く。
「ささ、灯様、月光院に参りますよ」
「ここから?」
声を上擦らせてそう言うと、再び『なにか問題でも?』と言いたげな目を向けられた。
「あっ、いえ、前は、拝殿の鏡からワープしたから、そのう――、今日もそうなのかなぁーなんて思ってたから――、ちょっとびっくりしたというか、なんというか」
「あぁ、それでございましたら、大事なのはこれ、『翠神鏡』というのですが、この鏡にございます。この翠神鏡にお姿を映しながら、鏡面に触れようとすることが大事なので、場所は拝殿でもこの朱印所でも構わないのでございます。ですから、前のあれは、演出にございます」
翠神鏡の縁を撫でていた蔓はニコリと微笑んだ。
「演出?」
「はい、そちらの方が、雰囲気がございますでしょ」
「はぁ」
間の抜けた声が漏れた。
雰囲気がございますでしょ、と言われてもピンとこない。
「それに、明治森神社でご覧になられた拝殿は幻影にございます。結界を張り、灯様だけに見えるようになっておりました」
「えぇっ⁉︎」
「眷属皆で知恵をしぼったのでございますよ。どのようにすれば灯様がこの翠神鏡にお手を触れようとしてくださるかと。ヤク神様からは、翠神鏡に触れることを無理強いしてはならぬ。灯様が翠神鏡に興味を示さぬ場合は、すみやかに諦めて撤収せよ、絶対に灯様を怖がらせてはならぬと厳命されておりましたゆえ」
頭が痛くなってきた……。
右のこめかみ辺りを手のひらで押さえながら、訊いたばかりの話を整理する。
要するに、無理矢理、奇妙な世界に引き摺り込まれたというのは、灯の都合のいい解釈で、真実は、自ら飛び込んだということか。
言われてみれば、確かにあのとき、灯の意思で鏡に手を伸ばした覚えはある。
荘厳な拝殿の中心に据えられた鏡。そこから放たれるゆらゆらとした光に目を奪われ、吸い寄せられるように、手を伸ばした。今にして思えば、完全に雰囲気に呑まれていた。
蔓たちの策略『雰囲気がございますでしょ』作戦は確実性のない、とても不確かなもの。にも関わらず、灯はまんまと引っかかったのだ。
真実を突きつけられて、モヤモヤとした感情をもて余す灯とは対照的に、蔓は嬉々として舞台裏のタネあかしを始める。
拝殿の幻影に翠神鏡を重ね合わすことがいかに大変だったかとか、リハーサルでは結界を張るのに時間がかかっただとか、何より、拝殿裏から幻影の拝殿まで、本来存在しない小道を歩いているように錯覚させることがいかに難しかったなどなど。それはもう、まるで文化祭前夜の高校生がキャッキャうふふと準備を楽しむかのように眷属軍団のわちゃわちゃ感が目に浮かんでくる。
そこには、暴君のわがままに無理矢理付き合わされた感はなく、あくまでも眷属軍団の意思でヤク爺の思いを叶えようとしていることがみてとれた。それはきっと、ヤク爺が慕われているという証なのだろう。
灯は思い切って「どうして今日は愛宕山神社だったの?」と訊ねてみた。
場所にこだわりがなければ、極端な話、灯の家からでも問題なかったのではないかと単純に思ったからだ。
蔓いわく、愛宕山神社となったのは、嫌がらせでもなんでもなく、灯のいる現世から月光院とつながる神道の入り口がたまたま愛宕山神社だったからということで深い意味はないらしい。神々はいつでも出入り自由だが、人の子は神道への入り口となる神社からでなければならないのだという。
「だったら、明治森神社でいいじゃない」
少し拗ねた言い方になってしまった。
蔓はそんな灯を気にすることもなく、神道の入り口となる神社は日々変わるのだと教えてくれた。
入り口は日本全国の神社を転々とするらしく、直近で月光院と繋がる東京の神社がたまたま愛宕山神社だったということらしい。そして、人の子が翠神鏡をくぐるには、定められた御朱印を持つ者だけだと。
「言ってみれば、この月召帳は通行手形にございます。通行手形を持つものが近づくと翠神鏡は光るのでございます」
ふと、ヤク爺が言っていたことを思い出す。
――決められた日に決められた場所で御朱印を頂かねばならぬ――
願いを叶えるためだなんて言っておきながら、実は月光院に行くための翠神鏡システムのためだったのか。
まんまと騙されたようで、ふつふつと悔しさが込み上げてきた。
眷属軍団といい、ヤク爺といい、おそるべし、厄病神御一行様。
「では、灯様、そろそろ――」
今にも翠神鏡の中をくぐり抜けようとする蔓に向かって「ちょっと待って!」と呼び止める。
「まだなにか?」
怪訝さが滲み出ている。
でも、この場所はダメ。
おしゃべりに興じていたせいで、いつの間にか参拝客が増えて、朱印所周辺をウロウロと散策している。
「誰かに鏡の中に入るところを見られたら大騒ぎになります。人目につかない場所へ移動しましょう」
蔓の表情がふっと緩んだ。
「大丈夫でございます。この朱印所は月召帳を手にするもの以外には見えませぬ。庇の下にいる限り、灯様のお姿も見えていないのでございますよ」
どうりで誰も御朱印をいただきにくる者がいないはずだ。
翠神鏡システム素晴らしい!
月光院は、とても涼しく快適だった。
蔓に案内されるがままに連れてこられた部屋には、この屋敷にそぐわないカラフルなビーズクッションたちが異彩を放って山積みになっている。
「灯様、お好きなものをお選びくださいませ」
「どうしたの? これ?」
「ノエ様に相談して、揃えていただきました。あっ、ノエ様は、のちほどご紹介させていただきますね」
蔓は、積み重なったビーズクッションの山を崩して、選びやすいように、広げて見せてくれる。大きさや形も様々なタイプのものが揃えられているようだ。
「先般、灯様のお屋敷にお伺いしましたおりに、敷物? 座り物? というのでしょうか、あまりにもふかふかにて驚きました。灯様が初めて月光院にお越しいただいた日に敷物を整えていなかったゆえ、さぞかし御御足が痛かっただろうと。申し訳ございません。わたくしは流行りのもに疎いゆえ、気が利かず、恥ずかしく思っております。その点、ノエ様はさまざまなお屋敷をご存じゆえ、流行り物には詳しいのでございます。ですが、いささか毒々しいお色味でございますわねぇ」
蔓は最後のひと言で眉を潜めた。おしゃれなビビットカラーも蔓にかかれば、毒々しいとなるらしい。
「次回はもう少し、優しげなものを選んでいただくようにお願いしましたゆえ、今日はこれにてお許しくださいませ。あっ、ふかふかであることは、この蔓が試しておりますゆえ、ご安心ください」
もてなそうとする気持ちがひしひしと伝わってくる。
ほのかに感じていた緊張がすっかり和らいでいることに気がついた。
灯は、ライムグリーンの背もたれが付いている椅子型タイプのものを選んだ。すると、どこからともなく下男らしき男が現れて、選んだばかりのビーズクッションを別の場所へと運んでしまう。
大広間に案内されると、まるで宴でも始まるかのように、料亭のような御膳が並べられていた。味噌の香ばしい匂いが食欲を刺激する。
灯が選んだクッションもセットされていた。
「灯様、こちらにお座りくださいませ」
懐石料理のような上品な料理が並べられているにも関わらず、ビーズクッションとはなんともちぐはぐな感じだが、実際に座ってみると、御膳の高さがちょうどよく、座り心地は最高だった。
灯がひとりほくそ笑んでいると、突然、蔓が誰かを叱りつける声が響き渡った。
「ささ、早くこちらで灯様に詫びなされっ! あれほど『厄病神様』と呼んではならぬと申していたものを!」
番犬が吠えかかるように、蔓がひとりの男を叱責している。見ようによっては、引きこもっているヤク爺への苛立ちをぶつけているように見えなくもない。
男は蔓の形相に気圧され、縮み上がっている。この男も眷属なのだろうか。男は、灯と視線が合うや否やその場でひれ伏し、「申し訳ございませんでした」と震えながら謝ってくる。
これではまるで灯が暴君みたいだ。
「あのう、気になさらないでください。私はもう平気なので」
「灯様、本当に申し訳ございません。この者は、ここに務めて日が浅いゆえ、『厄病神様』とお呼びしてはならぬことを、すぐに忘れてしまうのでございます」
目を釣り上げて捲し立てるが、この場で、誰よりも『厄病神様』と連呼しているのは蔓自身だということに、本人だけが気づいていないようで面白い。
しかし、この男も気の毒すぎる。
この調子で、引きこもりのヤク爺に対しても散々謝罪させられたのだろう。彼のひと言で死ぬほど怖い思いをしたのは事実だが、もう吹っ切れている。なんとかして解放してやりたいが、いかんせん般若のような形相の蔓を止める策が思い浮かばず、どうしたものかと唸っているところへ、ひとりの美しい男が現れた。
長身でスラリと手足が長く、優雅な出立ちの男がゆったりと大広間に入ってきたのだ。切れ長の目にキリリとした眉、シュッと通った鼻筋、凛々しい唇、真っ黒で艶のある髪の毛を後ろで一つに束ねている。きれいな薄花色の水干に白い括袴と動きやすそうな衣をまとっているが、どことなく色香を漂わせ、まるでハイブランドの衣装をまとっているような気品がある。
「蔓、もうその辺にしておけ。せっかくのメシが冷めるぞ」
男はチラリと灯を流し見ると、灯の隣に用意されている御膳の前に腰をおろした。
この人、誰だろう?
《続く》
