【創作大賞2024応募作】神々の憂い #8
六章 ②
「ノ、ノエ様、いらっしゃっていたのですね」
この人がノエ様――?
てっきり女の人かと思っていたので、目の覚めるような美形男子が現れ、戸惑いを覚えた。
「蔓、ヤクを呼びに行かなくていいのか?」
「あっ、さようでございますね」
蔓は男に向かって「お前は下がってよい」と言い捨てると、以前御簾が下りていた、畳が一段高くなっている場所まで歩み寄り「ヤク神様、灯様がおいでになりました」と、よく通る鈴やかな声で呼び込み始めた。
男を叱りつけていた声とはえらい違いだ。
奥の部屋へ何度も呼びかけているが、ヤク爺は一向に現れる気配がない。
一方、蔓に解放された男は、いそいそとこの場から離れていく。
そういえば、今日は御簾がかかっていない。というか、御簾自体が跡形もなく消えている。調度品もいくつか消えているようだ。なにかあったのだろうか。
「ヤクが結界を張ったせいで、さすがの蔓もあれ以上近寄ることができんのだ」
誰に話しかけているのかわからなくて、一瞬ポカンとしたが、ワンテンポ遅れて自分に話しかけられているのだと気がついた。
「ほら、喰え」
「えっ、でも……」
「お前のために蔓が何日も前から準備していたものだ。遠慮せずに喰ってやれ」
そう言うと、ノエは目の前の料理を食べ始めた。
どうしよう。手をつけていいのだろうか? ヤク爺を待たずに食べ始めたりなんかしたら、さっきの男みたいに、蔓に叱り飛ばされそうで、なかなか「いただきます」とは言いづらい。
すると、ノエが「おーい、かずらー」と奥にいる蔓を呼びつけた。
すかさず、蔓が戻ってきて、なんでございましょう、とノエの元に膝をつく。
「お前が勧めぬから、この女が箸をつけておらぬ」
「まぁ、わたくしとしたことが――。た、大変失礼いたしました」
蔓は大袈裟に反応すると、灯の方を向いて優しく微笑んだ。
「灯様、ささ、お召し上がりくださいませ。お口に合うか分かりませぬが、流行りの店の手順書を取り寄せて、手塩にかけてご用意いたしました」
蔓は、胸元から三つ折りされたお品書きを取り出して、手渡してくれる。
壱の器 枝まめ豆腐
弐の皿 鮪とろろ
菊名の胡麻和え
割 鮮 お造り三種
焼き物 真鯛の風味焼き
揚げ物 車海老の花揚げ
蒸し物 雲丹の茶碗蒸し
お食事 そら豆の炊込み御飯 白味噌椀
香の物 焼き味噌
甘味 柚子の氷菓子
お品書きは、平仮名を交えた読みやすい文字でホッとした。
うっすらと緑色をした豆腐は枝まめのようだ。
雲丹を茶碗蒸しにするだなんて、どんな感じなんだろう。
初めて目にする料理を前にして思わず口許が緩む。
仕事を辞めてからというもの、節約のために、専ら廃棄間際の七福マートのお弁当で、お腹を満たす毎日だった灯にとって、こんなに手間暇かけて作られた料理は久しぶりだった。
「灯様、お飲み物はいかがいたしますか? 御酒をお持ちしてよろしゅうございますか?」
お酒――。
呑みたい――。
でも――、今日の目的はヤク爺との和解だ。
「ううん、大丈夫。お茶をいただけますか」
「承知いたしました。ノエ様はいつもの御酒でよろしゅうございますか?」
「ん、たのむ。焼き味噌も追加だ」
「承知しました」
広間から下がって行く蔓の背中に向かって、「あっ、ちょっと待って」と声をかけると、灯はリュックの中から銀色の保冷バッグを取り出した。
「あのう、これ、七福プリンです。好きだって聞いたので、よかったら」
真芝の言葉を思い出して、お土産に持ってきたのだ。
「まぁまぁ、ありがとうございます。エキ様の好物にございます」
そう言って、広間から下がっていく蔓の背中を見送りながら、何か小骨のような引っ掛かりを覚え、さきほどまでの会話を思い返していると「お前も災難だったな」と、話しかけられて、思考がふつりと切れた。
「御簾を拵えるは、束帯をまとうは、やたらと高貴ぶった演出をしてたらしいじゃないか」
あれも演出?
「恐れながらノエ様、ヤク神様は束帯をお召しになっておりませぬ。狩衣にございます」
いつの間にか戻ってきていた蔓が、どんぐりの背比べ的な訂正を入れる。
灯にしてみれば、束帯も狩衣も大差ないのだが、そんなことを言える雰囲気でもないので、おとなしく流れを見守っていると「見てくれをよくしようと画策したことには変わらんだろう」とピシャリとはねつけ、蔓も、そうでございますね、と項垂れた。
そして、蔓は、静かに顛末を話し始める。
灯が月光院にやってきたあの日、ヤク爺は自分が厄病神であることをカミングアウトするつもりだったという。その覚悟をもって、通行手形である御朱印帳を灯に渡したと。
「灯様は素直で優しいお人柄ゆえ、嘘はつきたくないと、ヤク神様は仰せになられて」
蔓は真っ直ぐに灯の目を見てそう告げた。
けれど、いきなり『厄病神』だなんて言い出せば、怖がられるのは火を見るよりも明らか。ヤク爺自身が厄病神がどれほど忌み嫌われているのか一番よくわかっている。ゆえに、どのように切り出せばよいかと思い悩んでいたという。そこで、見かねた眷属軍団がまたもや知恵をひねり出し合った。
さまざまな案が挙がる中、『高貴なお方』という印象付けをしてはどうかということで落ち着いたという。そうと決まれば善は急げ、縁のある神々から調度品やら衣装などを借りて、やんごとなき世界を作り上げた。
言ってみれば『雰囲気がございますでしょ』パート2といったところだ。
この眷属軍団、一生懸命なのはわかるけれど、なかなかに面倒臭い……。
はっきり言って、『高貴なお方』という印象をつけたからなに? と言ってやりたいところだが、まぁ、いろいろと準備をしていたという心意気だけは、ありがたく受け止めよう、そう思った。
「灯様、ささお召し上がり下さいませ。このお豆腐は我ながらよくできました。よろしければお味見を」
蔓は、さっさと話題を変えてしまいたいと言わんばかりに食事を勧めてくる。
そして灯の第一声を心待ちしているように目を輝かせた。
期待に添えるような感想を言葉にすることができるだろうか。
先ほどまで抱いていたご馳走への浮かれ気分はどこへやら、途端に重苦しいものに感じられる。最大級のプレッシャーを感じながら器を手に取ると、胡麻豆腐ならぬ、枝まめ豆腐をひと切れすくって、えいっと口の中へと放り込む。
瞬間、枝豆の香りがふわーっと口の中に広がり鼻から抜けていった。
「お、おいしい」
思わずこぼれた言葉に蔓はことのほか嬉しそうに微笑んだ。
灯は、ろくな感想を述べることもなく、目の前に並べられた料理にむしゃぶりつくように口に運ぶ。
そして、事件は起こった。
ちょうど、車海老を頬張っていると、奥に人影を感じたのだ。
反射的に、そちらを向くと、結界が張られた『開かずの寝所』から、ひらりと若い男が出てくるではないか。
ヤク爺以外、誰も入れないというのは嘘?
灯の戸惑いに気付いたのか、「あいつはヤクじゃない」とノエが言う。
「ヤクの双子の弟、エキだ。ヤクが侵入不可の結界を張ったとしても、エキには通用せぬ。なんたって双子だからな。言ってみれば同じDNAだ。結界認証を突破できる」
結界認証――。
結界を張るだなんて、いにしえの呪術のように感じていたけれど、こんな風に言われると、なんだか生体認証っぽくって現代風だ。
エキと呼ばれた男は蔓に向かって首を横に振った。
説得に失敗したのだろう。
ノエが美形男子なら、エキは愛されワンコ男子といったところか。
目がくりっとして、人懐っこそうな顔立ちをしている。
そして、先ほどから感じていた引っ掛かりはこれだったのかとようやく気がついた。
『エキ様』という名前は、蔓との会話の中で確かに登場していた。
登場人物がもうひとりいたのだ。真芝が遭遇した老人はヤク爺ではなく、目の前にいるエキだったのだ。
ん? まって。
ふ・た・ご……?
エキはヤク爺の双子の弟でDNAが同じ……。ノエは確かにそう言っていた。
「あのう?」
「なんだ」
「双子なのにどうして歳が違うのでしょう? エキさんは、私より少し上くらいですよね? ヤク爺は――、おじいちゃんです」
ノエが盛大にため息をついた。
「お前はここで、ヤクの顔を見ていないのか?」
「お顔を見たのは朱里七福神社での一度だけです。ここでお会いしたときは、頭巾をかぶっていましたから」
「頭巾⁇」
ノエは大袈裟に繰り返すと、再び盛大なため息をつき、苛立ちを滲ませた声で、かずらぁー、と顎をしゃくって、呼び寄せた。
不穏な空気を察したであろう蔓が神妙な面持ちでやって来る。
「どうかなさいましたでしょうか」
「この女が俺に質問をしてきたのだ。『どうして双子なのにヤクとエキの歳が違うのか』とな」
口許に冷笑を湛えて一瞥すると、蔓はぶるっと身震いをした。
「この女いわく、ヤクは頭巾をかぶっていたと。だから顔は見ておらぬと」
美しい顔立ちで淡々とした物言いは恫喝されてるわけでもないのに怖さが倍増する。
「えーっっと、そ、それは、ヤク神様と灯様が最初にお会いしたのが、あちらでのお姿でございましたゆえ、いきなりこちらでのお姿をお見せしては、そ、そのう、お、驚かせてしまうのではないか……、ということで……、すべてを明かしたのちにお姿を見せた方が……」
最後まで話し終えないうちに、ギロリと睨まれた蔓は、ひぃっと小さく漏らして首をすくめる。
そんな蔓の顔色七変化を眺めていると、おい、と聞こえた。
――お願い、私を巻き込まないで。
そんな思いで固まっていると、もう一度、おい、と呼ばれた。
観念して視線を向けると、エキを指さして、
「この顔と頭巾男、恐ろしいのはどっちだ?」
と真顔で訊いてきた。
そんなの愚問だ。考えるまでもなく答えは一択。
「頭巾男」
「あたり前だ」
吐き捨てるように言われ、ムッとした。
「蔓、訊いたか。こいつの答えを」
「は、はい、ですが、ノエ様、頭巾を被ると仰せになられたのはヤク神様でして……」
「この戯けっ!」
突然声を荒げられ、思わずひぃっとなる。
「ヤクとエキの顔をよく見てみろ。この顔に恐怖心を持つやつなどおらん。こいつらは顔得だ。それを活かさんでどうする。わざわざ怖がらせるようなことをしおって。お前らが小賢しいことをするせいで、余計に物事が悪化しておるのがわからんのか!!」
美しすぎる顔はそれだけである種の威圧感がある。ノエにしか出せないであろう静かな凄みは、この場の空気を凍り付かせた。そんな冷え冷えとした空気の中、顔得と言われたエキが愛嬌を振りまいて割って入ってくる。
「ノエ、お説教はその辺にして。ほら、蔓も反省してるみたいだし」
凍りついた空気がみるみる和らいでいく。
「灯ちゃん、みっともないとこを見せちゃってごめんねー。訊いてるかもしれないけど、僕は双子の弟、エキです。よろしく」
そう言って差し出された右手に握手をする。
「あのう、エキさん――」
「エキでいいよ。さんは、要らない。ノエのこともね。ちなみに、エキ爺とかノエ爺なんて呼んだら、ぶっ飛ばしちゃうかもよ」
可愛い顔で凄まれた。愛嬌のある表情は崩していないけれど目は笑っていない。
言われなくても爺なんて歳には見えないから、絶対に呼んだりしないのに。
「じゃぁ、エキ。双子ってことは、――エキも厄病神ですか?」
灯の問いかけに、エキは一瞬怪訝な表情を見せた。
「蔓からなにも訊いてないの?」
「はい」
「その調子だと俺のことも知らんのか?」
ノエからも訊かれる。
「は、はい。あとから紹介すると言われて……」
余計なことを口走ったかもと思い、ちらっと横を流し見ると、青ざめた蔓が視界に入る。
「なるほどな。どうりで平然としているわけだ」
意味ありげな笑みにゾクリとする。
「あ、あ、あ、あのう、わたくし、舞い上がっておりまして、ご説明するのを、わ、わ、忘れて……、おりまして……」
蔓がひどく焦り出し、気まずい空気が流れた。
そんな空気を中和するかのように
「蔓は、ヤクのことになると盲目的に突っ走るからねー。さぁーて、なにから話をしようかなー」
とエキがのんびりと言った。
でも、ある程度のことは想像がつく。
双子なのだから、エキは間違いなく厄病神だろう。そして、蔓に対する態度から察するに、ノエも眷属ではなく厄病神だ。
つまりここは厄病神の棲家。
考えがまとまったところで、エキとバチっと目が合い、ニコリと微笑まれた。
「じゃぁ、改めて自己紹介するね。僕はエキ。疫病神。流行病を司る神。じゃあ次はノエ」
「ノエだ。貧乏神だ」
二柱の自己紹介をゆっくりと反芻する。
厄病神じゃなくて、疫病神と貧乏神……?
疫病神は流行病を司る神。貧乏神は言わずもがな、取り憑かれると貧乏になる。
そして奥には厄病神。
厄出しが終わっているので、今の灯には厄病神は無害かもしれない。けれど、疫病神と貧乏神は……?
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!」
腹の底から叫び声が吹き出した。
「騒ぐな!!」
すかさず鋭い一喝が入る。
「心配するな。お前みたいな貧乏人に取り憑いても面白くもなんともない。そんな無意味なことをするつもりはない!」
ピシャリと言われ、返す言葉もなく納得する。
今の灯に貧乏神が取り憑いたとしても、もともとが貧乏なので無問題だ……。じゃぁ疫病神も同じ? いや違う。流行病は誰にでも影響がある……? はず。
「で、でも、疫病神……。流行病にかかったりしたら……」
「あっ、僕のことを警戒してるの?」
灯はビクビクしながらコクリと頷く。
「ひっどいなぁ。でも、ここにいる間は心配しなくても大丈夫だよ。この月光院では憑くことができないからね。そういう掟? 仕組みなんだ」
「じ、じゃぁ、元の世界に戻ったら憑くってことですか?」
「うーん、それはどうかな。流行病はどこにでも流行らせていいものではないからね。これでも計画性をもってやってるんだよ」
信じていいのだろうか。
「灯ちゃんは疫病神にまつわる昔ばなしって聞いたことはない?」
灯は再びコクリと頷く。
「そっか。疫病神はね、親切にしてくれた人には感染しないように配慮してるんだ」
そう言って軽くウインクをした。つまりは邪険に扱うなということを暗に言っているのだろうか。
もう、なにを信じていいのかさっぱりわからない。ただ、この場から逃げても無駄だということは、これまでの経験上学習済みだ。
こうなったら、この状況をとことん楽しむしかないのかもしれない。
「お前は俺たちのことを妖怪や物怪の類と一緒にしてるだろ?」
へっ?
考えたこともなかったことをノエに言われて、脳がフリーズする。
「灯ちゃん、僕たちはね、これでも『神』だよ。か・み・さ・ま。敬ってとは言わないけど、悪さをする妖怪みたいに思われるのは悲しいなぁ」
「最近じゃ、神であるエキの方が忌み嫌われて、妖怪の『アマビエ』の方が崇拝されてるしな」
意地悪く笑うノエに対して、「あー、それは言わない約束ー」とエキがぷくりと頬を膨らませる。
そんなエキを宥めるように「ほれ、ヤクとエキの見てくれが違う説明をしてやれ」と話を逸らした。
「あ、うん。そうだったね。灯ちゃん、僕とヤクの顔は瓜二つだよ」
エキがニコッと笑う。
「えっ、でもヤク爺はおじいちゃんだった……」
「うん、そうだろうね。灯ちゃんたちが住む人の子の世界では、僕たちは、そう見えちゃうんだ」
見え方が違う? 時間の流れが違うということだろうか。そういえば、真芝もエキのことを『おじいちゃん』と言っていたことを思い出す。
「灯ちゃん、君が見たヤクの顔と今目の前にいる僕の顔。どっちが厄病神っぽい?」
「ヤク爺」
即答してしまった。
別にヤク爺が厄病神っぽいというわけではない。ヤク爺だって愛嬌のある好々爺だ。ただ、目の前のエキはどう見たって厄病神には見えない。それだけのこと。
「でしょ。そういうことだよ」
いやいや、待って、そういうことって、どういうこと?
「人の子の持つ『厄病神』のパブリックイメージを壊さないように、灯ちゃんたちの住む世界では、見え方が違うんだよ」
「じゃぁ、エキも、向こうに行けば、ヤク爺と同じ顔になるってこと?」
「そうだね。僕らはさ、普通の神と違って畏怖の象徴っていうか恐神だろう? 見た目は大事なんだ」
確かに、絵本に出てくる厄病神は、しわくちゃの老人で、苦虫を噛みつぶしたような顔をしたおどろおどろしいものだ。間違っても溌剌とした若者の姿ではない。ましてや、ワンコ系男子や美形男子なんて似ても似つかぬ姿だ。イメージを損ねないようにだなんて、厄病神は厄病神で、いろいろと苦労があるのかもしれないと、この時はじめて思い至った。
「詳しい説明は省くけど、この月光院はね、特殊な空間なんだよ。人の子の世界とも神の世界とも違う特殊な空間。だから灯ちゃんのような人の子の前でも、僕たちは本来の姿でいられるんだ。でね、ここからは想像なんだけど、ヤクが頭巾を被ってた理由が、灯ちゃんを驚かせたくなかったっていうのは本心だと思うんだ。だってさ、灯ちゃんは歳をとったヤクしか知らないわけでしょ。なのに、こんな屋敷に連れてこられて、まったく違う顔の男がいきなり同一神物だって言っても信じないだろうし、不信感を与えるだけだって考えたんだろうね。なにより、自分が厄病神だってカミングアウトしようとしてたわけじゃない。もうさ、驚かせないようにって気を回しすぎちゃって、ひっちゃかめっちゃかになったんだと思うんだよ。お目付役の蔓もあの調子で舞い上がっちゃって、ストッパーにならなかったみたいだし」
蔓は、わかりやすくシュンとして「申し訳ございません」と項垂れた。
「だから許してあげてくれないかな」
もちろんはじめから許さない、なんてことは考えていないけれど、こんな小さな子どもを諭すような穏やかな口調に、NOと言える人はいるのだろうか。灯は催眠術にでもかけられたかのようにコクンと頷いていた。
「ありがと」
そこへ蔓が、あのう、とおずおずと口を挟んできた。
少しの間をおいて、今度は、ノエが、「感じる」と小声を漏らす。
「そうなのでございます」と蔓が答えると
「さっきの灯ちゃんの悲鳴が効いたんじゃない?」
エキまでもが、この意味不明な会話に、参戦する。
「おい、女、でかした」
今度は、ほめられた。
なんで?
頭の中に無数の疑問符が乱舞する。
「ヤクの気配がする。近くまで来てるはずだ」
「えっ!」
思わず大きな声が漏れて、三柱が一斉に「しっ!」と人差し指を唇にあてるる。
声をひそめて「それって?」と訊ねると、「お前の叫び声で、こっちの騒ぎが気になってるんだろ」とノエが答えた。
「どうする? ノエが灯ちゃんを叱りつけて、泣き喚いたりしたら、出てくるかな」
可愛らしい顔で、ナチュラルに怖いことを言う。
「おそれながらエキ様、いくらヤク神様のためとはいえ、ノエ様にも灯様にも失礼にございます」
先ほどまでの恐縮しきりだった姿から一転して、本来の凛とした姿で蔓が諌めてくれる。
「ちぇっ、冗談だよ。じゃぁ予定通り天岩戸作戦にする?」
「それがよろしいかと」
天岩戸って、確かアマテラスオオミカミが引きこもったと言われる有名な場所だ。
太陽神であるアマテラスオオミカミが、弟であるスサノオノミコトの横暴さに心を痛めて、天岩戸に引きこもり、世の中から光が奪われ暗黒の世界になると心配した八百万の神々が「天岩戸の前で大騒ぎしてアマテラスオオミカミ様を外に誘いだそう」と、ドンチャン騒ぎをかまして、外へ誘い出したって話だったと思う。
つまりは、ヤク爺を誘い出すために、これからドンチャン騒ぎを始めるということだろうか。
「では、いざ」
蔓は掛け声とともに、顔の横でパンパンと二回ほど手を打った。
すると、それが合図のように、どこからともなく陽気なお囃子が流れてくる。
同時にひょっとこのお面を被った男衆も広間に入ってきた。お囃子のリズムに合わせてクネクネと体をくねらせて踊り始める。その姿はなんとも滑稽で、大爆笑を誘っていた。
いつの間にか眷属軍団らしき見物人も広間に集まり、飲めや歌えのドンチャン騒ぎが始まった。
《続く》
