【創作大賞2024応募作】神々の憂い #15
十一章
十一月ともなれば、木々が生い茂る山中では、日中でさえもさほど気温は上がらない。まして日没ともなれば、冷え込みは厳しく、吐く息は白くなる。真冬用の厚手のアウターを羽織ってきて大正解だ。重い足を引き摺るように登り進める山道は蛇行して、その先は暗闇につつまれている。聞こえるのは、ふたり分の足音と木々が微かに揺れる音だけだ。登り坂の傾斜がキツくないことがせめてもの救いだった。
「ねー、坂下君、ほんとにこの道で合ってる?」
目の前の地面を照らすふたり分の懐中電灯の光が所在なさげに彷徨っている。
「ノエが描いた地図通りっすよ」そう返す坂下の口ぶりには疲れが滲み出ており「だいたい灯さんっすよ。こんなとこに行きたいって言い出したのは」と文句を垂れた。
「ごめん、ごめん。さぁ頑張ろうー」
疲れを蹴散らすようにカラ元気を出してみる。
坂下が文句を垂れるのも無理はない。
こんな時間の山奥にひとりで行く勇気がなくて「アマテラスオオミカミ様に会えるかもよ」と言って無理矢理連れてきたのだから。
きっかけは、慎二に取り憑いたヤク爺が、翌朝に月光院に戻ってきたことだ。エキの予言通りになってしまった。三日坊主にもなれなかった理由は、深く反省している慎二の家に居座り続けることが忍びなかったというものらしい。
ヤク爺らしいといえばヤク爺らしいと思う。
灯はそのことを一瞬だけ東京に戻っていたノエから聞かされた。
別に慎二に取り憑いたままでいて欲しかったとは思わないけれど、使命を放棄したという点ではガッカリ感は否めなかった。せっかくやる気を見せたのに、再びぬるま湯生活に戻るのだろうかと落胆した。
そんなときに思い出したのだ。願いが叶うといわれた御朱印帳のことを。
あの話が本当ならば、これを使わない手はない。
三つ御朱印を集めたら――、のくだりは灯を月光院に呼び寄せるための方便かと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか? しつこくノエに食い下がると、しぶしぶながら、アマテラスオオミカミを呼び出す方法を教えてくれた。
やっぱり御朱印帳は不思議な力を宿しているのだ!
これでヤク爺のネガティブ思考をどうにかできるかもしれない――。
けれど、願いを叶えるための目的地が遠かった。中込に車を借りて、車道があるギリギリまで車移動したが、降りてからの道のりもさらに遠い。どれくらい暗闇の中を歩いているだろうか。
灯はこのおどろおどろしい空気を払拭したくて、くだらない話を坂下にぶつけてみる。
「ねぇ、なんでノエはノエって言うんだろうね?」
「はっ? 言ってる意味がわからないっす」
疲れがピークに達しているのか「面倒くさいことをいうな」という空気をバシバシと感じた。けれど気にしない。
「だって、厄病神だからヤク、疫病神だからエキ。その法則でいくと貧乏神はビンでしょ?」
そう言った瞬間、「ふっ」と鼻で笑われた。暗闇で顔が見えなくてもわかる。
「そんなことも知らないんっすか?」という顔をしている。僕の方がノエのことを知っているんですよ、と見えないマウントを取られた気がした。
「ボウノジですよ」
「ボウノジ?」
カタコトの日本語を話す外国人のような発音になってしまった。
「貧乏の乏、乏しいって字です。カタカナの『ノ』にひらがなの『え』で『ノえ』っすよ」
灯は言われるまま、指先で宙にカタカナの『ノ』とひらがなの『え』を書いてみる。
「あぁぁぁぁーーーー」
あまりにも明快な答えだったので思わず声を上げると、夜にも関わらず、驚いた鳥たちがバサバサっと羽音を立てる。
「なんで、知ってるの?」
「そりゃぁ、僕とノエの仲っすからね」
マウントを取られた……。
最近の坂下は、ときどき、ちょっとだけイジワルになる。七福マートでは後輩にあたる灯の方が先に月光院にお邪魔していたことを知って面白くないのかもしれない。いわゆる嫉妬ってやつだろうか。だとしたら、年下っぽくて可愛らしい。
「神様の世界にも子どもの頃はイジメがあったらしいっすよ」
疲れのせいか、坂下がよくわからないことを言い始めた。
「人間と同じで『やーい、貧乏神ー』とか『厄病神と疫病神には近寄るなー』だとか、ずいぶん揶揄われたらしいっす」
「そうなの?」
「ヤクさんは、そのことをメチャクチャ気に病んじゃって……」
あー、なんとなくいじけている姿が目に浮かぶ。
「だからノエは、ヤクさんを励ますために『今日からお前は、厄病神じゃなくてヤクだ』って言って、厄病神って呼ぶのをやめたそうっす。そしたら、ヤクさん、メチャクチャ喜んじゃって」
「なんで知ってるの?」
さっきと同じセリフを口にした。
「小さいとき、ノエが話してくれたんっすよ。押し入れで泣いてたら、僕の気を紛らわせるために色んな話を聞かせてくれたんすっよねー」
「そっか」
「で、ヤクさんだけ呼び名をつけるのもアレじゃないっすか。その流れで疫病神と貧乏神も『エキ』と『ノエ』になったみたいっす」
「そうなんだ」
「でも僕、今、気付いたんっすよね。そんな大昔に、ひらがなとカタカナなんてあったんっすかね」
言われてみればそうだよなーと頷けてしまう。
「僕は、ノエだけ、呼び名をつけてもらうのが遅かったんじゃないかなーって思ってます。自分の苦しさとかあんま口にしなさそうじゃないっすか。ノエって」
坂下は人のことをよく見ている。
そうだね。貧乏神って呼ばれても自分は何も気にしてません、みたいな顔をしていたのかもしれない……。本人に訊いても真実なんて絶対に教えてくれないだろうけど……。
「まぁ、ビンって呼び名説も捨て切れないっすけどね。――で、『ビンという響きは美しくない』とか言っちゃって、途中からノエに変わっただけかもしれないっす」
そう言って坂下は笑った。
――その可能性も捨てきれないね。
くだらないことを喋りながら山道を登りつめると、突如、目の前が開けて、大きな池が姿を現した。
さっきまで雲に覆われていた三日月が雲間から姿を現し、穏やかな水面に映し出されて、ゆらゆらとした黄金の輝きが広がっている。
疲れや寒さなどいっぺんに吹き飛んでしまう幻想的な景色だった。
「すごいっすね」
思わずといった感じで坂下が言葉をこぼす。灯が詩人であれば、この神秘的で幻想的な空間をもっと上手く表現できただろうが、生憎そんな能力は持ち合わせていない。なので、坂下と同じように、「うん、すごいね」と返すことしかできなかった。
ようやく辿り着いた。
アマテラスオオミカミ様にお目見えできる場所に。
池の周囲には、灯の背丈ほどもある、噴石らしき岩がいくつも転がっている。灯はその根元をひとつひとつ懐中電灯で照らしながら、目印を探した。
「灯さん、これじゃないっすか?」
坂下が照らす先には確かに大中小の三つの石が積み上げられた三ツ石があった。
場所的にも、ノエが描いてくれた地図と合致する。
これだ。
灯は三ツ石の隣にある腰の高さほどの平たい岩の上に月召帳を置く。
それからその周囲に三本のろうそくを立てて火をともした。
いやでも緊張感がピリリと背筋を刺激する。
「アマテラスオオミカミ様が現れるんっすよね」
もうじき姿を現すであろうアマテラスオオミカミを想像して坂下は胸を躍らせている。灯も同じように胸が高鳴り、気を沈めるために、心の中でヤク爺に語りかけた。
***
ヤク爺。
とうとう着いたよ。
ヤク爺は、出雲に着きましたか?
今年は人の子に憑いたことだし、神議りで、肩身の狭い思いをしていないといいけど――。
まぁ、憑いたのは三日坊主にもならないくらいの短い間だったけれどね――。
それでもヤク爺のことだから、心を痛めているのかな。
私ね、気付いたことがあるよ。
引きこもりを続けた理由って、世を儚んだからじゃなくて、自分に向けられた愛情を、確かめたかったからじゃないかって。ノエやエキ、シュリ神様、もちろん蔓さんや月光院のみんな――。ヤク爺のことを心配して、必死になって、かまってくれることが嬉しかったからじゃないかって。
あっ、私が傷つけてしまったことを責任逃れしようとしてるわけじゃないよ。それは忘れてない――。
優しさを踏みにじられてできた心の傷って、優しさや愛情を与えてもらうことでしか癒せないのかもしれないね。でも、優しさや愛情って、手に取ったり、触ったりして確かめることができないじゃない? だから、みんなが心配する姿を見て、自分が愛されていることを確かめたかったのかなって思ったんだ。間違ってたらごめんね。でも、もし私が思う通りなら、もう大丈夫だよね。どれだけみんなに愛されてるか伝わったでしょ。
ねぇ、ヤク爺。
厄病神でいることが嫌で嫌でたまらないかもしれないけど、私はね、ヤク爺には厄病神でいてほしいって思ってる。
ヤク爺は、たくさん苦しい思いや、悲しい思いをした神様だから……。だからひとの苦しみや悲しみに、とても敏感で優しいんだと思う。そういう苦しみや悲しみを知っているひとに、厄病神でいてほしいって思うんだ。そうじゃないと、見境なく嫌がらせを楽しんじゃう神様になっちゃうじゃない?
だから、厄病神は、ヤク爺にしか務まらないって思ってる。
それにね、憑いてくれたことに感謝しているひともいるんだよ。こんなこと、信じられないかもしれないね。けど、店長も坂下君もノエに感謝してたんだ。
多くはないかもしれないけど、伝わるひとにはちゃんと伝わるんだと思う。だから、最強の嫌われ役だけど、自分の仕事に誇りを持ってほしい。
本当はね、私の言葉でヤク爺の心に語りかけることができれば、よかったんだけど、そんな感動的な言葉を紡ぐことができそうにないから、坂下君と一緒にアマテラスオオミカミ様にお願いすることにしました。
この思いが、どうかどうか届きますように。
***
「心の準備はいい?」
灯は自分自身にも言い聞かせるように坂下に確認する。
「もちろんっす」
突然、坂下に手をとられた。
これから起こるであろうことに興奮しているのか、ぎゅっと手を握られると指を絡ませられる。
あまりにも不意打ちだったので、驚くのと同時に頬や耳に熱を帯びて、赤面しているのが自分でもよくわかる。
ひとりドギマギしていると、坂下が掛け声を放つ。
「せーの」
『祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え――』
気持ちを切り替えて、声を合わせて祝詞を唱え始めると、池の対岸あたりの水面に、突如さわさわと霧が立ち込め始めた。
握り込んだ手の平にじんわりと汗をかく。
胸の辺りがザワザワとうるさい。
手を繋いだ高鳴りが、別の高鳴りへと徐々に変わっていく。
もっと対岸に近寄りたい。
けれど三ツ石より先に進んではならぬとノエからきつく言われている。ここは、ぐっと我慢する。
やがて霧の中から薄桃色のぷくりとしたつぼみがいくつも浮かび上がり、あちらこちらで開き始めた。
蓮の花?
開いた花の中から光の玉が放たれて、ふわふわと舞いながら空へと昇っていく。
灯は、ただそれをじっと見上げた。
小さな光の玉は、無数の蛍の光のようにふわふわと漂い、ゆっくりと上昇していく。
すると、視界の隅のある一点がぱっと明るくなった。
光の方へ焦点を当てると、真っ白な衣をひらひらと揺らしながら、長い髪を靡かせた女の人が立っている。
アマテラスオオミカミ様だ!
『其方の願いを申してみよ』
鈴を振るような澄んだ優しい声は、鼓膜に響くのではなく、心に染み入ってくるような錯覚を覚えた。
坂下を見ると口をあんぐりと開けている。
灯は大きく深呼吸をして、声の限り、願いを叫んだ。
どうか、どうか、この思いが届きますように――。
《続く》
