既存の宗教や悪なる風習を一旦叩き壊し、「真理」と「愛」に満ちあふれた世界へと作り変えていきましょう。
今回は、「黄泉戸喫(よもつへぐい)」から考えていきたいと思います。
黄泉のかまどで作られた食べ物を食べることを「黄泉戸喫(よもつへぐい)」といいます。
黄泉とは死者の国を表す言葉で、「戸」はかまどを、「喫」は食べることを意味しています。
「黄泉戸喫(よもつへぐい)」とは、死者の国のかまどで作られた食べ物を食べることで、『古事記』に書かれていることで知られています。
イザナミが火の神カグツチを生んだことで火傷して死んでしまいます。しかし夫イザナギは、愛妻イザナミが忘れられない。
そこで黄泉の国へと迎えに行くのですが、イザナミは現世に戻るのを断わります。なぜか? それは「黄泉戸喫」をしたから。つまり、黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、です。
「黄泉戸喫」を行うと「黄泉の国」の住人となってしまい、生者の世界に二度と戻ることができない、というのです。
よもつへぐい(黄泉戸喫)とは、
黄泉の国の食事のことです。
これを口にした死者は黄泉の国の人となり、
二度と現世に戻ることはできないとされています。
そこで、「黄泉の国」の食材として、「ハマグリ」が古墳の遺物として出土していることを知りました。

愛媛県松山市の葉佐池古墳はざいけこふんからは、
よもつへぐいの痕跡と見られるものが出土しています。
それはハマグリです。
一号石室の奥壁添いに並べられた
須恵器のうち一点の中にハマグリの殻が
納まっていることが確認されているのです。
二号石室からは、カワシンジュガイや
カラスガイの殻片が出土しています。
これらの貝類は、死者への供え物であり
よもつへぐいの食材であったと考えられます。
ギリシャ神話ではザクロを食べることが
よもつへぐいとされています。
日本では「桃の節句」に、「ハマグリ」を食べる風習があります。
桃の節句にはまぐりを食べる習慣には、その貝殻が持つ特別な性質に由来する明確な理由が存在します。
はまぐりの貝殻は、もともと対になっていたものでなければ二枚貝がぴったりと重ならないという特徴を持っています。
このことから、生涯を共にする唯一の相手と結ばれ、仲睦まじく暮らせるようにとの願いを込めて「夫婦和合」や「貞節」の象徴とされてきました。
ギリシャ神話にも、「黄泉戸喫」の話が書かれています。
ギリシャ神話ににも「黄泉戸喫」の話が見られます。
──ゼウスを父、豊穣神デーメーテルを母に持つペルセポネ。野原で花を摘んでいるときに、冥府の神ハーデスが現れ、彼女を冥府に連れ去ったのです。怒ったゼウスはハーデスに娘を開放するよう伝え、ハーデスはこれに応じます。しかしそれまで冥府の食べ物を拒んでいたペルセポネでしたが、空腹からザクロの実を12粒のうちの4粒だけ食べてしまったのです。
とりあえずは天界に戻ったペルセポネは、母にザクロを食べたことを伝え、食べたザクロの分(1年の1/3)を冥府で過ごすことに。この時激怒したデーメーテルが「さらわれた上に空腹でやむなく食べたのだから再度の冥府行きは拒否する」と主張したのですが、「冥界の食べ物を食べたら冥界に属する」という決まりを覆すことはできませんでした。
ギリシャ神話では、「ザクロ」が「黄泉の国」の食べ物として書かれています。

そこで思い起こされるのが、日本の「鬼子母神(きしもじん)」です。
鬼子母神は、またの名を「詞梨帝母かりていも」といい、千人(万人ともいう)もの子を生みながら、他人の子どもを奪うばっては食べてしまうという乱暴らんぼうなことを繰くり返す鬼神きじんでした。あるときお釈迦しゃかさまが、彼女が一番かわいがっている末子すえっこを隠かくして、子を失う母の悲しみを諭さとしました。これにより仏教に帰依きえした鬼子母神は、自分の行ったことの罪ほろぼしにと、子どもに恵まれず悲しみにくれている人たちに子どもを授けて、生きる喜びを与えるようになったといわれています。
楢神社の境内けいだいには、大きな「ザクロ」の木があります。それは、ザクロの実には種子しゅしが多いので多産のシンボルであるとか、味が人間の肉と似ており、鬼子母神の好物だったからだとかいわれています。このようなことから、以前からザクロを紙に包み、水引をかけてお供えするしきたりがあるそうです。
人間の子を食べてしまう「鬼子母神」は、「黄泉の国」の食べ物とされる「ザクロ」を手にした姿で描かれることが多いということです。
日本の仏教芸術において、鬼子母神は温和な表情で子供を抱いた姿や、ザクロを手にした姿で描かれることが多く見られます。
「ザクロ」を手にした女神で思い起こされるのが、ギリシャ神話の「ヘーラー」という女神です。
アルゴスのヘーラーは、パエストゥム〔イタリア南部の都市、古名ポセイドニア〕の近くのカパチョ・ベッキョ Capaccio Vecchio において、「ザクロを持つ我らが女神」として崇拝されていた。
女神は片手に彼女の子供を抱き、もう一方の手にはザクロを持って玉座についており、この像を見る者は生命を生み出す女神の奇跡についての想いに誘われた。
子供を抱きザクロを手にしているという、ギリシャ神話の「ヘーラー」と日本の「鬼子母神」は、明らかに同じ神であることが分かります。
このように同じ女神が、古代イタリアと日本で崇められていることが意味することとは、「ヘーラー」を崇めていた古代イタリア周辺の民族が、日本へ渡来してきていたことの証拠なのではないかと思われます。
それでは日本の年中行事である「桃の節句」で、「黄泉戸喫」の食材である「ハマグリ」を食す、という風習が意味することとは何なのでしょうか。
人間の子を食べてしまう「鬼子母神」は、「黄泉戸喫」の食材である「ザクロ」を手にした姿で描かれることが多い、ということでした。
「ザクロ」を食べると「死者の国」の住人となってしまう、それはつまり人間の子どもが「鬼子母神」の「生け贄」にされてしまう、ということが暗に示されているのではないでしょうか。
「桃の節句」が、女の子の健やかな成長と幸せを願う行事、だというのは建前であり、実のところ、子供に「黄泉戸喫(よもつへぐい)」をさせていた=「生け贄」にして死者の国の住人としていた、ことの名残りなのではないかと感じました。
これまで私たちが、当たり前のように行ってきた「年中行事」や「節句」などの風習には、実は悪魔的な意味合いが含まれていたのです。
日本の年中行事は、ほとんど全て悪魔崇拝儀式だった(十二弟子・ミナさんの証)
七五三のお祝いをした日の奇妙な出来事を通して、神社仏閣は悪魔崇拝であることを確信した過去の体験(十二弟子・ミナさんの証)
ギリシャ神話で、「ザクロ」の種子を食べたために冥界に引き留められてしまったのが、「コレー」という女神です。
古代ギリシアの神話の著作者は、コレーとエウリュディケーはともに、冥界でザクロの種子を食べたために、冥界に引き留められたのだと述べている。
女神「コレー」とは、コプト人に崇拝されていたようです。
コレーは、コプト人の宗教にあっては、偉大な力を持った女神であり、4世紀には、アレクサンドリアで盛んに崇拝されていた。コレーイオンすなわちコレーの祭りは、毎年1月6日に行われた。この祭りは後にキリスト教に吸収され、「御公現の祝日」Epiphanyになった。コレーの祭りは、この処女神が新年の神アイオーンを生んだことを祝うものだった。このときコレーの裸像が、金の星や十字架のしるしで飾られ、人々にかつがれて、神殿の周囲を7回まわった。聖職者たちは大衆に向かって、処女神がアイオーンを生みたもうたと宣言した[14]。
「コプト」とは、エジプトのキリスト教徒だということですが、「コレー神」を信仰している時点で、真のキリスト教徒ではないことが分かります。
コプト教会はエジプトのキリスト教徒のこと。コプトとはエジプト人を指すギリシア語(アイギュプトス)のアラビア語なまりである。紀元1世紀に始まり、2世紀ごろからローマ支配下のエジプトで広がったキリスト単性説を信仰する人々である。
コプト教会とは、キリスト教の三位一体の教義を否定し、キリスト単性説を信仰する「異端」であるということです。
キリスト教の正統とされたアタナシウス派の三位一体説を否定し、キリストの人性は、この世において神性と融合し(または人性は仮性で、神性のみを認めると説明する)、単一の神性をそなえた存在となったと考える、有力な異端の一つであった。
このように、キリスト教の一派の教理にまで「非真理」が深く入り込んでいるのは、どうしてなのでしょうか。
この世の学問は天地を創造した神様を否定し、人類を騙すためにある(RAPTブログ読者・マキさんの証)
イスラエル民族と同じ悲しい運命を辿ろうとしている日本人〜日本人が知るべき『聖書の真実』(十二弟子・ミナさんの証)
嘘は人間の脳を害し、人間の機能を停止させる毒だ。だから私たちが真実の情報を発信し、上級国民の垂れ流す嘘を嘘だと人々に知らせなければならない。
女神「コレー」の象徴とは、「五芒星」の形だということです。

Pentacle(五芒星形)
リンゴを輪切りにしたとき、その芯が形造る五荘星形は、女神コレーの象徴であった。この五芒星形(ペンタクル、ペンタグラム)は、ピュタゴラス学派の神秘主義者に崇拝され、彼らはこれをペンタルファ(「5回交錯する生誕-文字」)と呼んだ[1]。五芒星形は「生命」あるいは「健康」を意味するとされた[2]。あるものはこれを「イシュタル(あるいはアセト〔イーシス〕、あるいはアセトの冥界の双子ネベト=ヘウト〔ネフティス〕)の星」と呼んだ。エジプトでは5つの鋭い先端を持つ星は冥界の子宮を表した[3]。
異教徒のケルト族は、エジプト人同様、五芒星形を、彼らがモーガンと呼ぶ冥界の女神のしるしとして崇めた。太陽英雄ガーウェインは、女神に敬意を表して、彼の血のような赤い色の盾に五芒星形をつけた[6]。
しかし、五芒星形はユダヤの神よりも、異教の神々とより密接に結びついていた。鋭い先端の1つが真下にある五芒星形は「角のある神」を表し、新プラトーン主義の哲学者は、これをペンタモルフ(「5つの姿を持つ神」)と呼んだ[5]。この神は、4種の角のある動物、雄ウシ、雄ヒツジ、雄ヤギ、雄ジカの姿をとるとともに、人間の姿にもなって現れた。
五芒星形を用いる魔術のまじないは今も存在する。ジプシーは今もなお、リンゴを輪切りにし、コレー、すなわち「処女の五芒星形」を顕現させ、それを「知恵の星」と呼んでいる[12]。
上記によると、エジプトでは、5つの鋭い先端を持つ星「五芒星」は、「冥界の子宮」を表したということです。
そこで思い起こされるのが、「ヘスぺリスたちの園」です。
はるか西方の、日々太陽が沈む「極西」にある不死の庭園で、ときには「宵の明星」(金星)へスペラの姿で顕現した母神ヘーラーの領地だった。
へスペリデスの園は、ヘーラーの再生の子宮を象徴している神殿そのものでもあった。
「ヘスぺリスたちの園」とはギリシャ神話に登場する、日々太陽が沈む「極西」にある不死の庭園で、女神「ヘーラーの再生の子宮」を象徴している神殿そのものであった、とされているのです。
以前の記事で、「ヘスぺリスたちの園」とは「モロッコ」に相当するのではないかということ、「ヘスぺリスたちの園」と対になる「日出づる国」日本とは「ルシファーの園」なのではないか、と考えました。
モロッコはその名をアラビア語で「アル・ マグレブ」と言い,「太陽の沈む地」という意味を持つ。「日の出づる国,日本」と 「日の沈む国,モロッコ」の友好関係とい う言い回しがよく使われる。
「モロッコ」とは「太陽の沈む地」を意味し、日々太陽が沈む「極西」にある「ヘスぺリスたちの園」のイメージにぴったりと重なるのです。
さらに、「モロッコ」の国旗には「五芒星」が掲げられています。

女神「コレー」の象徴が「五芒星」であり、五芒星は「冥界の子宮」を表していることから、「モロッコ」とはコレーやヘーラー信仰に深く関わっていると考えられ、ヘーラーの再生の子宮とされる「ヘスぺリスたちの園」の候補地に相応しいのではないでしょうか。
「太陽の沈む地」モロッコと対の関係である、「日出づる国」日本にも「五芒星」である安倍晴明の紋があります。

ギリシャ神話の女神ヘーラーは、赤ん坊ヘラクレスの揺りかごに「二匹の蛇」を放った、と伝えられています。
そこで思い起こされるのが、クレタ島で発見されている両手に蛇を持つ女神像です。

「クレタ島」では女神レアーが信仰されていたようですので、この女神像の名は「レアー」であるのかも知れません。
紀元前三千年頃からクレーテー島を中心に栄えた地中海文明(エーゲ文明)で崇められていた神々の中の最高神は、多くの古いアジアの信仰の最高神と同じく女神であり、植物や豊穣の女神であり万物の母であった[7]。 その固有の神名は伝えられていないが、クレーテー島ではレアーと呼ばれ信仰されていた[7]。この名は後にゼウス信仰において古代クレーテーの神々を呼ぶのに用いられる名であった。これがヘーシオドスの詩『神統紀』においてゼウスの母の名として記載された[7]。
「レアー」は、ヘーラーの前身とされているようです。
ヘーラーという名は、ときには「女主人」と訳されたが、実は、へ・エラHe Era、すなわち「大地」の意味だったのかもしれない。ヘーラーの前身とされた女神にレアーがいたが、この古代ギリシア以前の太母は、ギリシア神話に取り入れられて、ヘーラーの母親になった。ヘーラーもレアーもエーゲ文明初期の太母神の形姿であり、両者とも男神たちが登場する以前から存在していた[1]。
「ヘーラー」も「レアー」もエーゲ文明初期の太母神の形姿であり、エーゲ文明で崇められていた神々の中の最高神は、多くの古いアジアの信仰の最高神と同じく女神であった、とのことです。
実際の崇拝では、レアーは大地女神で、ガイアとの識別が困難であり、彼女の最初の崇拝はクレータに発し、のち小アジアの大地女神と同一視され、キュベレー、アグディスティス!AgdistiVなどと混同し、さらにこれらの大地女神の崇拝形式がディオニューソスのそれと酷似するところより、両神は密接に関係づけられるにいたった。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
「レアー」は大地女神で、ガイアや「キュベレー」という女神とも同一視されていたようです。
キュベレーの祭典はludi (祭儀)と呼ばれた[3]。キュベレー崇拝の呼び物は「雄ウシの供犠」で、生贄にされた雄ウシの血を浴びた。このウシはキュベレーの生贄として死んでいく夫アッティスを表した。キュベレーの神殿は、キリスト教が占拠する4世紀までは、バチカンに立っていたが、今ではそこには聖ぺテロのバシリカ聖堂が立っている[4]。
「キュベレー」崇拝では「雄ウシ」の供犠があり、生贄にされた「雄ウシの血」を浴びたということです。
古代クレタ島では「雄ウシ」信仰があり、儀式の中心的な役割を果たしていたと考えられています。
そのため、「レアー信仰」=「キュベレー信仰」であったのではないかと考えられるのです。
さらに注目すべき点は、”キュベレーの神殿は、キリスト教が占拠する4世紀までは、バチカンに立っていたが、今ではそこには聖ぺテロのバシリカ聖堂が立っている”という点です。
「キリスト教」成立以前の「バチカン」に、「キュベレーの神殿」が建っていたというのです。
「バチカン」とは、キリスト教カトリック教会の総本山だと言われていますが、陰では「悪魔崇拝」の中心であったことが、「RAPT理論」によって解明されています。
バチカン、児童虐待で聖職者848人の資格剥奪。悪魔崇拝はバチカン中心に行われていた。
ローマ法王フランシスコがバチカン祭司の「悪魔崇拝」を公に謝罪。世界にとって大きな前進です。
バチカン、イエズス会、ローマ法王、王族による生贄儀式と児童虐殺が法廷で明らかに。
それでは「バチカン」に神殿があったという「キュベレー」とは、どんな神だったのでしょうか。
彼女はギリシア・ローマ神話界では、ウーラノスとガイアの娘で、レアーのほかに、ローマではケレース、ウェスタ、ベレキュンティアー、ディンデュメネ一等、多くの女神と同一視され、ディオド一口スによれば、リューディア王とディンデュメネーの娘で、キュベレー山に棄てられたので、この名を得たという。彼女は塔を頂き、ときに多くの乳房をもち、二頭のライオンを従え、またライオンの牽く戦車に乗った姿で表される。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
「キュベレー」とは、ときに「多くの乳房」をもっていた、とのことから思い起こされるのが、「エペソスの女神」です。

小アジアの古代の商業都市エペソスは、アルテミス女神崇拝の一大中心地で、この地にあったアルテミス神殿はその壮麗さで古代においては著名であった。
小アジアの古代商業都市「エペソス」は、「アルテミス」女神崇拝の一大中心地であり、「アルテミス」は多くの乳房を持った像として造形されているのです。
となると、「アルテミス信仰」=「キュベレー信仰」であった可能性が出てきます。
さらに注目すべき点は、「キュベレー」の別称が「クババ」で、「イスラム教」の聖地、「カーバ神殿」の黒石と関連があるという点です。
キュベレーの別称
キュベレーの別称はKubaba、 Kuba、 Kube で、メッカにあるカーパKa'abaの石(巡礼者の涙で黒変したと言われる神聖な黒い石)と関連があるとされている。この石は隕石のような立方体の石cubeで、太女神のシンボルがついていて、昔は老婆と言われていた[6]。

さらに「クババ」は、手に「ザクロ」と「鏡」を持った姿で描かれていた、というのです。
紀元前2千年紀にはキュベレーはヒッタイト人およびフリ人の間でクババ (Kubaba)、グババとして知られるようになった。クババは手にザクロと鏡を持った威厳のある婦人の姿で描かれ、ヒッタイト帝国の重要都市カルケミシュの守護神となっていた。
「ザクロ」を手にした女神とは、「ヘーラー」でした。
そのため、「キュベレー(クババ)信仰」=「ヘーラー信仰」であったとも考えられます。
そして「鏡」から思い起こされるのが、日本の女神「天照大神」です。
「天照大神」を祀る伊勢神宮には、神体として「八咫鏡」が祀られています。
クババは古代メソポタミア文明において大地母神として崇められていました。紀元前3000年頃から神殿が建てられ、その存在はシュメール、アッカド、バビロニアなど多くの文明に影響を与えました。
「クババ」は、古代メソポタミアでも崇められていたようです。
マンフレッド・フッターによれば、古代のムキシュ王国に相当するアミク渓谷、特にアララフは、シリアとアナトリアの女神クババが最初に崇拝された地域であった。彼女は一般的に慈悲深い正義の女神と見なされている。この説によれば、彼女の崇拝はその後アララフからカルケミシュ、そしてアナトリア全体に広がった。[ 38 ]
トルコ南部の「アミク渓谷」が、「クババ」が最初に崇拝された地域だということです。
アミク渓谷(トルコ語: Amik Ovası、アラビア語 : ٱلْأَعْمَاق、ローマ字表記: al-ʾAʿmāq )は、トルコ南部のハタイ県にある平野です。オロンテス川沿いのアンタキヤ市(アンティオキア)の近くに位置しています。イスラム教の終末論によれば、シリア北西部のダビクとともに、ハルマゲドンの戦いの可能性のある2つの場所の1つと考えられています。[ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] [ 6 ]
ハディースの中で、アブー・フライラ(イスラム教の預言者ムハンマドの教友)は、ムハンマドが次のように述べたと伝えている。
終末の時は、ローマ軍がアル=アマクかダビクに上陸するまで訪れないだろう。その時、地上で最も優れた人々で構成された軍隊がメディナからやって来て(ローマ軍に対抗するだろう)。
— サヒーフ・ムスリム、第41巻、第9章、ハディース6924 [ 12 ]
イスラム教の学者やハディースの注釈者は、「ローマ人」という言葉はキリスト教徒を指していると示唆している。[ 13 ]このハディースはさらに、その後のイスラム教徒の勝利、タクビールとタスビーフの祈りによるコンスタンティノープルの平和的な占領、そして最後にイエス・キリストの再臨と降臨後の反キリストの敗北について述べている。[ 14 ] [ 15 ]他のハディースでは、イエスの再臨の直前にイマーム・マフディーが現れたとされている。[ 16 ]
「アミク渓谷」は、「イスラム教」の終末論で「ハルマゲドン」の戦いの可能性のある、2つの場所のうちの1つだと考えられているのです。
「クババ」が「最初」に崇拝された地「アミク渓谷」が、「イスラム教」における「終末」の時「ハルマゲドン」の戦いの地とされていることから、「イスラム教」と「クババ」崇拝には深い繋がりがあるのではないか、と考えざるを得ません。
このように、古代から現代に至る何千年もの間、「クババ」という女神がいくつも名前を変えて、世界の各地で崇められてきたことが見えてきました。
「クババ」や「キュベレー」の名は、立方体のcubeが語源だと思われ、中央アジアで信仰されてきた「テングリズム」に繋がると考えられます。
テングリは男性神であり、女性神である大地に対応する。
「テングリズム」において、女性神は「大地」とされています。
「クババ」や「レアー」、「ヘーラー」は「大地女神」として崇められていたため、この「テングリズム」の思想が起源となっていると考えられるのです。
「テングリズム」とは、「北極星信仰」や「ルシファー信仰」に繋がっているのではないか、と以前の記事で考えました。この世の多くの宗教が「北極星信仰」という「ルシファー崇拝」に繋がっていたのか。
この世のほとんどの宗教が、知らず知らずのうちに「悪魔」を拝まされている「悪魔崇拝」であることが、「RAPT理論」によって解明されています。
やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。
キリスト教がミトラ教から誕生したという大嘘。ミトラ教は悪魔教であり、悪魔崇拝者たちが悪魔教の要素をキリスト教に混入していったのです。
過去の全ての宗教戦争は悪魔崇拝者が起こしたものです。現在のすべての戦争が金融ユダヤによって引き起こされているのと同じことです。
キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。
このように現在の世界のほとんどの「宗教」や「風習」などが、「悪魔」的なものである以上、一旦すべての悪なるものを叩き壊し、この世界を新たに真の神様の「真理」と「愛」に満ちた世界へと作り変えていかなければならないのではないでしょうか。
2023年からは、実質的に地上に天国を作っていく時代だ。そして、地上天国は一人では作ることができず、中心者や兄弟姉妹と共に作ってこそ実際に作ることができる。
義人の数がどんなに少なかろうと、神様は聖書の預言をすべて成就するために直接この地に降臨し、義人には祝福を与え、悪人には裁きを下して、地上天国を実現していかれる。
主は中心者に地上天国の祝福を与えてくださった。だから、中心者についていく者たちも皆、同じように地上天国の祝福に預かることになるだろう。
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