「アトランティス」とは「シュメール」で、「スキタイ」と「北極星」信仰に繋がるのか。
今回は、円形城壁から考えていきたいと思います。
ウルク(現在のワルカ) 前3000年紀に栄えたシュメール人の残した都市遺跡として最大のものがウルクである。ウルクはほぼ円形の全長約9.5kmの城壁に囲まれ、神殿を中心とした公共建築物をもち、約230ヘクタールの居住地をもっていた。中央の一段高い丘に都市神イナンナの神殿が建ち、そのそばに聖塔ジッグラトがそびえる。
シュメールの都市遺跡ウルクは、円形の城壁に囲まれていたということです。円形の城壁とは、珍しいのではないかと感じました。

円形の壁を持つ建築物で思い起こされるのが、古代ローマのコロッセオです。
コロッセウム(ラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。

コロッセオ - Wikipedia
古代ケルト文化にも、円形の要塞が遺されています。

Grianan of Aileach - Wikipedia
グリアナン・オブ・アイレック(/ ˌ ɡ r iː n ə n ə v ˈ æ l j ə ( x ) / GREE -nən əv AL -yə(kh) ;アイルランド語: Grianán Ailigh [ˌɟɾʲiənˠaːnˠ ˈalʲiː])は、英語化されてGreenan Elyまたは地元ではGreenan Fortと呼ばれることもあり、アイルランドのドニゴール県イニショーエン半島バートにある高さ 244 メートル (801 フィート) のグリーナン山の頂上にある丘陵要塞です。主な構造物は、北ウイ・ネール族が6 世紀または 7 世紀に建設したと考えられている石造りの環状要塞の 19 世紀の再建です。
グリアナン・オブ・アイレックは、「太陽の宮殿」という意味だそうです。
アイルランド北西部にある壮大な石造遺跡、グリアナン・オブ・アイレック(Grianan of Aileach)。
この円形の石の要塞は、アイルランドでも特に神秘的な古代遺跡の一つとして知られています。
場所はドニゴール州の丘、**グリーナン山(Greenan Mountain)**の頂上。標高およそ244メートルの高台に築かれており、周囲の大地や海を見渡すことができる壮大なロケーションにあります。
その姿はまるで古代の王が空と大地を見渡すために築いた「天空の宮殿」のようにも見えます。実際、この遺跡には王権・神話・戦争の歴史が重なり、アイルランドの歴史と文化を象徴する場所の一つとなっています。
グリアナン・オブ・アイレック(Grianan of Aileach)の名前には、とても興味深い意味があります。
「グリアナン(Grianan)」はアイルランド語で
「太陽の住まい」または「太陽の宮殿」
という意味を持つ言葉です。
古代ケルト文化では、太陽は生命や王権を象徴する神聖な存在でした。
そのため、太陽に関係する名前がつけられた場所は、宗教的・政治的に重要な場所だった可能性があります。
モルタルを使わない巨大な石壁
この要塞の特徴は、巨大な円形の石壁です。
主な構造は次のようになっています。直径:約23メートル
壁の厚さ:約4メートル
高さ:約5メートル
この城壁は、接着剤やモルタルを使わない**ドライストーン工法(石積み技術)**で作られています。
古代メソポタミアのあった地域にあたる、イラクのバグダッドにも正円の城壁が767年~912年頃に建設されていました。
バグダード(アラビア語: بَغْدَاد, ラテン文字転写:Baghdād, バグダード、英語名:Baghdad)は、イラクの首都。
バグダードは、762年にアッバース朝第2代カリフのマンスールによって新都に定められた計画都市で、南フランスから中国国境に至る広大なイスラーム帝国の中心にふさわしい都市として、直径およそ2.35キロメートルの正円の城壁が建設された[7][注釈 3]。

バグダード - Wikipedia
中国の明・清時代に建造され、儀式の場であった「圜丘壇(えんきゅうだん)」も、円形の壁に囲まれた構造となっています。

圜丘壇について注目すべき点は、毎年「冬至」に儀式を行っていたという点です。
圜丘壇(muheliyen muhun)[6]
皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所である。毎年冬至に豊作を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行った。
「冬至の儀式」で思い起こされるのが、古代ケルト人の儀式場であったと考えられる「ストーンヘンジ」です。参考:ストーンヘンジは冬至の日没を崇めるために建てられた可能性
古代メソポタミアでも、「冬至」の時期が1年の始まりとされており、冬至前後の12日間は新年の祭が開催されていたということです。
世界最古の文明メソポタミアの新年祭
紀元前3500年前後に栄えたメソポタミア文明では、現在のイラクあたりに住んでいたシュメール人たちが、世界初の暦を作りました。
最も太陽の力が落ちる冬至の時期が一年の始まりとされ、冬至前後の12日間は新年の祭が開催されました。
暗さや寒さが増してくるこの期間は、メソポタミアの主神、太陽の神マルドゥクが混沌から出現する怪物と戦う時季とされていました。
冬至前後に新年を祝う祭を行うことは、その後バビロニアやペルシアの文明にも引き継がれました。
古代中国の暦と冬至節
古代中国でも、冬至は暦を決める上での起点となる重要な節気でした。
紀元前1046~256年の周代には中東の文明と同じく冬至が一年の始まりとされました。漢代(紀元前206~西暦256年)に入り、春(季節の始まり)と一年の始まりが揃う暦に改められましたが、冬至を祝う祭典はいろいろな形で引き継がれ、現在も
「冬至節」
として旧正月を祝う時のように、先祖や神様を祀って厄払いし、一家団らんで宴を楽しむ習慣が残っています。
古代ローマの冬至祭
紀元前の古代ローマでも、冬至祭がありました。
農耕の神を祀り、闇を追い払うための祭となっていました。
人々は仮装したり、晩餐会を開いたり、友人とプレゼント交換をしました。
これらは、後のクリスマスの習慣の素になったと言われています。
北欧のクリスマス「ユール」
ヨーロッパ北部では、ケルト人やゲルマン人による冬至祭が行われていました。
緯度の高い所ほど、日照時間の差は大きくなるので、特に北欧での夏至・冬至祭は、昔からとても盛大なイベントです。
暗くて寒い冬至の時期は、悪霊の力が強まると考えられていましたが、冬至を境に太陽のパワーが復活するとされ、冬至祭はそのことを祝福する宴でした。
この祭は「ユール」と呼ばれ、「ユールログ」と呼ばれる大きな木の幹(巨大な薪)を燃やす火を囲んで、ご馳走を食べ、お酒を飲んで、12日間祝いました。
上記によると、メソポタミア、北欧、古代ローマ、古代中国と、ここまでに見てきた「円形」の壁を持つ建築物が造られている場所の全てにおいて、「冬至」を祝う祭が執り行われてきたことが分かります。
それでは、このような「円形」の建造物と「冬至祭」の起源とは、どこにあるのでしょうか。

アトランティス - Wikipedia
アトランティスの都、アクロポリスが円形の構造となっており、中央に神を祀る神殿があったということです。
中央島のアクロポリスには王宮が置かれていた。王宮の中央には王家の始祖10人が生まれた場所とされるクレイトとポセイドン両神を祀る神殿があり、5年または6年毎に10人の王はポセイドンの神殿に集まって会合を開き、牡牛をいけにえとしてポセイドンに捧げる祭事を行った。
それでは「アトランティス」の語源とは、何なのでしょうか。
「Ατλαντίς(アトランティス)」という語は、ギリシア神話の神、アトラス(Ἀτλας)の女性形・形容詞形であり、字義通りには「アトラスの娘」を意味する[16]。
「アトランティス」とは、「アトラスの娘」を意味するというのです。
百科事典マイペディア 「プレイアデス」の意味・わかりやすい解説
プレイアデス
ギリシア神話のアトラスとプレイオネの7人の娘。すなわち,アルキュオネ,メロペ,ケライノ,エレクトラ,アステロペ,タユゲテ,マイア。狩人オリオンに追いかけられ,鳩となって天に上り,星(プレヤデス星団,和名すばる)となる。
「アトラス」とプレイオネの7人の娘の名が、「プレイアデス=すばる」なのです。
となると、「アトランティス」とは「プレイアデス=すばる」だ、ということになります。
前回の記事で、「メソポタミア=すばる」であり、「シュメール=すばる」なのではないか、と考えました。→「出雲族」とは「シュメール人」であり「すばる人」だったのか。
となると、「アトランティス=シュメール=すばる」である可能性が出てきました。
ここまで見てきた円形の都市国家や、円形の建造物の起源とは「アトランティス」にあるのかも知れません。
それでは、「冬至祭」の起源はどこにあるのでしょうか。
ユール(Yule)とは、キリスト教が伝来する以前の時代から北欧に伝わる古い冬至祭。現在では「クリスマス」の意味で用いられる。
冬至前後の北極圏の国々では、日中でも暗く太陽が沈んだ状態「極夜(きょくや)polar night」が続く。冬至の頃に昇る太陽は非常に神聖で貴重なものとされ、人々は大いに太陽の復活を祝った。これがユール祭の始まりである。
「冬至」前後の北極圏の国々では、日中でも暗く太陽が沈んだ状態「極夜(きょくや)polar night」が続き、冬至の頃に昇る太陽は非常に神聖で貴重なものとされ、人々は大いに太陽の復活を祝った、ということです。
「極夜」とは、太陽が24時間以上地平線上に昇らない期間のことです。
極夜(きょくや、英語: polar night)とは、日中でも薄明か、太陽が沈んだ状態が続く現象のことをいい、厳密には太陽の光が当たる限界緯度である66.6度を超える南極圏や北極圏で起こる現象のことをいう。
それでは、「太陽」が地平線上に昇らない期間である「冬至」が、何故祝うべき期間なのでしょうか。
シャヘル (Shahar) は、カナン神話(英語版)(ウガリット神話)における曙(明けの明星)の神。黄昏(宵の明星)の神シャレム(英語版)[注釈 1]とは対になる神とされる。
イザヤ書の「曙の子ルシフェル」という言葉は、聖書で唯一のルシフェルへの言及であるが、「ヘレル・ベン・サハル(輝ける曙の息子)」というヘブライ語の意訳である。よって、シャヘルはルシフェルの父とも解釈できる[要出典]。しかしバーバラ・ウォーカーの、シャヘルが太陽神に反逆して堕とされ、それがルシフェルの神への反逆の伝説の下敷きになったとする主張[1][注釈 2]が周知され、しばしば両者は同一視される。
シャヘルは日の出とともに、太陽が再生したことを宣言するとされていた。古代のカナン地方では、シャヘル信仰のもとでシャハリート(英語版) (Shaharit) と呼ばれる礼拝が朝に行われていた[2]。
カナン神話では「シャヘル」が曙(あけぼの)の神とされており、聖書では「ルシファー」が曙の子と書かれています。
そのため、「ルシファー」とは曙の神「シャヘル」の子とも考えられます。
一方で、「シャヘル」が太陽神に反逆して堕とされ、それが「ルシフェル」の神への反逆の伝説の下敷きになったとする主張が周知され、「シャヘル」と「ルシファー」が同一視されることとなったというのです。
このため、聖書に書かれている「真の神様」と、「太陽神=太陽」とが同一視されることとなったと考えられます。
「太陽」と「星」の天文現象に、ヒライアカルライジングがあります。
シリウスのヒライアカルライジングとは、「シリウス」があたかも「太陽」を従えて(太陽よりも先に)東の地平線から昇る現象のことであり、「太陽(神様)」よりも先に昇る「シリウス」を崇めることとは、「神様への反逆行為」であると思われるのです。
「神様」に反逆する者にとって、このヒライアカルライジングとは「太陽(神様)」よりも「星」が上位におかれるという観点から、「星信仰」が生まれたのではないか、と考えられるのです。
これらのことから、「太陽」が24時間以上地平線上に昇らない期間の続く「極夜」のある「冬至」の期間とは、神様に反逆する者にとっては「祝う」べき特別な期間とされたのではないでしょうか。
これらのことによって「冬至祭」の起源とは、北極圏に住む民族にあるのではないかと考えました。
「極夜(きょくや)polar night」から思い起こされるのが、「北極星」を意味する「The Polar Star」です。
地球の自転軸を北極側に延長した天球面上の「天の北極」近くにある星を北極星と呼んでいる。日周、あるいは年周においても地球上から見ると星はほとんど動かず、北の空の星は北極星を中心に周りを回転しているように見える。
「地の北極」に近い場所で「極夜 polar night」という現象が起こるのであり、「天の北極」にある星が「北極星 The Polar Star」である訳です。
そのため北極圏で「冬至」を祝う民族とは、「北極星」も尊ぶのではないかと感じました。
ここから、「テングリ教」が思い起こされました。
「テングリ」とは男性神であり、女性神である大地に対応するとのことです。
中国では、この「テングリ」が「北極星」と同一視されているそうです。
北の空の星は、この「北極星」を中心に回りを回転しているように見える、ということから、同心円上の「アトランティス=シュメール=すばる」の都市が思い起こされます。
「冬至祭」から「北極星」に繋がり、「北極星」から「同心円」のアトランティスの都市とが繋がりました。
「アトランティス」の都市とは、この「テングリ教」の思想から造られたのかもしれません。
テングリは、テングリズムの最高神であり、天を象徴します。彼は全ての生命と自然の創造者とされています。
テングリズムは、自然崇拝を中心にしています。山、川、木々など、自然界の全てが神聖視されます。
シャーマンは、テングリズムの宗教儀式を執り行う重要な存在です。彼らは霊界と人間界をつなぐ役割を果たします。
テングリズムの歴史は、何千年も前に遡ります。中央アジアの遊牧民の間で広まりました。
テングリズムは、紀元前3千年紀に起源を持つとされています。これは、非常に古い宗教であることを示しています。
テュルク民族もテングリズムを信仰していました。彼らの文化や伝統に深く根付いています。
火の儀式は、テングリズムの重要な儀式の一つです。火は浄化と再生の象徴とされています。
動物の犠牲も行われます。これは、神々への感謝と祈りを捧げるためのものです。
この「テングリ教」の教理とは、古代ケルトの「ドルイド教」と親和性があり、起源を一つとしている可能性も考えられます。
「冬至」の期間に「極夜」が発生する、北極圏に生息する動物で思い起こされるのが、「トナカイ」です。
そこで騎馬遊牧民とされる「スキタイ」とは、もともとトナカイ遊牧民だったのではないか、という説が思い起こされました。
以前の記事で、騎馬遊牧民の「スキタイ=ケルト人」が中央アジアからシルクロードを西へ進み、ブルガリアなどの黒海周辺から、メソポタミアやエジプト、地中海の島々に文明を築き、カナン(現在のパレスチナ周辺)にも定住し「ペリシテ人」と呼ばれていたのではないか、と考えました。
「スキタイ=ケルト人」がトナカイ遊牧民だったことを前提とすると、筋が通ると思われるのが、「鹿石(しかいし)」です。
鹿石(しかいし、英語: deer stone, stag stone)とは、古代の巨石記念物の一種。様々な刻印が彫られた柱。名前は、飛翔する鹿の模様が主に象られていることに由来する。
世界中で見られるが、特にシベリア、モンゴル圏の遺跡に集中している。中央アジアと南シベリアで900か所以上で発見されている[1]。
概ね、ほとんどの鹿石の彫刻は、石が建てられる前にすでに彫られていた。だがいくつかの鹿石は、設置された位置や方角を意識して彫刻されている気配がみられる[4]。
高さおよそ1〜3m[5]で、ヘレクスルと共に出土することが多い。鹿の他にも、弓矢、盾、ナイフなどの模様が刻まれていることがある。これらの装身具の模様はカラスク文化特有のものである[6]。さらに、鹿の模様は前期スキタイ文化によく見られる動物模様とされ[6]、これらの要素から紀元前10〜6世紀に作られたと推定される[7]。鹿石の周辺には直径2~3メートルのストーンサークルが存在し、そこからはヘレクスル同様に儀式の供物として捧げられたとみられる馬の頭蓋骨、頚椎、蹄が出土している[6]。
まず「鹿石」とは巨石記念物だということ、シベリアやモンゴル圏の遺跡に集中しており、「鹿石」周辺にはストーンサークルも存在している点から、「ケルト文化」との同一性が感じられます。
「鹿石」は「トナカイ石」とも呼ばれており、石に彫られているのはトナカイの角だと思われるのです。
スキタイ遺物に表現された「鹿」のモチーフも、「トナカイ」が造形されていると考えた方がスッキリします。

もう一つスキタイが、トナカイ遊牧民であったことで筋が通るのが、「ケリュネイアの鹿」です。
「ケリュネイアの鹿」とは、ギリシャ神話に登場する鹿だとされていますが、「スキタイ=ケルト人」が中央アジアからメソポタミア、地中海の島々に至ったとすると、「ギリシャ神話」の創作者とは「トナカイ遊牧民」の末裔である可能性もあるのです。
一般的な鹿には、雄にしか角がないのですが、「ケリュネイアの鹿」とは雌鹿であるのに黄金の角を持っているとされています。
ケリュネイアの鹿(ケリュネイアのしか、古代ギリシャ語: Κερυνῖτις ἔλαφος, ラテン文字転写: Elaphus Ceryniti)は、ギリシア神話に登場する巨大な雌鹿。女神アルテミスの聖獣でもある。
黄金の角と青銅の蹄を持っており、矢よりも素早く動くことができたという。
角の生えた雌ジカは当時のギリシアには居なかったが、この話にでてくる雌ジカには角が生えている。これは馴鹿を思わせる(他の鹿と異なりトナカイはメスでも角が生えている)。 そこでイギリスの文学作家ロバート・グレーヴスは、この神話の起源がトナカイのいる北方の古い話ではないかと考えた。
「トナカイ」は雌雄どちらも角を持っており、モンゴル北部では白いトナカイも遊牧されています。参考:タイガのトナカイ遊牧民
「白い鹿」から思い起こされるのが、「モンゴル民族」の起源神話です。
ボルテは「灰白色」、「白色に灰色の斑点のある色」の意。チノアは狼。日本語訳で「蒼き狼」となっているのは、漢語訳を用いているからで、漢語の蒼には黒や白の毛が入り雑じった斑を意味する場合もあるという。
ボルテ・チノアと白き雌鹿が民族の始祖だという。「モンゴル秘史」の伝説では、「上なる天からの定めによってこの世に生まれた灰白色の狼があった。彼の妻は白き雌鹿であった。テンギス(大湖)を渡ってきた。 オノン川のボルハン岳に住んだ」とある。
「鹿(しか)」の語源とは、スキタイであるサカ族の「サカ」だそうです。
元々、シュメール語で【サング】とは僧をいみする言葉で、インド語では仏僧の集団を【サンガ】といい、これが日本で【鹿】【坂】となり、坂の者・サンカの語源となる。
【鹿】がサカ族の【サカ】からきた言葉であることは既に学界でも認められている。
「サカ」と「鹿(しか)」が同一語源であるならば、やはり「スキタイ」と「トナカイ」とは切っても切れない関係なのではないでしょうか。
「ムー大陸」でも「鹿(しか)」が重要視されており、「鹿」が地球最初の人間の象徴とされているのです。参考:『失われたムー大陸』ジェームズ・チャーチワード著,大陸書房,1982,p.28
「スキタイ人」は、自身のことを「アスカ」と称していたそうです。
騎馬民族のスキタイ人といつ呼称はギリシア人によるあだ名で、スキタイ人自身は、エシュク、アシュク、アスカ、アスクなどと自称していました。これらはいずれも「人」を意味します。スキタイ人も他の騎馬民族同様にミトラ教を信仰しています。スキタイ人が言う「アシュク」からシナ人は「安息」という字をあてました。スキタイ人の強盛国家であったのがパルティアで、シナ人は安息国と呼称しました。このパルティアは、世界史での扱いは小さい国ですが、ペルシャ、メソポタミアの一部、中央アジアの一部を押さえて大帝国で、様々な影響を周囲に与えました。
この騎馬民族の自称「アスカ」を蘇我氏が日本に持ち込み飛鳥となります。
この騎馬民族「スキタイ」の自称である「アスカ」を、「蘇我氏」が日本に持ち込んだということです。
そのため「蘇我氏」が、日本に「冬至祭」や「テングリ教」、「北極星信仰」などを持ち込んだ可能性も考えられます。
しかしながら、「冬至祭」の根源が「神様への反逆行為」にあると考えられる以上、「テングリ教」や「北極星信仰」とは、真の神様ではない「サタン(悪魔)」や「悪霊」を呼び求め、祈りを捧げている宗教に過ぎません。
愛のない人から助けを得られても、後で何をされるか分からないから、真に愛に満ちた神様だけを呼び、神様から助けを得なければならない。
真の「神様」以外に助けを求める行為とは、非常に危険な行為であり、私たちはただひたすら愛のかたまりである「神様」を呼び、助けを求めなければならないことを、「RAPTさん」は教えてくださっています。
神様以外の霊を呼ぶ宗教は、すべてこの世に霊的な害をもたらす。だから、私たちが彼らの滅びを祈り、天地を創造した神様を呼んで、この世を聖霊で満たしていかなければならない。
私たちの霊魂は常に世の諸霊たちから害を受けて生きている。しかし、私たちが神様を呼んで生きるなら、それらの害から守られ、天国のような生が生きられる。
神様を絶えず呼びなさい。神様を呼ぶ人のところに神様が来てくださる。
どうか「神様」以外の霊を呼ぶ宗教が、一刻も早く滅び去りますように、全人類が真の「神様」のことを心から信じ、「神様」を呼んで、「神様」が共にしてくださる「幸福」な人生を歩むことができますように、心からお祈りしています。
祈りは霊を呼ぶ行為だ。真理が充満していない状態で祈るなら、聖霊とは別の霊が来るし、真理が充満した状態で祈るなら、聖霊が来る。
先ずは神様を呼び求めなさい。そうすれば、神様が私たちを愛してくださる。そしてどんな人間も、一度受けた愛は失いたくないから、神様から愛された分、自ずと神様を愛したくなるものだ。
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