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カップ酒で、視線を買っている


お酒が好きだ。

ビールは味で選ぶ。苦み、軽さ、気分。

けれど、カップ酒だけは、わけが違う。
私はこれを、完全に「ジャケ買い」している。

「こんなに素敵な瓶が売り物でいいの?」と、
驚くようなデザインに出会うことがある。

だから、旅先でもっとも心躍るのは、
新幹線の駅のコンビニだったりする。

少しの緊張とともに、棚の奥をのぞき込む。
「こんな子が待っていたのか」
そう確信した瞬間、味の想像なんて飛び越えて、私はカップをかごに入れる。

どこでも買える全国流通品しか並んでいない棚を見ると、出会いを奪われたようで少し腹が立つ。
カップ酒は、私にとって「出会い」そのものだ。


くまモンカップは、迷わず衝動買い。
From山口。松陰先生の裏には高杉晋作。熱い。
唐津くんちの曳山。全14番。
あえて大人買いはしない。ただ、ホテルに
1つ置いてきてしまったのが、未だに悔しい。


出会いに任せて手元に招く。
くまモンの愛嬌も、晋作の志も、置き忘れてきた曳山への未練も。すべてが混ざり合って、私の棚は賑やかだ。

┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈


味わったあとの、空のカップ。
それは役目を終えたはずの器なのに、暮らしの中で、もう一度居場所を持ちはじめる。
再びお酒を注ぐ器になり、ときには子どもが面白がって手に取ることもある。

棚に並んで出番を待つ日もあれば、いつのまにかペン立てやしゃもじ立てになって、当たり前のように日常に溶け込んでいく。

台所の片隅で、静かにこちらを伺う視線。
鬼太郎たちのいる景色は、なんだか心強くて、
少し可笑しい。
炊飯コーナーには、子泣きじしい。
背負えば重いはずなのに、
見ていると、こちらの肩が軽くなる。
鶴の姿に目が止まり、いま台所のツール立てに。
娘が愛用しているペン立て。



私は、お酒を選んでいるのではない。
その奥にある“気配”を選んでいる。

ラベルに描かれたお祭りや人物、小さく記された土地の名。その向こうにある誰かの暮らしの空気。旅先の棚で、それに出会う。

家に連れ帰った瞬間、その気配は私の時間と重なりはじめる。あのとき確かに感じたものが、暮らしのなかで、静かに残る。

手ぬぐいの柄も。海で拾う陶片の欠片も。
気づけばどれも、私の時間に溶け込んでいる。


惹かれるのはいつも、目の前にありながら、その奥に時間が重なっているものだった。

集めているつもりはない。ただ、目に留まったものを手元に置いてきただけ。
けれど、あとから思えば、そのどれもが、消えずに続いてきた時間の中にあった。


その感覚に、はじめて輪郭が与えられた日がある。
壱岐で、静かに続いている暮らしに触れたとき。そしてもう一つ、東郷青児の描く横顔を、何度見返しても色褪せなかったとき。

惹かれてきたのは、その“途切れなさ”だったのかもしれない。


東郷青児の横顔に、私が見ていたもの
◯ 私の収集と「まなざし」の原点


壱岐で触れた、途切れていない時間
◯ 私のまなざしが、風景に返された日


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