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日曜にありがとうを言えなかったわたしの「時差式父の日」

朝から雨が降り続いていた。

今日も今日とて、やることは山積み。

でも、最近は
「休日はちゃんと体をやすめたい」欲
が高まっている。

わずかな副業と、収益化できていないけど好きで書いているもの。
そして、ストック収入につなげたい電子書籍の執筆。

これらを本業がある日に全部完璧にやるのは、正直しんどい。
そうなると、ある程度まとまった時間をかけられるのは、やはり休日しかない。
それに、つい先日もふらついちゃったし。

でも。

調子があまり良くない母のことが気になる。
とりあえず、なんとか娘を装うための「父の日」ギフトもある。

しかも、今日帰省しなければ、
それはずっと我が家のクローゼットの隅に居座り続ける。

短時間でもいいから、とにかく帰ろう!

そう決めて、午後になっても降り続く雨の中、
実家へと急いだ。

家につくと、父の車がない。
当然家の中は真っ暗で……いやな予感がした。

ほどなくして、玄関先に話声がする。
デイケアのスタッフの方が、
母を支えて送り届けてくれるところだった。
(あ……よかった、病院に行ってたんじゃなかった)

「あら!帰ってみえたんですね」
「いつもお世話になっております」

挨拶をかわし、荷物を受け取る。

「あなた、よかった。日曜日……来ないから」
ほっとしたような母の顔があった。

父の日当日、わたし以外の兄弟たちで食事会をしていた。
わたしには、決まって前日の夜に「どうする?」の連絡。

折り合いの悪い長兄夫婦の策略だ。

そんなことはどうでもいい。
ただ、遅れた父へのわいろを、とりあえず仏壇の前に置く。

右上に視線をやると、祖父の遺影がほほ笑んで見えた。

「よー帰ってきたね。
嫌でもちゃんと来た。えらかぞ!」

そんな声が聞こえてきそうだった。

おじいちゃんっ子だったわたし。
そして、わたしが16歳の父の日の早朝……
祖父は旅だった。

前立腺がんから大腸がん。
最後は肺に転移して。
「生き仏みたいな人が、なんでこんな目に!」
母がそう言って泣いていたのをはっきりと覚えている。

そんな祖父のために、大好きだったビスケットを供えた。
(お母さんが苦しまないように、見守っていてね)

そう言って手を合わせた。

母を腰掛けさせ、話しながら台所を片付けた。
(リミット……あと1時間!)

迷ったが、夕飯の支度だけは済ませよう。

母は、気持ちが落ちると、料理欲を失うようになってきた。
そして
「なんにもしたくない」
そう思う自分を、また責め始める。

そうさせないよう、ちゃっちゃとやってしまおう。

茄子とピーマンの辛みそ炒め。
塩麴に付け込んだ鶏むね肉の酒蒸し。
トマトとレタスのスープ。

冷蔵庫にあるもので適当に作り、母を見る。
「座ってるうちに、夜の食べ物ができたね」
弱弱しく笑っていた。

「このあと、オンラインの講義に出るから」
と、帰ろうとした。

その時、

出かけていた父の車の音がした。

(どうしよう……)

迷ったが、とりあえず顔だけは見ていくことにした。

「日曜日、人が少なくて仕事やすめないし。
急に言われても調整できないから……」

食事会、来れなくてごめん!より先に言い訳を始めた。

わが家の関係性はこういうところに現れる。

父も
「おお」
としか答えない。

でも、それでいいんだと思った。

感謝しています。
心配しています。
元気でいてほしいです。
遅くなってごめんなさい。

そんな言葉は伝えられなかったけど。

母が
「おとうさん、この子いろいろ買ってきてくれたのよ?
仏様の前に置いてるから!」
と、助け船を出してくれた。

ちゃんとした親孝行がなんなのか、わからない。
それでも、
クローゼットの隅で眠っていたギフトを、父の手元に渡せた。

今回は、それでよしとする。


父の日の夜、残業おわりのわたしがやっていたことはこれ👇


思うように育たなかった大きな娘による
「時差式父の日」の儀。

これにて終了。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます✨



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