【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第二十二話
午前七時。カインは朝食を載せたプレートを片手に、レイラの部屋の扉をノックする。返事はなかったが、昨晩とは違い扉の鍵は開いていた。
「お嬢様、失礼いたします」
部屋に入ると、レイラは昨日着ていた黒いワンピースのまま、例の『本』を抱きしめてベッドの上に蹲っている。
「どうかなさいましたか。どこか具合が悪いですか」
カインは朝食のプレートをベッドのサイドテーブルに置くと、レイラの額に手を当てる。ひやりと冷たい指先を感じると、レイラは睫毛を伏せていた瞼を開き、二つの瞳を彼に向けた。
「ねえ、カイン。私は死神なの?」
「何をおっしゃるのです」
「この屋敷では、時々不思議なことが起こるのよ。私はここが好きだけど、今日も何かが消えた気がするわ。昨日、アメリアが階段から落ちてしまったように、きっと私がいると誰かが死んでしまうの。乳母も家庭教師も、……ママも。私の側にいる人は、皆不幸になるんだわ」
「アメリアは死んでいないどころか、怪我ひとつしていませんよ。私もこうして朝食を届けに来たではないですか」
「そんなの、今日が大丈夫でも、その時が来るのは明日かもしれないわ」
珍しくこちらを見つめるレイラの瞳に星が見えない。カインは心臓の奥にちくりと痛みを感じた。
「お嬢様は、なぜ私に『どんな最後を迎えたいか』と聞かれるのですか」
「どんな物語にも、必ず最後があるからよ。物語の中だけでも、最後を選ぶことができたら何か意味があるかもしれないと、ほんの少し思うだけ。ママは私を産んで間もなく死んでしまったの。ママは、本当はどんな最後を迎えたかったのかしら。ここへ来た人たちも、私と会わずにいれば望む最後を迎えられたかもしれないのに」
「お嬢様のせいではありませんよ」
「そうかしら。カインだって、きっとすぐに私の前からいなくなるわ」
レイラは再び睫毛を伏せる。
「私がいなくなったら、お嬢様は寂しいと思いますか?」
「……前にも私に『寂しくはないのか』って聞いたわね。でも、私には分からないの。寂しいって、何なの?」
「それが何なのか、私もそのような気持ちを正確には思い出せませんが、きっと誰にでもありうるものではないでしょうか。それは誰にも見られたくないと思う……、仮面を被ってでも隠したいと思う気持ちなのかもしれません。それに触れると、思い出したくないことまで思い出されてしまうから、失ったものの大きさを、自分の無力さを痛いほど感じてしまうから、大切なものと一緒に『寂しさ』を隠してしまうのかもしれません。けれど、長い時間それを続けていると、大切なものが何だったのか、それを心のどこに沈めたのか、いつの間にか忘れてしまうのです」
「……私にはそんなものはないわ。誰と会うこともないもの」
レイラはふいっと背中を向けて、手繰り寄せたブランケットを頭の上まで被ってしまった。
「お嬢様は、本当は誰かに会いに来てほしかったのではないですか」
「そんなこと思ってないわ。カインがこの部屋に来なくなったとしても、今までと同じ。私はずっと一人だもの」
「では、なぜそんな風に布団に潜り込まれているのです」
カインがブランケット上からレイラの肩に触れると、小さく震えている。彼女が「別れ」の意味を知らないと思っていたのは間違いだった、とカインは内心で呟く。
「もし、私がこれからもお嬢様の側にいたいと言ったら、迷惑ですか」
ふと、普段は口にしない言葉が勝手に零れた。柄にもないことを言っているとカインも自覚していたが、小さなその肩を、痩せたその背中を、なぜか放っておくことができない。妹の亡霊を見た日から、つい妹の姿を重ねてしまう。
「カインは……、私と離れると寂しいと思うの?」
「どうでしょう……。私も『寂しい』と思う気持ちを、遠い昔、どこかに忘れてしまったのです。けれど、もし今離れてしまったら、とても後悔するような気がします」
「なぜ……?」
「私もなぜかは分かりませんが、お嬢様が一人で大きなものを抱えているのではと思うと、恐ろしく胸が苦しくなるのです」
レイラは振り返り、ブランケットから頭だけを出してカインを見据えた。潤んだ闇夜色の瞳には、いくつか光が蘇る。
「それは、どういうこと? カインは、私と離れることが『寂しい』と思うの?」
「うまく言葉にできませんが……、お嬢様の手に触れたいと思っているとしたら、それは迷惑でしょうか」
なぜこんなことを言っているのか、カインは自分でも分からない。だが、呪いを解くためにレイラに取り入ろうとしたわけではなく、本心から出た言葉だった。どこからか湧いた、苦く、甘い何かが、血液に混ざって身体中を流れてゆく。レイラの瞳の中で星が瞬くたびに胸が締め付けられた。
「お嬢様が認めてくださらなければ、私はクビです」
右手の手袋を外し、ブランケットの端から覗いたレイラの青白い左手に、カインは手のひらを重ねる。レイラの手は思いの外温かく、カインと同じ速度で脈を打っていた。
(第二十三話へ続く)
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