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ウサーマ・ビン・ラディン
ウサーマ・ビン・ラディン( 1957–2011 )は、国際テロ組織 アルカイダ を創設した人物であり、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ を中心とする一連のテロ活動を通じて、21世紀初頭の国際政治と安全保障を大きく変えた人物である。
その背景には、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻、1980年代のアフガニスタン紛争、湾岸戦争、アメリカ軍のサウジアラビア駐留、そして1990年代に形成された国境を越える武装ネットワークが存在した。
ビンラディン を辿ることは、9.11 そのものだけでなく、なぜアフガニスタンが21世紀最初の大規模な戦争の舞台となったのかを理解につながる。
サウジアラビアでの生い立ち
1957年、ビンラディン はサウジアラビアのリヤドに生まれた。
父ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラディンは建設事業で巨大な企業グループを築いた人物であり、ビンラディン 自身も裕福な環境で育ち、サウジアラビアで教育を受けた。
人生を大きく変えたのが、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻だった。
Soviet–Afghan War
ソ連軍の侵攻後、アフガニスタン ではイスラム系武装勢力ムジャヒディンによる抵抗運動が拡大、ビンラディン は パキスタン と アフガニスタン を往来し、資金提供や施設建設、外国人義勇兵の支援などに関与するようになる。
この戦争では、アメリカ、パキスタン、サウジアラビア などもソ連と戦う アフガニスタン 側勢力を支援した。
ただし、後に形成される アルカイダ をアメリカが直接組織・育成したわけではなく、アメリカの主要な支援はパキスタンの情報機関などを経由して アフガニスタン の ムジャヒディン勢力 へ向けられていた。
1989年、ソ連軍は アフガニスタン から撤退、この戦争を通じて形成された国際的な人脈と武装闘争の経験は、その後も残った。
al-Qaeda
1988年前後、ビンラディン らは al-Qaeda( アルカイダ )を形成した。
名称はアラビア語で「 基地 」「 基盤 」を意味する。
アルカイダ は単一国家の軍隊ではなく、国境を越えて活動する武装組織として発展していった。
特定の領土を統治する国家そのものを持たない組織が、複数の国にネットワークを形成し、世界規模で攻撃を実行する、後の「 War on Terror 」を理解するうえで、この非国家主体という特徴は重要になる。
1990年、サッダーム・フセイン 率いるイラク軍がクウェートへ侵攻した。
イラク軍の脅威に対抗するため、サウジアラビア はアメリカ軍を中心とする外国軍の駐留を受け入れた。
ビンラディン は、イスラム教の聖地メッカとメディナを抱える サウジアラビア にアメリカ軍が駐留することへ強く反発した。
サウジ政府との関係は悪化し、1990年代には国外へ移動する。
その後、アメリカとその同盟国を攻撃対象とする姿勢を明確にしていった。
1990年代のテロ活動
アルカイダ は1990年代を通じて国際的な活動を拡大した。
1998年8月、ケニアのナイロビとタンザニアのダルエスサラームにあるアメリカ大使館がほぼ同時に爆破され、多数の人々が死亡した。
2000年10月には、イエメンのアデン港でアメリカ海軍駆逐艦 USS Cole が自爆攻撃を受け、17人の米海軍兵が死亡した。
この時点ですでに ビンラディン と アルカイダ は、アメリカにとって重大なテロ脅威として認識されていた。
Talibanとアフガニスタン
1996年、ビンラディン は アフガニスタン へ戻った。
当時、アフガニスタン では内戦が続き、その中から Taliban( タリバン )が勢力を拡大、タリバン は首都カブールを掌握し、アフガニスタンの大部分を支配する政権を成立させた。
最高指導者 ムハンマド・オマル の下で、ビンラディン と アルカイダ は アフガニスタン を活動拠点として利用した。
この関係が、後の アフガニスタン戦争 へ直接つながることになる。
September 11, 2001
2001年9月11日、アルカイダ の実行犯19人がアメリカ国内線4機をハイジャック、2機はニューヨークのWorld Trade Centerへ突入、1機はワシントン近郊のPentagonへ突入した。
残るUnited Airlines Flight 93は、乗客らがハイジャック犯へ抵抗した後、ペンシルベニア州に墜落、約3,000人が死亡した。
9.11 はアメリカ本土に対する史上最大規模のテロ攻撃となり、そして世界の安全保障政策を大きく変えることになる。
War on Terror
9.11 後、ジョージ・W・ブッシュ大統領 は War on Terror( テロとの戦い )を掲げ、アメリカ政府は タリバン政権 に対し、ビンラディン ら アルカイダ 指導部の引き渡しとテロ組織の活動基盤の閉鎖を要求した。
交渉は成立せず、2001年10月、アメリカと同盟国は アフガニスタン で軍事作戦を開始した。
タリバン政権 は短期間で主要都市から撤退したが、ビンラディン を含む アルカイダ 指導部の一部は逃亡した。
世界を変えた連鎖
9.11 への対応は アフガニスタン だけに留まらなかった。
各国でテロ対策が強化され、空港保安、情報機関の活動、金融監視、国境管理などが大きく変化した。
アメリカでは Patriot Act が成立し、安全保障と監視権限が拡大した。
さらに ブッシュ政権 は対テロ戦争を世界規模へ拡大し、2003年には イラク戦争 が始まった。
ただし、9.11 を実行した アルカイダ と サッダーム・フセイン政権 との間に、9.11 攻撃を共同で実行した関係を示す証拠は確認されていない。
9.11 とイラク戦争は、同じ出来事ではない。
この区別は、21世紀初頭の歴史を理解するうえで重要である。
Abbottabad
ビンラディン は アフガニスタン から逃亡した後、長期間所在不明となり、アメリカの情報機関は追跡を続け、最終的にパキスタン北部アボッターバードの邸宅を特定した。
2011年5月2日、アメリカ海軍特殊部隊が作戦を実施、ビンラディン は作戦中に死亡、9.11 から約10年が経過していたが、ビンラディン の死によって アルカイダ や国際的な武装組織の問題が消滅したわけではなかった。
その後の世界
アルカイダ は指導者を失った後も活動を継続した。
一方、中東ではイラク戦争後の混乱やシリア内戦などを背景として、後にISISが急速に勢力を拡大、アフガニスタン では戦争がさらに続き、2021年、アメリカ軍は撤退した。
その直後、タリバン は再び アフガニスタン 全土の支配を確立、2001年に始まった戦争から20年後のことだった。
歴史的意義
ビンラディン は国家元首ではなければ、巨大な軍隊を保有していたわけでもないにも関わらず、彼が率いた非国家組織による攻撃は、世界最大級の軍事力を持つアメリカの国家戦略を変えた。
9.11 以降、アフガニスタン戦争、世界規模の対テロ作戦、安全保障制度の再編、監視体制の強化、そして中東への長期的な軍事関与が続いた。
ビンラディン の歴史を見る意味は、国家を持たない小さな組織であっても、その行動が世界規模の反応を引き起こし、歴史の方向を変えることがある。
9.11 以後の世界を理解するために、避けて通ることのできない人物である。

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