MVP ARCHIVE HISTORY | Normandy Landings (1944) / ノルマンディー上陸作戦 - 西ヨーロッパに再び大規模な戦線が開かれた日

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ノルマンディー上陸作戦 - 西ヨーロッパに再び大規模な戦線が開かれた日
1944年6月6日、イギリス海峡を越えた連合軍が、フランス北西部ノルマンディーの海岸へ上陸、後に「 D-Day 」として知られるこの日は、ヨーロッパ西部に大規模な連合軍地上部隊が進出した日の始まりとなった。
海を渡ったのは兵士含め、艦船、航空機、車両、燃料、弾薬、食料、医療物資、海峡の向こうで戦争を継続するために必要な巨大な人員と物資である。
ノルマンディー上陸 は、一日の戦闘だけで完結する作戦ではなかった。
その先にはフランスの解放、西側連合軍によるドイツへの進撃、そして東から進撃するソビエト軍があった。
第二次世界大戦末期のヨーロッパを形作った、大きな転換点の一つである。
西ヨーロッパから撤退した連合軍
1940年5月、ドイツ軍はフランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクへ侵攻、連合軍は後退し、イギリス軍を中心とする多数の兵士がダンケルクからイギリスへ撤退した。
同年6月、フランスはドイツとの休戦協定に署名、その後、ドイツはフランス北部と西部を占領した。
イギリスは戦争を継続したが、ヨーロッパ西部にはドイツ軍と戦う大規模な連合軍地上戦線が存在しない状態となった。
1941年6月、ドイツはソビエト連邦へ侵攻した。
ヨーロッパの大規模な地上戦の中心は東部戦線へ移った。
1941年12月には日本による真珠湾攻撃を受け、アメリカも第二次世界大戦へ参戦、アメリカとイギリスは北アフリカ、続いてイタリアで作戦を進めた。
一方、西ヨーロッパへ大規模な部隊を送り込むためには、イギリス海峡を越え、ドイツ占領下の地域へ上陸する必要があった。
Operation Overlord
西ヨーロッパへの連合軍進攻計画は、Operation Overlordと名付けられた。
上陸地点にはフランス北西部のノルマンディー地方が選ばれた。
海峡の最短距離に位置する Pas-de-Calais ではなく、ノルマンディー への上陸が計画された。
連合軍はイギリス国内に大量の兵員、車両、航空機、艦船、物資を集積し、作戦にはアメリカ、イギリス、カナダを中心に、自由フランス、ポーランド、ノルウェー、オランダ、ベルギー、チェコスロバキアなど複数の国の人員が参加した。
海上輸送だけでなく、航空攻撃、空挺部隊、機雷掃海、補給、医療、通信など、多数の機能が同時に動いた。
1944年6月6日 ― D-Day
夜間から空挺部隊が ノルマンディー 内陸部へ降下、夜明けとともに海上から大規模な上陸が始まった。
アメリカ軍はUtahとOmaha、イギリス軍はGoldとSword、カナダ軍はJunoを中心に上陸した。
6月6日のうちに約15万6,000人の連合軍兵士が ノルマンディー へ上陸した。
作戦には数千隻規模の艦艇・上陸用舟艇と、多数の航空機が投入され、史上最大規模の水陸両用作戦となった。
D-Day 当日、連合軍には死傷者・行方不明者を含む多数の人的損失が発生、ドイツ軍にも多数の死傷者が出た。
海岸から、その先へ
兵士だけでなく、戦闘を続けるための膨大な物資を海峡の向こう側へ送り続ける必要があったため、連合軍は海岸から内陸へ進み、各上陸地域を接続して橋頭堡を拡大、ノルマンディー では激しい戦闘が続いた。
港湾施設の確保までの補給を支えるため、連合軍は人工港 Mulberry Harbourを設置、イギリスから海峡を越えて燃料を送るPLUTO( Pipe-Lines Under The Ocean )計画も進められた。
同じ時期、東では
ドイツは1941年以来、東部戦線でソビエト連邦と大規模な戦争を続けており、スターリングラードでの戦闘、クルスクの戦いなどを経て、1944年にはソビエト軍が西へ進撃していた。
ノルマンディー 上陸から16日後の6月22日、ソビエト軍は東部戦線でOperation Bagration を開始、ドイツ中央軍集団は大きな損害を受け、ソビエト軍は東ヨーロッパ方向へ前進した。
西では ノルマンディー から連合軍が進出し、東ではソビエト軍が西へ進み、1944年夏、ドイツはヨーロッパの東西双方から大規模な軍事的圧力を受ける状態となった。
フランス解放へ
ノルマンディー に確保された橋頭堡から、連合軍はフランス各地へ進撃し、1944年8月にはパリが解放された。
西側連合軍はベルギー、オランダ方面へ進み、ドイツ国境へ接近した。
一方、ソビエト軍も東ヨーロッパを西へ進んだ。
1945年に入ると、西側連合軍はライン川を越え、ドイツ国内へ進撃した。
東からはソビエト軍がベルリンへ向かい、1945年4月、ソビエト軍はベルリンへの攻撃を開始した。
4月25日には、アメリカ軍とソビエト軍がドイツのエルベ川沿いのトルガウ付近で接触した。
5月、ドイツは無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争は終結した。
戦争の終わりと、その後
ナチス・ドイツの敗北後、ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四か国による占領地域に分割され、ベルリンも西側にはアメリカ、イギリス、フランス、東側にはソビエト連邦に分割された。
第二次世界大戦 中には同じ連合国としてドイツと戦った国々だった。
しかし戦争終結後、政治・経済体制の違いを背景に関係は変化していった。
1949年、西側占領地域にはドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立、ソビエト占領地域にはドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立した。
ヨーロッパは新しい東西対立の時代、Cold War(冷戦)へ入っていく。
ノルマンディーが残したもの
1944年6月6日に始まった ノルマンディー 上陸は、史上最大規模の水陸両用作戦となった。
1940年以来、ドイツ占領下にあった西ヨーロッパへ大規模な連合軍地上部隊が進出、そこから橋頭堡が形成され、フランス解放、西側からのドイツ進攻へつながった。
同じ時期、東部戦線ではソビエト軍が西へ進行、ドイツの敗北後、東西から進撃した連合国は、それぞれヨーロッパの異なる地域に存在していた。
戦争の終わりは、そのまま一つの世界へ戻ることを意味しなかった。
第二次世界大戦 が終わろうとするその過程で、戦後ヨーロッパを形作る新しい境界も現れ始めていた。

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