MVP ARCHIVE HISTORY|Energy : Nuclear Energy 02 : Nuclear Fission / 核分裂の発見


核分裂の発見
1938年、ドイツのベルリンにあるカイザー・ヴィルヘルム化学研究所では、原子核に中性子を照射する実験が続けられていた。
実験を行っていた、化学者 オットー・ハーン と フリッツ・シュトラスマン は、ウランに中性子を照射した後に生じる物質を詳しく分析していた。
当時、多くの研究者は、ウランよりも重い新しい元素がつくられる可能性を考えていた。
しかし、実験結果はその予想と一致しなかった。
検出されたのは、ウランよりもはるかに軽い元素であるバリウムだった。
予想されていなかった結果
ウランの原子核は、当時知られていた中でも特に重い原子核だった。
そのウランから、質量が大きく異なるバリウムが生じたという結果は、従来の原子核の理解では簡単に説明できなかった。
ハーンとシュトラスマンは、慎重に実験を繰り返した。
化学分析の誤りである可能性を検討し、それでも結果が変わらないことを確認した。
1938年12月、二人は実験結果を論文として報告、ただし、この時点では、原子核そのものが分裂したとは明確に結論づけられていなかった。
観測された事実は示されたが、その現象が何を意味するのかは、まだ分かっていなかった。
リーゼ・マイトナー
ナチス・ドイツによる迫害を逃れ、1938年にスウェーデンへ亡命していた長年の共同研究者の物理学者 リーゼ・マイトナー に、オットー・ハーンは手紙で実験結果を伝えた。
マイトナー は、甥で物理学者の オットー・ロベルト・フリッシュ とともに、その結果について考え、ウランの原子核が一つのまま変化したのではなく、二つの比較的軽い原子核へ分かれたと考えた。
原子核が変形し、引き伸ばされ、最終的に二つへ分裂する。
この解釈によって、バリウムが生じた理由を説明することができた。
Nuclear Fission
マイトナーとフリッシュは、原子核が二つに分かれる現象を、生物の細胞分裂になぞらえて「 Nuclear Fission 」と表現され、日本語では「 核分裂 」と呼ばれる。
フリッシュは実験によって、核分裂 の際に大きなエネルギーが放出されることを確認し、 アインシュタイン の質量とエネルギーの関係を用いて、このエネルギーを説明した。
分裂前と分裂後では、原子核を構成する物質の質量にわずかな差が生じる。
そのわずかな質量が、大きなエネルギーへ変換されていた。


連鎖反応の可能性
ウラン原子核が 核分裂 すると、エネルギーだけでなく複数の中性子も放出され、その中性子が別のウラン原子核に衝突すれば、さらに 核分裂 が起こる可能性がある。
一つの 核分裂 が、次の 核分裂 を引き起こす反応が連続して広がる現象が、核分裂 の連鎖反応である。
1939年には、世界各地の研究者が 核分裂 を確認し、そのエネルギー利用の可能性について研究を始めた。
原子核内部に存在するエネルギーを、人間が取り出せる可能性が現実のものとなった。
戦争へ向かう研究
核分裂 が発見された時代、ヨーロッパでは ナチス・ドイツ が勢力を拡大し、第二次世界大戦 が始まろうとしていた。
科学者たちは、核分裂 の連鎖反応を利用すれば、これまでにない威力を持つ兵器がつくられる可能性に気づいた。
核分裂 研究は、純粋な科学研究から軍事研究へと急速に接続されていった。
アメリカでは マンハッタン計画 が開始され、1945年には世界で初めて核兵器が使用された。核分裂の発見から、わずか数年後のことだった。
原子力利用の始まり
核分裂 は兵器だけでなく、エネルギー源としても研究された。
核分裂 の連鎖反応を制御することで、継続的に熱を取り出すことができる。
この熱を利用して蒸気をつくり、タービンを回す仕組みが原子力発電へとつながった。
また、研究炉では放射性同位体の生成や、物質の分析、医学研究などにも利用されるようになった。
核分裂 は、戦争、エネルギー、医学、産業を通じて、20世紀の社会を大きく変えていった。
発見の意味
核分裂 の発見は、一つの理論から直接導かれたものではなかった。
始まりは、実験結果と予想の間に生じた不一致だった。
ウランを照射したにもかかわらず、バリウムが検出された。
ハーンとシュトラスマンは、その結果を化学分析によって確認した。
マイトナーとフリッシュは、その観測事実に物理的な意味を与えた。
実験と理論、化学と物理学。
複数の研究者による異なる視点が結びついたことで、核分裂 という現象は理解されていった。
核分裂 の発見は、原子核の内部に蓄えられた巨大なエネルギーを明らかにあすると同時に、科学的発見が社会へ及ぼす影響の大きさを、人類に突きつけることになった。

