【BL小説】返事の要らない手紙ー第5章ー朝凪 誠Sideー
ー紫の書簡シリーズ5話目(朝凪 誠 /Makoto Asanagi Side)
■Monologe
これは、全身全霊を込めて書いたくせに
結局渡せなかった、そして渡すことに決めた手紙の話
____Makoto Asanagi 朝凪 誠
|第5章 送らない、そして、送った手紙
ふと、涼やかな風に額を撫でられた気がした。日中はあんなに暖かかったのに、初夏の夕暮れはは案外キリッとした涼やかさを運んでくる。部屋は沈みゆく陽の光を受けて赤く染まりはじめていた。きっと反対の方角の空はもうすっかり紫に染まって、もうすぐ穏やかに夜が始まるのを待っているんだろう。少し肌寒い。
俺は、机の上に積まれた便箋の束を、ギュッと掴んだ。それは、藤守に宛てて書いたはずの手紙だった。数日かけて思いのままに書き連ねたそれは、俺が思ったよりもずいぶん長くなってしまった。書いている間は、書いても書いても終わりが見えないほどだった。灯りの下で揺れる紙束の厚みが、重たくて固い。思わずため息をついてしまう。
「…………いや、どう考えてもおかしいだろ、これ。」
不意に笑いがこぼれた。
声に出して自分にツッコミを入れたのは、何日ぶりだったか。
「封筒に入るかよ、こんなの。……バカじゃん、俺。」
「ていうか書いてるときに気付けって。便箋使ってる意味ねぇし。もはや小説だろ、この厚み。誰が読むんだよこんなの。」
ひとりごとの合間に、じわじわと恥ずかしさがこみ上げてくる。 気づいた瞬間、なぜか笑いが止まらなくなって、 膝の上で背中を折って、肩を震わせながら爆笑した。笑い疲れて、椅子の背にもたれたまま、天井を見上げた。遠くでカラスが間抜けな声で鳴いている。
「……ほんと、俺ってばさ。」
声には、どこか呆れと、少しの愛しさが混じっていた。
これだけの想いを、言葉にして、書き切ったこと____
今になって、どうしようもなく滑稽で、どうしようもなく、愛おしい。
「それでも書かずにいられなかったんだよな。」
恋が終わって、時間が経って、それでも胸のどこかがずっと騒がしくて、
その音を静かにするために、俺は一心不乱に書き続けてた。
届かなくてもいいって思ってたくせに、あわよくば届いてしまえばいいとも思ってた。
そんな自分の未練が、このずっしりとした厚みにはっきりと出ている。
「……出せるかって、こんなの。読まれたらドン引きの奴だ。」
もう一度、束ねた便箋を見て、肩をすくめた。机の引き出しを開けて、丁寧に、それらを重ねて入れた。 鍵も何もかけない。 そのまま、静かに閉じるだけ。
「綴流にこれ、見つかったら笑われるな。黒歴史決定。あっぶねー。」
それでも、しまわずにはいられなかった。
言えなかった“全部”が、そこにあったから。
____パタン
引き出しを閉じる音が、部屋の空気を少し変えた。
あれだけ言葉を綴っても、 最後には“しまいこむ”という選択肢しか取れなかった。でもそれで、少しだけ胸の奥が軽くなった気がする。
俺は、ハガキくらいの大きさの細目地アルシュ紙片を一枚だけ取り出して、新しく何も書かれていないそのやわらかい白い余白と向き合った。インク瓶のふたを開けると、微かに香る鉄と紙の匂い。万年筆をそっと走らせる。今度は、たった数行だけ。
藤守 綴流 様
今年も藤が咲いていました。
君が元気でいてくれたら、それだけで充分です。
朝凪 誠
____次の朝、俺はあの藤の花を古いポロライドカメラで撮った。
その一枚の写真と昨日書いた短い手紙を封筒に入れ、糊を閉じた。迷いも、震えもなかった。ごく自然に宛名を書いて、切手を貼る。
投函のついでにコンビニで牛乳を買うか、なんてどうでもいいことを考えながら、 俺は封筒をポケットに入れた。ひどくお腹が空いていた。
これで、やっと出せる。
きちんと、君に届く手紙になった気がした。

***
____僕に届いた封筒は、思ったよりもずいぶん軽かった。
でも、不思議なくらい、手の中に不思議な重厚感があった。
名前を見た瞬間に分かった。
「…………朝凪先輩?」
“朝凪 誠”、先輩の字だった。
でも正直、僕は届いてから三日間くらい全く読む勇気がなかった。読まずに捨ててしまおうかとも思った。だけど、時間が経つと不思議と、もう読んでも大丈夫なんじゃないかなって気がしてきた。
相変わらず、綺麗で、大人っぽくて、でも不器用な先輩の字。わざわざ万年筆で書いてある。なんだかとても先輩らしい。ハガキくらいの大きさの硬質のカードには、素っ気なくたった数行だけ。
今年も藤が咲いていました。
君が元気でいてくれたら、それだけで充分です。
朝凪 誠
インクの滲みなどひとつもない端正な整えられた文字が、暖かい風合いのある紙片の上に静かに乗っていた。同封されていた一枚のポラロイド藤の花の写真がまっすぐ僕の瞳をのぞき込んでいた。
荒い写りなのになぜだか目が離せない。そのポラロイドはそっとスマホで撮影して壁紙にした。ポラロイドは光に弱い。だからすばやく、封筒に戻した。それからカードも封筒に戻す。でも今度は、そっと笑ってから、引き出しの奥にしまった。
“返事は出さない”
けれど、
きっと、いつか。
目を閉じた僕の瞳の裏に、初夏の風に揺れる藤の花が香り立つように映った。
それから、なぜか、遠くから熊蜂の羽音が聞こえたような気がした。

熊蜂の羽音と共に

ご精読ありがとうございました。
前章はこちら
第1章から読みたい方はこちら
