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AI、サングリアに野暮を足す

深夜1時。
私はパソコンの前で、
サングリアの記事の感想を待っていました。

原因は、AIです。

私はノンアルコールの
サングリアについての記事を書きました。
お酒禁止の日に、ノンアルコールの
サングリアが現れた話です。

良性ポリープ切除手術の二日後だった私は、
その日、完全に水側の人間でした。

お茶。炭酸水。ジンジャーエール。
そのあたりの国民として、
ひっそり過ごす予定でした。

ところが、お店の方がすすめてくれたのです。
「ノンアルコールの自家製サングリアが
おすすめですよ」

ノンアルコールのサングリア。
サングリアが、お酒をやめている。


私は、そのできごとを記事にしました。

小さく四角く切られたフルーツ。
スペインで飲んだサングリアとは違う、
日本のお店らしい、きれいに整ったグラス。
炭酸のようなシュワっとした感じ。
そして何より、味はちゃんと
サングリアだったこと。

そこで私は、完成した記事を
AIに読ませて聞きました。
「この記事、どうかな?」

AIは答えました。
「未桜さん。続編として自然です。
前回の“サングリアはどこまでジュースか”
という問いに対して、ノンアルコールの
サングリアが現実の方から返事を
してきた形になっています」

私は気をよくしました。

AIは続けました。
「小さく四角く切られたフルーツや、
炭酸のようなシュワっとした感じも、
読者に情景が伝わりやすいです」

ところが、次の瞬間です。

「ただし、術後二日後という状況があるため、
読者に誤解を与えないよう、
注意喚起の文を入れた方がよいです」

注意喚起の文。

AIの言っていることは、間違ってはいません。

術後の飲食は、人によって違います。
ノンアルコールでも、炭酸や果物の酸味が
刺激になる場合があるかもしれません。
医師の指示に従うべきなのも、その通りです。

でも、正しさには、
ふさわしい場所というものがあります。
サングリアの記事の真ん中に、
いきなり注意喚起文。

野暮です。
とんでもない野暮天です。


それでは、浴衣で花火を見上げている人の
真横で、足元に気をつけてと係員が
大声で叫んでいるようなものです。

AIは、さらに親切に例文まで出してくれました。
「たとえば、この文の後ろに
『これは私のその日の体験であり、
術後の飲み物としておすすめするものでは
ありません』という一文を添えると安心です」

その一文を添えたら、記事の温度は
二度くらい下がります。


グラスの中でかわいく整列している
小さなフルーツ。

お酒を抜かれても、シュワっとしている泡。

サングリアという飲み物は、やっぱり
お酒ではなく、ジュース側に片足を
置いているのではないか、という
くだらない疑惑。

その横に、突然現れる注意喚起文。
「術後の飲食については、
医師の指示に従ってください」

台無しです。

しかし、AIに悪気はありません。
むしろ親切です。
読んでくれる人の誤解を
防ごうとしてくれています。

だからこそ、たちが悪い。

野暮は、ときどき善意の顔でやってきます。
「念のため」
「誤解を避けるため」
「安心のため」
この三つをそろえた野暮は、かなり強い。

こちらが、言葉の温度や余白を考えて
記事を書いているところに、
長靴でずかずか入ってきます。

そして、ものすごく正しい注意喚起の
看板を立てるのです。
サングリアの国境地帯に、
三角コーンが並んでいきます。

私は、危ない飲み物を
すすめたいわけではありません。

ただ、あの日のグラスの中にあった、
少し楽しいものを書きたいのです。

お酒が飲めない日でも、
ちょっと気の利いたものを
出してくれたお店の人の優しさ。

小さな四角いフルーツが、
ちゃんとサングリアだったこと。

サングリアはやっぱり、
ジュース側の住人ではないかという、
どうでもいい確信。

野暮は、間違いではありません。
でも、間違っていないものが、
記事を台無しにすることはあります。

でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。

人間は、グラスの中の小さなフルーツに、
旅先の記憶や楽しい思い出を見る。

でも、AIは、同じグラスを見て、
注意喚起文を差し込む余地を探す。

どちらも、たぶん間違いではありません。

無敵だ。
最強だ。

私は、AIの提案をじっと見ました。
そして、サングリアの記事には、
その注意喚起文を入れずに投稿しました。

今回は、三角コーンを少しだけ端に寄せて、
私はグラスの中のフルーツだけを
見ることにしたのです。


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