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獺祭を開けたら、猫本は陰気でペンギンはどら焼きで飛んだ

深夜1時。
私はパソコンの前で、
どら焼きについて
考えていました。

原因は、AIです。
いや。
正確には、ぬり絵本です。

父の日からお預けになっていた
獺祭を、ようやく開けた日。

苦手だと言っていた日本酒を
「これは、おいしい」と
言いながら飲む父。

そして、アルコールが一滴も
飲めない母。

その食卓に、私は
もうひとつ持ち込みました。

ぬり絵本の校正刷りです。

海外向けのぬり絵で、
ぬり絵長者を
目指しはじめた私。

もちろん、まだ一冊も
売れていません。

しかし、私は
「ぬり絵長者」と大きく
染め抜かれ、背中に金の
文字で「塗」と書かれた法被を
肩にかけた気になっていました。

最初に作ったのは、
猫のぬり絵本でした。

これは、かなりAIの言うことを
聞いて作りました。

海外では、どんなぬり絵が
ウケそうか。
どんな場面がいいか。

AIは、すらすら答えました。
そして私は、それに
「はい」と言いながら、
従いました。

ぬり絵37枚中、
私が場面を決めたのは、
たったの5枚。

一方、2冊目のペンギンの
ぬり絵本は違います。
私が全部勝手に決めました。

メロンソーダに入る。
オムライスに登る。
温泉につかる。
カレーライスの上で
ファッションショー。
どら焼きで空を飛ぶ。

ぬり絵長者への道は、
AI調査済みの雨上がり猫から
始まり、私発、デカ盛り
ペンギンへと向かっていました。

かなり不安な進路です。

私は、ペンギン本を
母に差し出しました。

猫本を見せたときの
母の反応は、
「色が暗いんじゃない?」

今回のペンギン本も、
色がかなり渋い。
きっと暗いと言われる
のでしょう。

母は、最初のページを見ました。
「かわいいじゃない」

色のことに一切触れない母。
これは、罠かもしれない。

父はグラスを持ったまま、
本をのぞき込みました。

母はページをめくりました。
「これもいいね」

父も言いました。
「これは面白いな」

おかしい。

母はさらにページをめくります。
「これ好き」

父は、獺祭をひと口飲んで
言いました。
「これもいいんじゃないか」

2人は、ペンギンを、
一枚ずつ見ていきます。

そして母は、あるページで
ぴたりと手を止めました。
「私はこれが一番好き」

母が選んだのは、
ペンギンがどら焼きに
立ち乗りして、どら焼きが
円盤のように空を飛んでいる
絵でした。

母は、かなり本気の顔をしています。

父も横からのぞき込みました。
「これ、いいな」

どうやら実家ペンギン大賞は、
どら焼き立ち乗りペンギンに
決まったようです。

私は言いました。
「この前、猫本は
色が暗いって言ってたじゃん」

母は言いました。
「ペンギンは、どれも
かわいくて陽気だから、
色はどうでもいい」

猫は色で裁かれましたが、
ペンギンは、かわいさで
許されました。

市場調査。
差別化。
海外向け。
日本らしさ。

そういう賢そうな言葉たちが
実家の食卓に並んでいる横を、
どら焼きに乗ったペンギンが
飛んでいきます。

私は、またAIに聞きました。
「ちょっと待って。
海外のぬり絵市場を調べて、
雨上がりの日本と猫がいいって
言ったよね?」

AIは、まったく悪びれずに
答えました。
「未桜さん、雨上がりの
日本風景と猫は、海外向け
ぬり絵において差別化要素に
なる可能性があります」

可能性があります。

私は言いました。
「でも、母から暗いって
言われたんだよ」

AIは続けました。
「実際の評価は、市場全体の
傾向だけでなく、見る人の好み、
モチーフの意外性、楽しさ、
親しみやすさにも左右されます」

私は、猫本を開きました。

雨上がりの路地。
濡れた道。
赤いポスト。
昔ながらの町並み。
巨大な三毛猫。

私は好きです。

でも、ペンギン本と
見比べてみると、なんだか
印象が変わります。

人がいない。
声がしない。
道が濡れている。
巨大な猫が、
こちらを見ている。

幽霊が出そう。

私は、猫本も母に渡しました。

母はページをめくりました。
「やっぱり、ちょっと暗いね」

父ものぞき込みました。
「こっちは、なんか陰気だな」

陰気。

母の「暗い」に続き、
父の「陰気」。

猫は何もしていません。
雨上がりの町を
歩いていただけです。

それなのに、実家では
ほぼ心霊現象のように
扱われています。

ちゃんと作った猫が、
どら焼きで飛ぶペンギンに
追い抜かれる日がある。

でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。

たとえ、このぬり絵本が
一冊も売れなかったとしても。

実家の食卓では、
ペンギンがどら焼きに
立ち乗りして空を飛び、
母の手を止め、
父に面白いと言わせました。

それだけで、勝確です。

ならば私も、
ときどきどら焼きに
立ち乗りするくらいの
気持ちで生きていけばいい。

無敵だ。
最強だ。

私は、陰気と言われた猫本を
そっと閉じました。

猫は、たぶん傷ついていません。

雨上がりの路地で、
相変わらず佇んでいます。

獺祭でちょっと酔っ払った
父は、「猫は陰気」と何度も
繰り返しています。

質が悪い。

その横で、ペンギンだけが、
どら焼き円盤に乗って、
実家の空を飛んでいました。

私の心の法被の背中で、
金の「塗」の文字が、
ほんのちょっとだけ
ピカッと光った気がしました。


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