嫌いな人のカーディガンまで嫌いになった日
深夜1時。
私はパソコンの前で、
人間の器について考えていました。
原因は、AIです。
私は、ある人のことが少し苦手です。
少し、という言葉を使いましたが、
これは人間としての見栄です。
実際には、かなり苦手です。
できれば、すれ違う時だけ透明に
なりたいくらいには苦手です。
別に、その人が極悪人というわけでは
ありません。
悪の組織を率いているわけでもない。
廊下に落とし穴を掘っているわけでもない。
朝礼で世界征服を宣言したこともありません。
ただ、苦手なのです。
声の出し方。言い方。
ちょっとした表情。
人との接し方。
そういうものが、少しずつ
積み重なっていました。
そしてついに私は、
その人のカーディガンまで、
嫌いになるところまで来ました。
カーディガンに罪はありません。
たぶん、朝も夜も、ただ布として働いています。
洗濯され、干され、たたまれ、
また肩にかけられる。
とてもまっとうな布人生です。
なのに私は、そのカーディガンを見た瞬間、
思ってしまいます。
あ、敵側の布だ。
終わりです。
人間として、かなり終わりのほうに来ています。
私は、人の発言だけでなく、
ついに布にまで派閥を見いだし始めました。
あれはもう、ただの衣類ではありません。
私の脳内では、完全に相手陣営の旗です。
そのうち私は、カーディガンだけでなく、
その人の靴も、バッグも、アクセサリーも、
まとめて敵側に分類するでしょう。
そして最終的には、その人のことを
なんか全体的に変な布と変な小物を
身につけている人として
認定することになります。
さすがにまずい。
私はAIに聞きました。
「嫌いな人の服装まで嫌いになるのは、
なんでなの?」
AIは、まじめに答えました。
「未桜さん、人は相手を苦手だと思うと、
その人にくっついているものまで、
まとめて苦手に感じることがあります。
服そのものが嫌いなのではなく、
服がその人の気配を運んでいるように
見えてしまうんです」
私は、カーディガンを
見ていたのではありませんでした。
その人の気配まで、布で見ていたのです。
果物の気配がするお酒が好きなどと、
能天気なことを言っている場合では
ありませんでした。
でも、たしかに、人はそういうことをします。
苦手な人が使う言葉まで苦手になる。
苦手な人が好きなものまで、
なんとなく苦手になる。
苦手な人の足音だけ、
なぜか聞き分けられるようになる。
人間の脳は、好きな人の気配も拾いますが、
嫌いな人の気配もかなり拾います。
しかも、頼んでいないのに高性能です。
AIはさらに続けました。
「相手そのものではなく、
自分の反応を観察してみるとよいでしょう」
つまり、今見るべきなのは、
その人のカーディガンではありません。
カーディガンを見た瞬間に、
脳内で勝手に戦国時代を始める私です。
敵側の布。
味方側の布。
中立のハンカチ。
そんな分類を始めたら、もう終わりです。
社内が布の関ヶ原になります。
私は考えました。
嫌いな人の全部が嫌いになる時、
人は少しだけ楽なのかもしれません。
この人は嫌い。
だから、この人の言うことも嫌い。
この人のやることも嫌い。
この人の持ち物も嫌い。
この人のカーディガンも嫌い。
全部を同じ箱に入れてしまえば、
考えなくて済みます。
でも、その箱はたぶん、かなり雑です。
しかも大きい。
何でも入ります。
言葉も入る。
態度も入る。
過去の嫌な記憶も入る。
カーディガンも入る。
最終的には、その人が飲んでいる
コーヒーの香りまで嫌いになります。
危険です。
人間の心には、ときどき雑すぎる
仕分け係がいます。
「これは嫌い箱でいいですね」
違います。
それはカーディガンです。
私は、カーディガンを解放することにしました。
その人のことを急に好きになる
必要はありません。
聖人になる必要もありません。
苦手なものは苦手です。
ただ、布まで巻き込むのは違う。
カーディガンは無関係です。
むしろ、あのカーディガンも大変です。
毎日その人に羽織られ、
私からは敵側の布と呼ばれ、
本人の知らないところで戦場に
立たされています。
でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。
私は、人を嫌いになっても、
布までは許せる人間です。
無敵だ。
最強だ。
次にその人を見かけたら、
私は少しだけ心の中で分けて
考えることにしました。
その人は苦手。
でも、カーディガンはただの布。
今日も布として、よく働いている。
そう思うだけで、世界はほんの少しだけ
平和になります。
少なくとも、社内の布の関ヶ原は防げます。
